40歳の春にツインソウル?にであいました☺️

ツインソウル ? かもしれないある男性にであったころからをふりかえっていく予定です

2018年1月 急速な展開 変化

2021-03-20 22:22:00 | 日記
2015年にであった男性との不思議なご縁のことを振り返ってかいております



20181月。


じつはこの頃、特に2016年末や2017年頃強烈に感じていたある感覚、それは『何かの物語を読まされているかのよう』というものでした

でも都度つど辛さ故にそれを忘れてしまっていたのですが、ふとした瞬間にそれを思い出していました

まるでダメなシナリオだと感じるような、そんな物語、あるいはレールを感じていたのです。



2018

117  夕暮れ時

薄暗闇のような淡い時間でした

道の先にSさんがいました。ワタシは彼のことを考えたくなくできるだけそっと通り過ぎようとしたのです


それでも気づかれてしまい、ふと振り返った彼は、暗くてわからなかったです!と言いました

ああお手上げだ、と感じました

完全にもう仕方ないのだとわかってしまったのでした


この人のことは忘れようもないのだと。離れよう忘れようとしても全部、あらゆる嬉しいとか楽しいとか、思いつく限りの喜びの感情が戻ってきてしまうのでした


そしてそこから数日、2016年に出会った恩人の女性と他愛無く好きな有名人の話をしていた時です

ある人の名前をだしたところ「◯◯さん(ワタシのこと)が好きな人って◯◯さんに似てますよねえ」と言われました

名前を出したその著名人は、じつはSさんに似ている方でした


その現象に該当するものを知っている気がするけど、なんだったっけ、と思いながらたどりついたのが「ツインソウル 」でした


Sさんと出逢い、実に3年。

その気づき以降様々なブログを検索しては読み漁りました。これはなんなのだろう? 偶然なのか、いわゆるプロセスにあたるものがよく似ていると知りました。


出逢い、仲良くなり、離れるとともにそれまでの生活が180度かわっていくような経験、カルマ(業、クリアにすべき課題のようなもの)の精算、などなど。


それと同時に、ワタシの中に純粋な愛情が湧いてきていました

彼が幸せならばそれでいい、誰といてもそれでいいというものでした


そして2月。変化は緩やかながら強制的に現れました


掛け値なしに、ただ彼を好きだなあと感じるようになる頃、車酔いのような回転するような眩暈が現れはじめていました

頭のあたりだけがぐるりと回っているような気持ちの悪さが定期的にあらわれ、そして同時に胸のあたりがぎゅっとするような、奇妙な症状が出始めました

そして身体全体の痒み。冬季の乾燥だと思い込んでいたので、ボディクリームや薬用入浴剤にも頼りましたし、心配してくれた友人からはハーブのパットをいただいたり。結局最後は胸の痛み痒みに集約していきなり治ったのです。訳がわかりませんでした


でもその症状とともに、なぜかポジティブさが増し、楽しく過ごせるようになってきていました。

どんなに目眩がしても苦しくても、仕事は目に見えて楽しくなっていましたし生活面でも友人たちと心地よくすごす時間が増え、明らかに変わってきたのです


まるで2017年年末以前、2018年以後といってもいいほどの変化でした


そして両親、特に母とはなんでも話すほど定期的に連絡を取り合うほどになっていましたし、以前はわいていなかった愛情をしっかりと感じるようになってきていたのです

そのうえ、母の言葉に怯えることがなくなり、むしろワタシの言葉を母が受け入れ頼ってくれるようになりました


そのとき、あることに気付いたのです

Sさんの居場所がわかっている? ということに


例えばこの角を曲がるといる、というようなことが頻発し、それは主に胸の辺りがうごくというかその感覚でわかるようでした

嬉しくないはずがありません

繋がっているんだ!  と感じると共にそしてそれは日に日に強さを増し、彼がワタシの職場の前に長時間渋滞で停車していた時は、咳き込むほど胸の圧迫感が続きました


彼が近くに来れば来るほど、咳き込み、ある時は家を出ることがままならないほど気持ちが悪くなるということもおきました


なぜ胸なのかということはほどなくハートチャクラということばに出会って腑に落ちます

そういえばヨガは経験したことがないけれど、そんな絵をみたことがある、という朧げな知識で調べると、やはりワタシの症状はそこに合致していました


彼とのことだけで無く、あるとてもパワーのあるものに触れて大変な経験をしたり、時にとても素敵な絵本を読んだ時にも胸がいっぱいになるような体験がふえ、涙がでるようになっていきました


ワタシは様々なブログの知識から、こういった症状がでてきたら、彼に会える日も近いのではないかと考えかけていましたが、そんなおり3月の終わる頃、忘れていたくらい久々に彼からの連絡が来ました




2017年6月から年末 転換点への時間と勇気と

2021-03-20 20:02:00 | 日記

さきほど大きな地震がありました

ご不安もあると思いますが、どうぞゆったりと落ち着かれますように



こちらは2015年春に出会った不思議な縁のある男性とのことを思い出しつつ書いている場所です


2017年初夏のこと

あんなに紆余曲折あったというのに、5月には実家を出ることをきめ、6月には家もきまり、両親には快く引っ越しも手伝ってもらい、新しい生活が始まりました



そこは残業がちだったことを考慮して職場の近くでした

そしてまさかその引っ越しの日にSさんとばったりと会うということが起きたのです

その初日に彼へ自宅を教えることになるなんてと思いましたが、その頃には以前ほど、わだかまりもなく話すことができるようになってきていたのです


ですがやはり時折送るメッセージには仕事のことはともかく、少しでもプライベートに近い話となると、いつも返事はありませんでした

いわゆる既読スルーです

とまどいましたし、これまで、返事をしないという人にであったことがなかったため、まだ昨年のことが尾をひいているのかなと考えたり自分は何かよくないことを言ったかなとおもったりとその意図を考えては、落ち込むことが何度もありました


気がつくと、2017年も年末あたり、ただ忙しい毎日を過ごす中、相変わらず両親とは完全に打ち解けたとは言い難いながら関係性は随分良い方へかわってきていました


そして同様にSさんへの気持ちというものも、結果変わることがないと気づいたのです

食事にいったあの日、たまたま店内で流れていた映画やそれにまつわるものを至る所でみたり、関わったり、その時に聴いた曲がよりによってというところでかかったりするたび、思い出されて消えてくれないのです


何度かそんな体験をしたころ、きちんと彼にきいてみよう、と思うに至りました

会えるなら会いたいと言わなくてはと


数ヶ月ぶりにワタシはSさんへ連絡をしました。会えるかな?  というような気軽なものでした

結果、結婚をひかえているとのこと。そしてやはりその飲むということに対しては『断られない』のです、しかもまるで期待をもたせるような返事でした

流石に、なぜはっきりと断らないのか? という気持ちで、そうかこれが最後の連絡だな!と思いました。

もう2度と連絡はしないという覚悟で、ワタシは今度こそ本当の自分の言葉を言おうと思ったのです


まだ好きだし、結婚は残念ながら祝えない、と


自分の心を殺して相手を祝福することはいまはできないと感じたからです

思えばひどい言葉です。誰も幸せになっていない言葉でした

それを今も反省します


しかしそれでスッキリとしました

今度こそこれでよかったと感じたからでした

結局全く顔をあわせることなく年が明けました


20181月。

また別の大きな扉があく瞬間が訪れます


あらためましてご挨拶

2021-03-20 08:22:00 | 日記
おはようございます
インカローズです

本日は春分のため記事をいくつか更新いたします  
あらためましてここまでお読みくださりありがとうございます😊

2015年春ころから2017年までに起きたことをまとめて書いております
2016年秋より継続して毎日日記をつけるようになったので覚えていることも多いのですが以前の生活といまではすっかりと変わってしまったため、忘れようのない出来事がつづいております

本日は2018年あたりまでを更新いたします

いつもお読みくださっているかた、はじめましての方、ありがとうございます

春分点です
みなさんに心地よい光が届きますように


2016年10月から2017年春あたりまでのこと これはなんなのだろう その2

2021-03-20 08:08:00 | 日記

2015年春に出会った不思議な縁のある男性とのことを思い出しつつ書いてあります



2016年10


その話は、母からきりだされました

離婚して戻ってきたワタシに対するありとあらゆる不満。ここまでの人生にあって、ワタシと母の中で決定的に解決できてこなかったこと、さまざまなことが怒涛のように流れ込んできました

当然クリアにしていかなくてはならないことを、なんとなくやり過ごしてきたツケのようでした


離婚そのものは当然お互いに非がありましたが、その一端は両親と夫との不破によるものも大きかったのです


そこも含め、ありとあらゆるものをぶつけられました。なるべくしてなったとはいえ、なかなかの状況に、離婚さえすればうまくいく、と考えたあさはかさを知りました


そしてSさんとは食事に行って以来、なんどとなく話すようになった彼の同僚さんとワタシが話していると明らかに無視をするようになったうえ、その後、ワタシそのものを視界に入れないようになったのです

なんでそこまでの反応をするのか? と不可解さと怖さそして冷たさを感じていました

あんなに優しい人だったのにと


すべてが同時期に起こりました


訳がわからない、ということばかりが身の回りに渦巻いていて、日に日に結婚時代よりも一層立つ瀬のない方向へとながれていきました


そんなあるひ、恩人である女性と出逢います

若くて元気な方で彼女のあるお仕事により救われました


もう季節は11月もおわりでした

完全にSさんとは連絡どころか、そして仕事の面でも話さなく、話せなくなっていました。そこにあったのは完全な恐れの気持ちでした。そして会う機会があっても、話す言葉が出てこないのです。

実家では連日話し合いがもたれ、会話も結論も平行線。ぼろぼろになった頃には、もはやワタシは全てのものにたいして、好きという感情が消えてしまっていました


全くの更地。好きだったものは全て目の前から消え、ただ生きているというだけになっていたのです

それでも仕事だけはまるで用意されていたかのように良いお仕事とめぐりあっていました


ただただ日々仕事だけをしていたように思います


11月にであった恩人の女性をかわきりに、以前からの知り合いの中でも、よく会う友人という人たちがでてきて、そのことにも救われてきました

そんななかワタシは実家にいる限界を感じ出ることを決意しました

すべてを捨てようとしていたのです

それでも実情を考え、出ることは断念したのです


2017年の元旦も、おめでたいことはなにもなく、両親との話し合いはやはり深夜まで続きました


そして明けた1月。ついに両首のリンパが腫れるという身体症状にでてきたのです

暗い冬、忙しい仕事、そしてその症状


おそらく状況だけで無く心身に限界が来ていたのでしょうが、ワタシは倒れてしまうことができませんでした

どうしてこんなに丈夫なのかと思うほど、どんなことがあっても朝はきて仕事に出ました


なんとかSさんのことはもう忘れようとしつつ好きな人を作ろうとしますが、必ずそういった存在が現れると、決定的にいなくなったり奥さんがいたりという中で、忘れようとするほど状況は辛くなるのです


気がつくと春でした


突然母から一人暮らしをしては、と背中を押されました

まだまだわだかまりが晴れたわけではなかったのですが、お互いのことをはなし受け止められるようになりかかっていた矢先でした


結果6月に家を出、快く引っ越しも手伝ってもらい、新しい生活が始まりました