2015年春にとても縁のある男性と出会ったことを振り返りつつ書いております
さて2016年の年が明け、節分を過ぎたあたり、私生活は暗さの一途を辿っていましたが、仕事の上では様々なプロジェクトめいたものを任され、自分の力で考えなくてはどうしようもないことばかりが降ってきていました
それまでワタシが経験してきたことは、基本的に上司から指示が降りてきてこなすことばかり
何もかもゼロのところからスタートするようなことなど経験したことがありません
しかも長年主婦でしたし、内情はどうあれ家庭のことと両立してできる内容ではなくなっていた、とは以前も書きましたが、どんどん形や求められるものは変わってきていました
そこでできる範疇を決めてもよかったのですが、これからを考えた時に経済的な自立のためにもこの仕事を受けなくてはならない、というようなことを潜在的に知っていたように思います
そして同時に昨年(2015年)夏頃から、左側の腕のしびれ、そして動悸や不整脈も続いていたのですが、気にしないまま過ごしていました。体重があったので、何かの症状かもしれないという怯えくらいはありましたが。
この不整脈の症状はじつはもっと年齢が若い頃経験をしていましたし、長年母を苦しめていたものであったことを後に知るのです
仕事はバタバタと過ごしていたので、プロジェクトのこと含め記憶は鮮明ですが、プライベートとなると記憶はほぼありません。が、この当時の夫とのメールを振り返ると『なぜこんなことを自分はしていたのか』と思えるような、冷徹なやりとりがありました
そんな中でも、例の営業のSさん(仮)とは、いつも他愛無く楽しく話していました。
とにかくそんな時間の中の唯一の潤いだったことを否定できなくなってきたのは、やはり春を迎えたあたり
2016年4月、あるいは5月。
ふと営業車に乗る姿をみかけた時の喜びが、日増しに増えていることを、もはや受け入れざるを得ませんでした
そうか、ワタシはこの人のことが好きなんだ、と気づくのに、そして腑に落とすのに時間はかかりませんでした
全国的に5月の終わりから6月にかけて、神社さんでは夏越の大祓という行事があります
自分の身の穢れを祓い、夏を迎えるというそれをワタシも同僚の女の子とともに、なんの気なしに行いました
その時より明確になったワタシの意識は、正直に言えば仕事で触れる以外のことを何一つ知らないSさんが大好きであるという自覚に溢れていました
ただただ大好きだということだけ
それでも心では、夫とうまくいかないからその青年が好きなのかもしれないと思いつつも、好きである気持ちはゆるぎませんでした
その夜(今なら決して夜の神社には訪れませんが)同僚とひいたおみくじは『大吉』でした
『純情を保って愛を語るなんて、今時ほんとに難しいことです』
そう書かれていました
2016年夏越の祓いのあと、人生は怒涛のように動いていきました