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障害児と学校 → 頑じいの歯ぎしり

障害がある子とない子と → 頑固爺の「ごまめの歯ぎしり」

歴史は権力が作る

2017年06月04日 | 平和
吉川英治(1892-1962)という作家がいます。小学校を出ただけの学歴で造船工員などの職業を転々としながら、「親鸞記」「忠臣蔵」「宮本武蔵」「三国志」などいくつもの歴史長編小説を著し「国民文学作家」と呼ばれた特異な作家です。
 この人が「新平家物語」を1950-1957年に週刊朝日に連載しました。敗戦から5年後ですからほとんどの国民はまだ平清盛=大悪人観にとらわれていました。そして「新平家物語」を読んで仰天しました。「ええっ⁉ 平清盛ってこんなに魅力的な人物だったの?」
 歴史は支配者が作る。人物観は描き手の意図によって簡単に変わります。



衣の下に

2017年06月03日 | 平和
 平安時代後期の平清盛は後白河上皇と対立して戦を仕掛けようとしました。太平洋戦争前の皇国史観の時代、私たちは「平清盛は皇室を敵に回した大悪党だ」と教えられました。これに対してそれを止めようとした息子の平重盛は大忠臣でした。清盛は戦支度で鎧を着ていましたが、重盛が来ると聞くとあわてて鎧の上に衣を羽織りました。重盛は父を見て「父上、衣の下の鎧がのぞいていますよ」と言いました。
 「平和」と書き直してもどうしても「八紘一宇」がのぞいてしまうのですね。


八紘一宇の塔

2017年06月01日 | 平和
 日向は、そういう神話の国ですから、昭和15(1940)年、皇紀2600年祝賀行事の時、「八紘一宇の基柱」(はっこういちうのもとばしら)を建てました。「八紘一宇」は皇国史観のスローガンです。「世界中が一つの家であり、その盟主は日本の天皇である」という思想ですからそれにちなんで朝鮮、中国本土、旧満州、内モンゴル、台湾、マライ半島、シンガポール、インドネシアなどから石を一つずつ持ち込んで塔に組み込みました。
 敗戦になってGHQ(占領軍マッカーサー司令部、)は、たくさんの命令を出しましたが、「八紘一宇」もその一つとして禁止用語になりました。1960年、日本は国連加盟を認められ占領は終了し、マッカーサーによる禁止はすべて無効になったわけですが、この言葉はさすがにむき出しだと禁止されたことをいいことに姿を消していました。
 日向では八紘一宇の塔の文字が削られ、「平和」と書き換えられました。中国から「勝手に持って行った石3個を返せ」と言われたが返していません。
 ついこの間自民党のさる女性議員が、同僚の「がん患者は働かんでいい」という発言に噛みついてポイントを稼ぎましたが、実はこの方、何かとお騒がせの方で、2年ほど前には国会で「多国籍企業に対する課税は、八紘一宇の精神でやれ」と発言して世間をぎょっとさせました。もっとも「あれは何じゃ?」と意味が分からなかった方のほうが多かったようです。日本の歴史認識に厳しいいくつかの国も意味不明だったのでしょう、なんとも反応していません。ばかばかしくて答える気にならなかったのかもしれませんね。しかしまあこんな調子で、最近この言葉は開き直って世間にのさばってきています。



「海ゆかば」

2017年05月19日 | 平和
 歌詞は、万葉集中大伴家持の長歌の部分
 海行かば水漬く(みずく)屍(かばね) 山行かば草生す(くさむす)屍 大君の辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ
 意味は、海で戦うならば水に漬かる屍に、山で戦うならば草が生える屍になるまで戦おう。大君の近くで死のう。顧みはしないぞ。
 1937(昭和12)年の作曲。
 海行かば東京音楽学校演奏
 <軍歌・準国歌>海行かば - YouTube
 海ゆかば - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス


北朝鮮の国民

2017年04月27日 | 平和
 ピョンヤンの市民は恵まれています。北朝鮮のメディアが宣伝するとおりです。洗練されたファッションで、高層マンションに住み、整ったスキー場があり、子どもたちはテーマパークや多機能プールで遊んでいます。不満に思うことは何もないのです。肥え太るのは将軍様だけではありません。
問題は放送されない田舎の暮らし、食っていけない人々は命を懸けて逃げ出します。体制に不満というより、生きていけないからです。脱北者は、自由社会に来てから体制批判をします。それは脱北してから学んだことです。そして、聞き手が望むコメントだからです。

国民意識

2017年04月26日 | 平和
日本メディアの取材に北朝鮮の通行人が模範回答を重ねたことに対して有識者は「これは、ヤラセですよ。あらかじめ通行人を選定しているんです」と言いますが、私はそうは思いません。外界から遮断された社会においては集団を催眠し洗脳することはたやすいことです。それを「国民教育」と言います。日本の戦前の「神国日本」体制に対して批判的な思想を持っていた人がどれぐらいいたでしょう。特別な知識階級に属する人で、おそらく千人に一人もいなかったと思います。


ヘリコプター

2017年04月24日 | 平和
 今日は朝からやたらにたくさんヘリコプターが飛び交っている。そうか、月曜日だもんな。昨日は1機も飛んでいなかった。昔日本軍は「月月火水木金金」と言っていた。軍隊に休日なんてない‼ということだ。日曜日は第一月曜日。軍隊って非人間的社会だな。自衛隊はいい。平和っていいな。

入管12 一段落

2010年09月01日 | 平和
 8月31日は火曜日、いつものとおり果物とお菓子をちょっと買って、入管に差し入れに行ったら、「Hさんは、仮放免で出所しました。ここにはもういません。」と言われた。入管に通い始めて1年半、その間かかわった被入所者は9人、そのすべての人が出所して(あるいは本国に送還されて)これで一段落。入所期間は、短い人で半年、長い人では2年半ぐらい。もちろん、私のかかわっていない被入所者がまだ何人もいるけど、どこまでいっても終わりのない活動だし、正直毎週1回差し入れに行くのは、精神的にも経済的にも負担だった。それで、この辺で一休みしようと思って、事務局に連絡したら、やはり他の方も負担になっているので、運動の在り方を再検討するとのこと。なんだか肩の荷が下りてほっとした。
 誰しも、知らない世界、無関心な領域がある。そのすべてにかかわることは不可能である。しかし、知る必要がない世界もあるけど、人として無関心であってはならない領域もあると思う。たとえば、平和とか、地球環境とか………。
 きつかったけど、1年半貴重な勉強をさせてもらったと思う。

鳩山さんの功績

2010年05月22日 | 平和
 沖縄の怒りが沸騰している。 昨年7月、衆院選前の遊説で沖縄を訪れたときに「最低でも県外」と期待を持たせておいて、今更「公約ではない」の「抑止力がなんとか」のと、お粗末な言い訳じゃ、沖縄県民が怒るのも当然である。
ところで、先日私の住む町の町内会定例総会があった。会の終わりに役員から、「訓練場分散について我が市の名前も出ています。つきましては、市の町内会連合会で『断固お断りの署名活動』に全市一丸となって取り組むことを決議しました。どうぞご協力ください」という話があって署名用紙が配られた。すると、やや歳を召された一人の女性が立ち上がって「私は署名しないし、署名を集める気もありません。『日本全体からお断り』ならわかるけど『我が町に来なければいい』なんて無責任でしょう」と発言された。
 すばらしい。何かとしがらみのある町内会でこんな発言をする女性が現れるなんて。(署名用紙をもらって帰って黙って捨てればいいさ)と思った自分が恥ずかしい。
「政治家は、実行がすべて。言うだけでできなけりゃ一文の価値もない」とも言える。けれど、鳩山さん以外に、国民全部に「沖縄県民だけに過重な負担はさせられない」と呼びかけた首相がいただろうか。鳩山さんは結果的には何もできなかった頼りない首相だけど、国民の「我が町にさえ………」というエゴを自覚させたことだけは確かだ。

恥を知る 2

2010年04月13日 | 平和
今月7日、日米密約文書の情報公開訴訟の東京地裁判決は、原告(西山太吉元毎日新聞記者など)側から「超完全勝利、革命が起こったのだ」と評価された。これに関して、原告の一人ノンフィクション作家の澤地久枝さん(79歳)は、「ウソをつき通すような政治家は法律で罰を与えるべきだ」と語っている。私もまったく同感。歴代の総理大臣、外務大臣、もう死んでしまった奴らは、閻魔さんが舌を引き抜いてくれているだろうからいいとして、まだ生きている奴らがお詫びするどころか恥知らずにものうのうとしゃしゃり出るのは許せない。政治家にとって、国民をだます以上の犯罪があるだろうか。

密約

2010年03月10日 | 平和
 核持ち込みなどの「密約」の存在が公表されて、我々国民は半世紀にわたって自らの政府に欺かれ続けたことが確定した。「確定した」とはおかしな表現だが、核持ち込みが「暗黙の合意」であるのと同様に、国民も非核三原則が守られていないことを暗黙のうちに承知していた。佐世保市長が議会で、「事前協議がない以上、佐世保港に核は持ち込まれていないものと信じる」と答弁するとき、誰一人……当の市長自身さえ……信じていなかったと思う。
 だから、ウソをつき続けた自民党から謝罪の一言もない。謝って済むことではないが。それどころか、開き直って「もともと非核三原則が非現実的なのだ。この機会に二・五原則に変えよう」なんて話が出ている。「盗人猛々しい 」とはこのことだ。
では、民主党はというと、「政権交代があったからこそ究明できた」と誇らしげに言うが、「だからどうするのか?」というと「非核三原則は堅持するが、現時点で法制化する予定はない。冷戦後アメリカの軍事政策変更によって密約についてあらためて協議する必要はない。」と言う。これでは自民党時代のままの状態を継続するということだ。つまりは、ライバルである自民党のミスを暴いて得点稼ぎをしただけである。アメリカは再びの政策変更について日本に相談なんかしない。密約に基づいて(いや、もはや密約ではない)再び勝手に核を持ち込むだけだ。その時、民主党政府もお得意の「知らなかった(から責任はない)」と言うだろうし、自民党同様誰も謝罪もしないし、罪に問われることはない。

入管11 普通の人間

2010年02月03日 | 平和
入管に通い始めて1年経ちました。入管職員の何人かとは顔なじみになって、笑顔で挨拶したり、時には雑談を交わしたりする人もできました。「毎週毎週ごくろう様ですね」とか、被収容者に成り代わっての言葉と思いますが「いつもありがとうございます」とか言ってくださる方もいます。(この人たちも普通の人間なんだ)と思えるようになってきました。けれど、一方では顔なじみであっても、にこりともせず、事務的な注意をなさる方もいます。私は(ああ、この人は法を厳格に執行する意識が高い、職務に忠実な方なんだな。)と思います。けれど一方では、(いつも四角四面でなくて、ちらりと人間的な感情を見せてもいいんじゃないかなあ)という気もします。中にはどうしても好感を持てない人もいます。お役人意識が強く職権をカサにきて高圧的なやつ。けれどやはり、一番許せないのは、「何としても外国人を閉め出すぞ!」という入管政策そのものなんですね。

入管10 図書コーナー

2010年01月01日 | 平和

 12月21日、定期的な差し入れのため入管に行きました。その時、被収容者から「書棚ができて活用しています」という礼状を受け取りました。その礼状を渡すことが、9月14日に文書で図書コーナーの設置を要望して3か月以上待っていた私に対する入管の回答だったようです。普通世間一般の常識では、文書の提出させたからには、文書で回答するものではないですか。せめて口頭でも入管としての一言がほしかったです。
 3か月待たされた返礼に、礼状を受け取ってから1時間以内に「ゴルゴ13」70冊あまりを寄贈しました。でも、そんな意地が通じる相手じゃないですね。
「私の他にも、図書コーナーの設置を待っている人たちがいるのですが、こちらから周知してくれるのでしょうね」と聞いたら「積極的に受け入れる気持ちはないので周知はしません」とのこと。予想通りの回答でした。

入管9 スペースがない

2009年11月18日 | 平和
 要望書を出して2か月たっても返事がないので、一人で総務課に聞きにいきました。
「ベッドはスペース上置けない。図書コーナーは設置の方向で準備している」という返事をもらいました。800人収容の施設に2・30人収容していて「スペースがない」なんてよく言えたもんです。「図書棚をつくるのにそんなに日数がかかるのですか」と聞いたら「保安上の問題を検討しています」という返事でした。たぶん図書棚をたたき壊して武器にするような事態を想定しているのでしょう。
 私は向こうが「文書で出せ」と言ったのだから文書で返事すべきだと思うのですが、たぶん準備ができても向こうから「どうぞ寄贈してください」という連絡はないと思います。こちらから聞いたときに「寄贈してもいいよ」と言うだけでしょう。