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障害児と学校 → 頑じいの歯ぎしり

障害がある子とない子と → 頑固爺の「ごまめの歯ぎしり」

「障害」ということば

2017年06月27日 | ことば
障害のことを「障害」というのは仕方がない。障害という事実があって、その現象を著す言葉が必要であり、現実には「障害」という言葉しかない。字面にこだわって「障がい」なんて書いたって、「じゃ、障のほうはいいのか?」ということになる。
 障害児・者に障害があるのは事実であり、障害そのものは一つの個性である。恥でも何でもない。障害児を支援するのは当然である。それを「障害児教育」「障害児学校」と言わずに「特別支援教育」「特別支援学校」と命名した感覚のほうがずっとおかしい。

黙祷をお願いします

2017年06月25日 | ことば
 東北大震災慰霊祭のニュースで「黙祷! をお願いします」という場面があって、とても珍しいなと思った。「黙祷!」というのは命令形だが「黙祷をお願いします」というのは命令ではない。つまり「黙祷!」でタイミングを揃えてその後命令形を回避したわけである。そういう配慮が必要だと感じるだけ世間の言語感覚は変わってきているのだけど、もう一歩進んで黙祷を1秒の誤差もなく一斉にする必要があるのか考えたい。初めから「黙祷をお願いします」と言えば、黙祷の開始に4・5秒のばらつきが生じるかもしれないけれど、それでどれほどの不都合があろうか。「言語感覚」から「個の尊重」に感覚を進めてほしい。

号令

2017年06月23日 | ことば
団体行動を統率するのは、号令である。「前に倣え」「右向け右」「前に進め」号令は命令形である。完璧にタイミングをそろえるためには「まわれー右」というふうに「予令」をする。予令しなくてもそろう状態の時は「礼(をせよ)」となる。統率の方法には号令のほかに「合図」がある。合図は指示ではあるが命令ではない。合図には音による合図、動作による合図などがある。ホイッスル、バトンや指揮棒がこれに当たる。

2こ上の先輩

2017年06月18日 | ことば
「ダイジョーブす」がどう言ったらいいか適当な言葉が浮かばないときのための用語であるのに対し、「2こ上の先輩」はもちろん「歳」とか「学年」とかの正しい用語を知っているけれど、はやりの言い方のほうがかっこいいからという理由で使っている。
「ダイジョーブす」が一形容動詞の問題であるのに対して、「こ」は助数詞系列全体に影響が及ぶので問題が大きい。つまり「3この人」とか「2この手袋」というような言い方も発生する。このさい「手袋」のように「つがい」のものは何双の手袋を意味しているのか、「片っ方の手袋」をどう言うのかなど煩雑な問題が生じるおそれがある。


自分と私

2017年06月17日 | ことば
「自分」という言葉は、本来「自分自身」「おのれ」の意味である。
軍国時代の日本、陸軍では新兵に対するいじめが過酷だった。個を捨てて全体に尽くす軍人を作るため、自分を「私」とか「僕」とか呼ぶことを軟弱だとして禁止した。「『わたし』だと‼お前はそれでもきんたまがついとるのか。自分のことは『自分』と呼べ!」つまり一人称としての「自分」は陸軍発祥である。スマート好みの海軍では「わたくし」だったと思う。
 当然この用法は占領時代中消滅していた。ところが敗後10年目の1956年、日本は国連加盟が認められ被占領状況が終了した。と同時に「逆コース」時代が発足し、一人称としての「自分」も復活した。私が復活した「自分」を初めて聞いたのは現役の柔道選手山下泰裕さんからである。つまり陸軍用語から体育会系用語として復活した。現在も高校・大学の体育会では相当の普及率である。残念ながら日本語に定着したようだ。 何も軍隊が陰湿ないじめに使ったことばを復活しなくてもねぇ。 


変語マニュアル

2017年06月16日 | ことば
「千円からお預かりいたします」は、「から」の意味が全くわからない。 
「千円お預かりいたします」「千円からのお釣りでございます」だろう。
企業が変語マニュアルを作って従業員に言わせる社会的責任は重い。企業の幹部に変語を変だと感じる人はいないのだろうか。

マニュアル変語

2017年06月15日 | ことば
 レストランやコンビニのマニュアルで聞かされる「変語」がある。
「カレーライスになります」 えっ?これカレーライスでしょ?これからまた別のカレーライスに変わるの?と眺めていた。
 たしかに「娘も5歳になります」とか「ここに住んで15年になります」とかの使い方もあるが、正しくは「5歳になりました」であり「まもなく5歳なります」である。つまり聞き手が5歳になるまでにはいろいろうれしかったこと、苦しかったことがあっただろうなとその経過を容易に思いやることができるときに使うことばだ。このカレーライスが調理場でできるまでに何を思いやれというのか。またこのカレーライスは完成品だから「なります」ではなく「なりました」と言うべきだ。
 変語は止めて、あっさり「カレ-ライスです」丁寧に言いたいのなら「カレーライスでございます」と言ったほうがいい。
今日お昼の連続ドラマでちょうどそんな場面があったので何と言うか耳を澄ましていたら「お待ちどう様でした」と言った。なるほどわざわざ料理名を言われるよりそのほうがずっとうれしいな。

本音を言わない日本人

2017年06月13日 | ことば
 もちゃもちゃした言い方は、日本人のあいまい好みを示すものだが、これを日本人あるいは日本語の陰翳だとして自画自賛するむきもある。テレビでも来日した外国人に「クールジャパン!」のお世辞を言わせて悦に入る番組がいくつもある。ありていに言えば、「何を考えているのかわからない日本人」「日本人から『遊びに来てください』と言われても、のこのこ遊びにいってはいけない」「本音を言わない日本人」の裏・表や責任回避体質を示すだけである。
 日本人ももっとスパッとした物言いをしなくてはならない時代じゃないかな。

もちゃもちゃした言い方

2017年06月12日 | ことば
 「応援してくださる皆さんに感動を与えられるように精進したい」と発言するスポーツマン、あっ違ったアスリートがいる。これは単に「与える」ということばを知らないだけだからまあ、我慢しよう。
 「応援してくださる皆さんに感動を与えるように精進できればいいかなぁと思います」なんていう言い方もよく聞く。なんでこんなにもちゃもちゃした言い方をするのだろう。「精進できれば」というのは仮定形で「精進できないかもしれない」という言い訳を含んでいる。それにご丁寧に「か」という疑問形を加える。そして最後は「思います」という言い訳が前提になっている。「思う」というのは「する」ということではない。「するかもしれないがしないかもしれない」ということである。
「ただいまから~を開会したいと思います」というような言い方も愛用されているが「開会するのかしないのか、どっちだい?もうめんどくさいからお前ひとりで開会しろ。俺はしらん!」と言いたくなる。


尻上げイントネーション

2017年06月11日 | ことば
 一時若い女性の間で文節ごとに声調を上げる話し方が流行した。➚
「私がぁ➚ きのおぉ➚ 電車にぃ➚ 乗ったぁ時にぃ➚………」といった調子である
ことばは生き物である。時代にのって流行を取り入れ、新しいことばをつくったり、ことばに新しい意味を加えたり、新しい言い回しや発音やイントネーションやそんなものを取り入れて定着させたりすることは仕方がないと思う。しかし。流行というものは本来軽佻浮薄なものである。重厚や上品なものが流行するはずがない。したがっていつの世も「近頃の若いもんは………」と老人たちを嘆かせることになる。
 尻上げイントネーションも生き残るのかなあと心配したが、どうやらほとんど消えてえしまった。「ダイジョーブす」のほうは今のところ大丈夫かどうかわからない。


ダイジョーブす

2017年06月10日 | ことば
 最近「ダイジョ-ブ」という言葉が氾濫している。テレビドラマでもこんな場面があった。
a 「勝つには勝ったけど危なかったね」
b 「はい、勝ったのだからダイジョ-ブす」 まあ、意味はわかる。
a 「やあ、久しぶりだね」
b 「はい、ダイジョ-ブす」 これは私には意味がわからない。
 なんでも「ダイジョーブす」で済ます人にとっては便利なのだろうとは思うが、私は、いつでも同じジーパン1本で済ます人を連想する。庭仕事をするときも、食事をするときも、葬式にいくときも。便利かもしれないが汚いね、失礼だね。