気ままに雑記~♪

日々折々散歩したところや(シリーズお江戸散歩続編「お江戸駅から散歩」)心に残ること等を記録しています。

お江戸駅から散歩(西葛西駅散歩)

2008-11-30 14:09:55 | Weblog

新長島親水公園の
音楽を奏でる子供の像~♪


いよいよ今年も今日で11月も終り、明日からは12月になりますね~。
晩秋の頃と思っていましたけれど~、日が落ちると急に寒くなってきて~、北の方では、もう雪が降った所もあるとのこと~、冬になったもの~、と、思います。
夜に出歩いたりしたセイでしょうか~、又、風邪を引きましてね~、参りましたよ~、イヤーー、気をつけませんとね~(苦笑)、皆さんも、暖かくしてお過ごし下さいね~。

今月の(お江戸駅から散歩)は、美しい紅葉の、丁度見頃の所へ行きましたので、少々、早いのですが、間のお散歩も、幾つかあるのですが~、間に合いませんので、今回を先にご紹介することに致しました。ご了承下さいね~♪

コースチャート
東京メトロ東西線西葛西駅スタート⇒新長島親水公園⇒新左近川親水公園⇒臨海町緑道⇒葛西臨海公園~芦ヶ池~葛西海浜公園⇒JR京葉線葛西臨海公園駅

コースガイダンス
江戸川の地が歴史に登場したのは、奈良時代の養老年間といわれます。
当時、一帯は、川、沼、池の連なる広大な湿地で、現在の北部以外では殆ど人は住んでいなかったといいます。
徳川家康が江戸に入府すると、区内のほぼ全域が幕府の直轄領となりました。
江戸川は、江戸市中に近い為に、江戸の野菜の供給地としての役割をもつようになりました。荒川や江戸川河口の中洲、砂地は埋め立てられ、新田開発が進みました。
荒川を挟んで、西側の平井、小松川は現在江戸川区の飛び地のようになっていますが、この辺りは、(小松菜)の名に由来する所としても有名で、その生産地として知られています。
徳川幕府の大政奉還後、慶応4年(1868)に東京府が設置されますが、その2年後に、廃藩置県が実施され、さらに大正3年(1914)の荒川放水路の開墾による地勢、昭和7年の南葛飾郡7町村の合併などを経て、ほぼ現在の江戸川区の範囲となりました。
現在の江戸川区の人口は、約66万6千人、東京23区で、4番目に広い区となり、都心通勤の至近距離の地としての大人口を支えています。
一帯は、その地形から(湿地帯であった)、掘割や水路を利用した親水公園、海浜公園が多く設けられています。

今回は、秋晴れの中、このような土地柄の所を、お散歩してきましたので、ご紹介致しますね~♪

   




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