5月8日 イタリア/カタニア市内見物
ピレウス港から8時間でカタニア港に入港、山頂に雪をいただいたエトナ山が迎えてくれる。
カタニア港
慰霊碑
9時30分下船、とりあえず街の中心部ドォーモ広場に向かう。途中の路地に窓から洗濯物が下がっている風景が見られる、まるで映画のシーンのようだ。道路は曲がりくねっている上、歩道にも車道にも隙間無く駐車している車のため歩きにくいし、犬の糞にも気をつけなければならない。
ドォーモ広場に到着、早速広場の一郭に建つゴシック様式の大聖堂の中に入る。入口に老女と中年の女の乞食が聖画をかざして物乞いをしている。乞食にとって最高の場所であろうが教会だけに入りにくい。
身廊と側廊を持つ大きく立派な教会である。高い空間と高窓からの光り、天井に響く独特の音は厳かな気持ちを誘う。側廊には教会関係者の肖像と墓がある、右の側廊にガラスケースがあり、中に祭服を着て靴を履いた亡骸が安置されている。その棺の前には見事なオレンジ色のマーガレットと鮮やかなピンクのバラが供えられていた。思わず隣のカタニアの老婦人に「すばらしいですね!」と話しかけてしまった。その老婦人はイタリア語で応えたが私と同じように感じたのだろうと思った。復活節だからか正面の祭壇にもカサブランカとバラが一杯飾られていた。
側廊の奥の左側に部屋があり、そこにエトナ山が噴火し溶岩流が街を襲った様子を描いた絵が掛けられていた。
広場
大聖堂
大聖堂内/エトナ火山噴火被害図
大聖堂内/祭壇
大聖堂を出てローマ劇場を目指したがウルシーノ城内博物館に来てしまった、地図がわかりにくい上、道路が曲がっていて方向感覚がなくなってしまったためだ。博物館に入ろうと思って入口を探したがわからず一周してしまう、裏口と思っていたところが入口だったのだ。まだ開館していないようなので博物館の前にある公園で一休みする。街路樹に混ざって植えられた巨大なサボテンが珍しい。緑色のトカゲが草むらに逃げ込むのが見えた。
街中のマリア像
11時になっても開館する様子が無いので目的地サン・ニコロ教会に行くことにする。かなり迷ったが何とか見つけ中に入る。中庭を囲んで回廊があるので修道院のようだ、若者が本を読んだり談笑している。建物の2階に上がると部屋を出入りする様子から修道院の建物を利用した大学の研究室と思われる、どうも大学の中に紛れ込んでしまったようだ。
ようやく探しあてたサン・ニコロ教会はドーム部分の修理中であった。大きな教会であるがかなり痛んでいる、補修されない照明具が寂しげだった。巨大な教会を維持する大変さを感じた。
ローマ劇場、ベッリーニ博物館を経由してドォーモ広場に到着、広場のバールでパンとカプチーノを注文し一息入れる。鳩が寄って来たのでパン屑をあげる、手に乗せた餌をたべる鳩とけっして近づかない鳩がいることから勇気のある鳩と臆病な鳩がいることがわかる。
市場/レストランで
エトネア通りを通ってベッリニー公園に行くことにする。街の中心であるこの通りには有名ブランド店や大型店舗があった。リナシェンテ百貨店で孫達へ土産としてTシャツ、田近さんと龍子さんへキャンドルを購入、派手な縞模様が入った磁器2個を買う。
ベッリニー公園の小高い展望台に登ると大聖堂が見える、脇にグランドがあって子供達の遊ぶ姿が見える。展望台の土留めの壁はエトナ山が噴火した時のものと思われる溶岩をセメントで貼付けて作られていた。
帰りも同じ道をウインドウショッピングしながら戻る。6時近かったのでミサがあるかも知れないと思いながら大聖堂に入ってみると左側廊奥の小さな祭壇の前に30人程座っていた。我々も後ろの席にすわると6時に鐘が鳴り入祭の歌が流れ司祭が入場してミサが始まった。言葉はわからなかったが司祭の挨拶から始まり、回心、聖書朗読、信仰宣言、パンと葡萄酒を供える祈り、平和の祈り、聖体拝領、閉祭の挨拶までの流れは分かった。平和の挨拶では前の人と握手をし、遠くの人とは会釈をした。30分の短いミサだったが久しぶりに清々しい気持ちになった。門の前の老女が差し出す器に50セント硬貨を入れた。
大通りを歩いていると、ひざまずいて両手で器を差し出しているまだ若いジーンズ姿の物もらいにはびっくりさせられた。まるでパフォーマンスのような感じであった。
露天の八百屋、骨董屋を覗きながら船に戻り夕食はヨットハウスでサラダとご飯を食べる。
市場/チーズ売り
市場/八百屋
市場/香辛料
ピレウス港から8時間でカタニア港に入港、山頂に雪をいただいたエトナ山が迎えてくれる。
カタニア港
慰霊碑
9時30分下船、とりあえず街の中心部ドォーモ広場に向かう。途中の路地に窓から洗濯物が下がっている風景が見られる、まるで映画のシーンのようだ。道路は曲がりくねっている上、歩道にも車道にも隙間無く駐車している車のため歩きにくいし、犬の糞にも気をつけなければならない。
ドォーモ広場に到着、早速広場の一郭に建つゴシック様式の大聖堂の中に入る。入口に老女と中年の女の乞食が聖画をかざして物乞いをしている。乞食にとって最高の場所であろうが教会だけに入りにくい。
身廊と側廊を持つ大きく立派な教会である。高い空間と高窓からの光り、天井に響く独特の音は厳かな気持ちを誘う。側廊には教会関係者の肖像と墓がある、右の側廊にガラスケースがあり、中に祭服を着て靴を履いた亡骸が安置されている。その棺の前には見事なオレンジ色のマーガレットと鮮やかなピンクのバラが供えられていた。思わず隣のカタニアの老婦人に「すばらしいですね!」と話しかけてしまった。その老婦人はイタリア語で応えたが私と同じように感じたのだろうと思った。復活節だからか正面の祭壇にもカサブランカとバラが一杯飾られていた。
側廊の奥の左側に部屋があり、そこにエトナ山が噴火し溶岩流が街を襲った様子を描いた絵が掛けられていた。
広場
大聖堂
大聖堂内/エトナ火山噴火被害図
大聖堂内/祭壇
大聖堂を出てローマ劇場を目指したがウルシーノ城内博物館に来てしまった、地図がわかりにくい上、道路が曲がっていて方向感覚がなくなってしまったためだ。博物館に入ろうと思って入口を探したがわからず一周してしまう、裏口と思っていたところが入口だったのだ。まだ開館していないようなので博物館の前にある公園で一休みする。街路樹に混ざって植えられた巨大なサボテンが珍しい。緑色のトカゲが草むらに逃げ込むのが見えた。
街中のマリア像
11時になっても開館する様子が無いので目的地サン・ニコロ教会に行くことにする。かなり迷ったが何とか見つけ中に入る。中庭を囲んで回廊があるので修道院のようだ、若者が本を読んだり談笑している。建物の2階に上がると部屋を出入りする様子から修道院の建物を利用した大学の研究室と思われる、どうも大学の中に紛れ込んでしまったようだ。
ようやく探しあてたサン・ニコロ教会はドーム部分の修理中であった。大きな教会であるがかなり痛んでいる、補修されない照明具が寂しげだった。巨大な教会を維持する大変さを感じた。
ローマ劇場、ベッリーニ博物館を経由してドォーモ広場に到着、広場のバールでパンとカプチーノを注文し一息入れる。鳩が寄って来たのでパン屑をあげる、手に乗せた餌をたべる鳩とけっして近づかない鳩がいることから勇気のある鳩と臆病な鳩がいることがわかる。
市場/レストランで
エトネア通りを通ってベッリニー公園に行くことにする。街の中心であるこの通りには有名ブランド店や大型店舗があった。リナシェンテ百貨店で孫達へ土産としてTシャツ、田近さんと龍子さんへキャンドルを購入、派手な縞模様が入った磁器2個を買う。
ベッリニー公園の小高い展望台に登ると大聖堂が見える、脇にグランドがあって子供達の遊ぶ姿が見える。展望台の土留めの壁はエトナ山が噴火した時のものと思われる溶岩をセメントで貼付けて作られていた。
帰りも同じ道をウインドウショッピングしながら戻る。6時近かったのでミサがあるかも知れないと思いながら大聖堂に入ってみると左側廊奥の小さな祭壇の前に30人程座っていた。我々も後ろの席にすわると6時に鐘が鳴り入祭の歌が流れ司祭が入場してミサが始まった。言葉はわからなかったが司祭の挨拶から始まり、回心、聖書朗読、信仰宣言、パンと葡萄酒を供える祈り、平和の祈り、聖体拝領、閉祭の挨拶までの流れは分かった。平和の挨拶では前の人と握手をし、遠くの人とは会釈をした。30分の短いミサだったが久しぶりに清々しい気持ちになった。門の前の老女が差し出す器に50セント硬貨を入れた。
大通りを歩いていると、ひざまずいて両手で器を差し出しているまだ若いジーンズ姿の物もらいにはびっくりさせられた。まるでパフォーマンスのような感じであった。
露天の八百屋、骨董屋を覗きながら船に戻り夕食はヨットハウスでサラダとご飯を食べる。
市場/チーズ売り
市場/八百屋
市場/香辛料