2015年春に出会った不思議な縁のある男性とのことを思い出しつつ書いております
2018年
のあるとき、未曾有の災害に接しました
その出来事によりワタシはSさんとお互いの(仕事上での)ありがたみと、改めて相手に感謝することと同時に、ああ彼を心配していいのはワタシではないという思いとで明らかな孤独に苦しむこととなります
そしてその時の彼の苦しみも、胸でしっかりと感じ取っていました
そのとき、たった一人で考え、動き、生きるということを改めて感じたのです
大袈裟かもしれませんが生きるとは、死とは、両親とは
そして友達のことも
以前は明らかに彼に意識が向いていましたが、周りへの感謝や愛おしさが徐々に生まれていました
結局Sさんを愛している、というところに行き着くのですが、その状況が落ち着いていくころから、今までSさんに関する個人的な情報は何一つ入ってきていなかったのですが、まるで天からの情報解禁とでもいうように聞こえてくるようになります
まさに雪崩のように入ってきました
そのことにより、落ち着いてきていた気持ちは上がり、下りを繰り返しましたが、落ち切ることはなく穏やかに受け止めることができていました
気づくと冬をむかえ年末。
ここまで様々な現象がおきてきた中でも1番強い力、エネルギーが動いたのはその頃でした
おそらく生まれてはじめて、年末年始を一人で過ごす年となったのですが、死ぬのかなというような、激しい胸の痛みと苦しみが続きました
その時ふと、2015年の年末年始を思い出していました
もし自分の心のことが今のように「エネルギー」として感じるならば、おそらくこんな感じだっただろうというものです
それ以前から、突然はじまる動悸や全身の振動などがおき、定期的に検査をしていました
心臓については以前母から、ワタシが中学生のころ、出生時心臓の弁に問題があったかもしれず、その影響で不正脈がでていたといわれ精密検査をしてほしいといわれたことがありました
そんなに気にするならばと検査を受けたのですが、その時もやはり異常ナシでした
しかし母の中ではこのことが長年尾を引き、ワタシに対する負い目と感じていたそうです
そしてやはり今回も時折起こる脈のおかしさ、動悸を調べるべく徹底的に診てもらいましたが、異常はありません
こうなるとやはり彼との関連を考えるようになっていたのですが、その矢先の強い胸の痛みが身体の真ん中、喉元より下のあたりが苦しみでしめつけられるような
久々のゆったりしたたった一人の時間を楽しもうと考えていたのに、ひたすらにつづく痛み、くるしみ
胸を押さえながらみる駅伝にはとても集中できません
お正月休みが明けたら病院へいこうと決めた、1月4日
朝から胸には大きなエネルギーを感じていました。痛みともちがう、大きなものでした
彼の職場の前を通りすぎようとした時です
2019年、初めてSさんを見かけました
そして彼もワタシを認識したと思います
その途端、胸の前に大きな塊が生まれるような、そしてそれが大きくなっていって、とても受け止められないというような強い強いものに膨らんでいきました
目に見えるわけではないですし、ただそうであるということだけ
また、その場所も意味のあるところで、全てが一つになったとすら思えたのですが、その瞬間「こんな大きなものを受け止められない!」と感じてしまい会釈してくれた彼を残し逃げ去るようにしてそこを離れたのです
今にして思えば、ワタシの準備がまるで整っていない、器のできていない状況を現すのだとおもいますが、その時は必死でした
こうして書いてみて、おわかりのように、この時点で、はっきりとなんらかのエネルギーについて認識しているのは、ワタシだけのようでした
少なくともSさんから感じられる態度は、常に普通通り
そのことにも驚きと残念さとが入り混じっていました