障害児と学校 → 頑じいの歯ぎしり

障害がある子とない子と → 頑固爺の「ごまめの歯ぎしり」

焚き火

2010年04月20日 | なし
   垣根の垣根の 曲がり角
   たき火だたき火だ 落葉たき
   あたろうか あたろうよ
   北風ピープー ふいている       作詞は巽聖歌、作曲は渡辺茂 
 学校帰りの男の子が2人、「あたろうか」「あたろうよ」と相談がまとまって、焚き火に駆け寄る。
「おじちゃん、あたってもいい?」
「ああ、いいとも、いいとも。今、帰りかい?」
「うん。」
「そうか、おなかが減っただろう? いいものあげようか。」
「わーーい、焼き芋だ!」
 失われた風景だ。この歌が発表されたのは1941年。軍当局から「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」と、クレームがついたそうだ。戦後は、消防庁から「町角の焚き火は危険」というご注意。そして今は、市役所が「大気が汚染するので焚き火は禁止」とお触れを出している。
 我が家の小さな庭、「できるだけ自然の森に近づけたい」がコンセプトで、植木屋は入れない。それでも季節ごとに茂りすぎた枝を切り、落ち葉をかき集めなくてはならない。それを庭の片隅で燃やし、時には芋を焼き、星空の下で消え残ったオキの番をするのは癒される一時だった。灰は畑にまいて土に返した。有史以来何千年も人はそうして過ごしてきた。その間に大気汚染はどれほど進んだろうか。だから、私はお触れが出た後も、しばらく焚き火を止めなかった。
 ところが、近所がうるさい。お触れを盾に文句をつけられては「はい、すみません」というほかない。今は、お触れどおり、1枚30円か60円かのビニール袋に詰めて、週2回ある生ゴミ回収に出している。そのゴミを市はどう処理しているか? 生ゴミだから野菜くずも、広告チラシも、ビニール袋も、泥の付いた草もいっしょくただ。時には、家財道具のがらくたから動物の死体まで混ざっている。ただでは燃えない。重油をかけて燃やす。処理場施設、焼却炉、重油代、回収車、ガソリン、人件費、埋め立て処理場の確保、たくさんの無駄金をかけて、有毒排水・有毒ガスを発生させている。ほんとうにばかみたい。

恥を知る 2

2010年04月13日 | 平和
今月7日、日米密約文書の情報公開訴訟の東京地裁判決は、原告(西山太吉元毎日新聞記者など)側から「超完全勝利、革命が起こったのだ」と評価された。これに関して、原告の一人ノンフィクション作家の澤地久枝さん(79歳)は、「ウソをつき通すような政治家は法律で罰を与えるべきだ」と語っている。私もまったく同感。歴代の総理大臣、外務大臣、もう死んでしまった奴らは、閻魔さんが舌を引き抜いてくれているだろうからいいとして、まだ生きている奴らがお詫びするどころか恥知らずにものうのうとしゃしゃり出るのは許せない。政治家にとって、国民をだます以上の犯罪があるだろうか。