私があけび歌会の月刊あけび誌6月号に書いた随想です。
令和5年4月号からあけび誌掲載の写真が初めてカラーになりましたから、記事の内容が良くわかるようになりました。
大鳥大社とあけび歌会
涼風
大阪府堺市に一万五千余坪の境内に三つの池がある大鳥大社があります。
鳥居
拝殿
境内には、「あけび歌会」の源流である「関西根岸短歌会」の記念碑があり、花田師の
次の歌が刻まれています。
ますらをの歌起さなと集ふ日に
ふふめる梅を見らくはたぬし
比露思
関西根岸短歌会•記念碑
花田比露思師の第一歌集「さんげ」の明治四十二年には、「歌巡礼」と題する一連の作品があります。その頃の比露思師は大阪朝日新聞社の記者であり、朝日歌壇の選者でもありました。正岡子規に心服し自らを
「先生没後の弟子」と称し根岸派の歌風を継承した比露思師のこの歌巡礼は、単に関西在住の歌人を歴訪し交遊を深めるものではなく、根岸系の歌人を糾合し、関西に根岸短歌会を結成したいという目的があったと思われます。この歴訪が実を結び、翌年、明治四十三年一月九日、大鳥大社の社務所に於いて、「関西根岸短歌会」が発足しました。現在の「あけび歌会」の源流で、比露思師の遺言により昭和四十三年六月この大鳥大社の境内に記念碑が建立されたのです。
記念碑の除幕式の挨拶で林光雄主幹は次のように述べられています。
「関西根岸短歌会が子規の流れを汲む同志の結集であったのは大切なことです。花田師が記念碑を建てて欲しいと遺言されたのは、歌の根本は止むに止まれぬ命の息吹、心の躍動が第一義で、『あけび』の全員がこの根本を忘れること無く勉強して欲しいとの願いに他なりません。」
関西根岸短歌会結成当時、27歳の花田師が、これ程の高い志を持っておられたことに、私は正直驚きました。百年以上も前に、花田師の尽力で湧き出たあけび歌会の流れに私達は出会い、人生の折々を短歌に託すことの出来る幸せを頂きました。
令和十一年にはあけび誌発刊・百巻の節目を迎えます。
このご縁の深い大鳥大社で令和五年四月十六日に小笠原嗣朗代表においでいただき大阪歌会の吟行をしました。
吟行の詠草一覧
涌き出でしはるかあけびの源流のなかに身を置く今日のこの幸
小笠原嗣朗
小笠原嗣朗
春陽射す宮居に凛々し木の葉影揺らし建ちたる花田師の歌碑
水谷 和子
水谷 和子
根上りの楠の根元の小さき穴楠神霊のおはすかしこさ
野中 智子
野中 智子
大鳥の社の森の大人の歌碑よみ返しつつ若葉風受く
浜田美喜代
浜田美喜代
大楠のやわらかき影歌碑にゆれ歌友(とも)と集えり大鳥大社
中村 優子
中村 優子
駅名の「鳳」を見て想ひ出づ堺に生れし晶子の旧姓
久米 建寿
久米 建寿
大鳥の万緑の苔につばき招(を)く祠官の描く宮の賑はひ
涼風
権禰宜の万力さんの歌一首、
歌詠みの声消え入りてより幾年を経てもありなむ神の御縁(みゆかり)
万力 康司
万力 康司