さて・・と

60代専業主婦の日々です

しゅうせんにおもう

2020年08月15日 09時02分36秒 | 日常
お盆休みは戦争の話しが多いです。

母は空襲経験者で色々聞いてました。



私は今・・・何歳だ?

56歳でした(;゚ロ゚)

びっくり。


私がまだ小さいとき、つまり50年ぐらい前は、戦後25年ぐらいの時ですよね。

例えば上野公園とか行くと、戦争で腕や足をなくした方が戦争中に来ていたような服を着て座ってたり、音楽を・・アコーデオンとか?ハーモニカだったか、とにかく音楽を鳴らして、お金を集める・・・・みたいなことしていました。

上野公園だけじゃなくて、渋谷とかにもいた?

あの時は、すごく怖かったんです。

怖くて見れなかった。


今思うと、本当に犠牲者ですよね。

政府からの援助があったのかなかったのか分からないけど、本当にただただ犠牲者。

ほとんど人が、見ないようにして無視してその場を通り過ぎていたんです。

おそらく助けた人もいたんだと思うけど。


私の父も戦争行ってました。

途中病気で死ぬ思いをして、お腹には雑な縫い方の傷跡がありました。

その話も何度か聞いていました。


TVのドラマでも戦争中の話を見るけど、本当に犠牲になってる。

以前、母と母の妹(おば)が阪神淡路大震災のニュースとかを見ていてこう話していました。

ごめんなさい、本当にイヤな思いする人いると思いますが、事実を書きます。


母とおばは「恵まれてるよね、戦争の時なんて食べ物をくれる人なんて誰もいなかった。毛布だって水だって食べ物だって、なんにもないんだから。誰も助けてなんてくれないし、着るものもなにもなかった。医者やクスリなんて全くないよ。」と。

母とおばは東京大空襲の時、港区に住んでいました。

かなりのお屋敷でしたが、焼夷弾が何発も突き刺さり、全焼。

母は焼夷弾が落ちてくる音をずっと覚えていました。

命からがら、青山墓地へ逃げたそうですが、母は一人で青山墓地へ逃げたんだけど、道がなくなってて、家も建物も何もかもなくなってて方向が分からなくて困っていたら、たまたま近所の人に声をかけられて青山墓地へ逃げることが出来たそうです。

当時、青山当たりの人は、明治神宮か青山墓地へ逃げると決まっていたそうなんだけど、ちょっと遠い青山墓地へ行けと母の父から言われたそうです。

実際、明治神宮は空気の流れのせいか、火がめぐって、そこへ逃げた人はほとんど亡くなったと聞きました。ホントかどうかは知らないけど母がそう言っていた。

青山墓地へ逃げても3日ぐらい家族と会えなくて、母は近所の人と過ごしていたそうです。

やっと母の父が探して会えたそうだけど、その時、スゴく怒られたと。


食べ物も水もなく、着るものも、当然寝具もない。

焼け跡、そして死体。

母が言うには、まっ黒になって男か女か、大人か子供かさえも分からない。

それが溝にいっぱいある。

死体を見て私が怖くなかった?って聞いたら、焼け焦げた死体を怖いとかそんな場合じゃなかったと。

母は昭和2年生まれなので、終戦は17歳ぐらいだったのでしょう。

母の妹は6歳年下なので11歳。

母は軍事工場に行ってたそうです。

なにを作っていたかを忘れたけど、母が死ぬ間際、だいぶ呆けていて、時間がさかのぼっていたんですが、最後の方、手を動かして、何かを必死に作る作業をしてました。

おそらく、その軍事工場での作業を思い出して手を動かしていたんだと思いました。

もうその時は、あんまり話が通じない時だったので、敢えて聞かなかったけど。


もう何十年も前のことで、さらに戦争は数年。

それを80を過ぎた年で、その軍事工場で働いていた作業を覚えて手を動かしていた。


母や父にもっと聞いておけばよかったと、本当に思うけど、本当にイヤなことはなかなか話せないんですよね。

父は戦友会をとても楽しみにしていました。

戦友を本当に大事にしていました。

生死を共に生きていたのだから、やはり特別なんだと思う。


戦争って犠牲があるから、反対。

話し合いとか、他の方法で解決できるのが・・・一番良いよ。

と、思う。

犠牲と、例え残ったとしても、キズが大きすぎる。

名もなく看取られることもなく、遺体も分からずに亡くなった方が沢山いた。

その方々達にも人生があって、それが犠牲になった。

ご冥福を祈らずにいられない。

命が助かっても、何かを失ったり、大事な人を失ったり、犠牲をみんな受けて生きていた。

戦争は・・・犠牲しかない。

代償が大きすぎる。

もう気づいて欲しい。




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げーむのはなし

2020年08月15日 08時39分43秒 | 日常
ゲームと言えば・・・。

私はだいたい早朝ゲームなんですね。

とにかくFF7リメイクのトロフィーを集めるだけ集めて・・・をやってるんで、なんていうか作業って感じです。

もうすでに3週目だから(汗)


色々苦戦はしてますよ。

時間かかるし。

どーやってもバースト300が達成できない。

クラウドをカエルに変えて、ティファも攻撃力を下げたりとかいろいろやってても・・・あとチョットで勝ってしまって終わってしまう(x_x)

なんとかならんかねー。


もう何十回とやってるかも(汗)


あと、ドレスもエアリスのドレスのみで。

コレもちゃんとチャプター8からやり直さないと・・だから、面倒。


ハードモードでは、一回で懲りて、なんとか一回は勝ったんだけど、もう激ムズで。。。

ハードモードは諦めました。


まあ、取れるトロフィーは取っておこうと思ってね。

あとは結構取れてるんで。


で、その後は、とにかくバイオRe2をやりたいし。

ゴーストオブツシマもやりたいし。

アサシンクリードはオリジンズを始めてやって、他にも沢山でてるし、オデッセイはやりたいし。

やりたいゲームいっぱい。


なんでね、さっさとっF7は終わらせたいというか。

もう十分堪能できたので。

全員レベルマックスだし、もう武器も全部ワザ覚えたし。

なんかねー。

後は、ちょっとしたトロフィー集め。

無意味ですよ、トロフィー集めたってなんにもないけど、好きだから。趣味だから。もうそれだけ。


家で出来る趣味です。


今は夏休み中で子供たちとシェアしないと行けないので、それがね、ちょっと・・なんだけど。


それはそうと。


息子がエイペックスとかをやってるんだけど、年齢制限のために私のアカウントを使ってるんですね。

息子の友人もやはり年齢制限のせいで親のアカウントを使ってる子がいましてね。

その子、同級生で同じ部活。さらに去年まで同じ野球部の先輩のお兄ちゃんがいまして。

お母さまは存じ上げてるんですが、上品な方です。


ま、以前ブログにも書いたけど、最初は向こうから「昼間ゲームしてるの誰?」って聞かれて、息子が実は母が・・・って話しちゃったんです。

で、その後、私がやっと気づいたんです。

え?昼間にゲームしてる子がいるって。

息子の友達が不登校か何かなのかと思って息子が帰ってきてすぐに聞きました。

「ねー、あなたの友達の○○ってHNのこ、あの子って学校ちゃんと来てる?」って。

息子は来てるよ、今日だって来てたし休んでないよ。って。

実はね、昼間ゲームがOn-lineになってるんだけど・・・って言いました。


次の日、息子がその子に聞いたそうです。

そしたら、お父さんがやってると・・・(゚◇゚)ガーン


え??って思いましたよ。

で、さらに聞けば、同じゲームを6年間やってるらしく(^0^;)

さらに、○○の経営者だから夕方ぐらいからしか出かけないと。


もう、顔が赤くなりましたよ。

こんなところでゲームで繋がるとは・・・。



で、面白いのが、最近その子がお母さんの実家だと思うんだけそっちに行っちゃってて一緒にゲームできないんだよねーっていってたんですね。

が、どうやらその子の親のアカウントはOn-lineが続いてまして。

朝、私がゲームしようとすると、さすがに早朝なのでやってないんだけど、終わらせる頃にはOn-lineになってて。

息子曰く、「今さー、○○が横浜行ってるから○○のお父さん昨日ずーっとオンラインでゲームしてたよ。昨日なんて夜11時ぐらいもまだやってた」と。

どうやら、お母さんとお子さん達だけで実家に行って、お父さんは家でお留守番だったようで、もうゲーム三昧を楽しんでいたようです。

微笑ましいー、っていうか、うらやましーーー。


そのお父さんが一個のゲームを何年もずっとやっててそれ以外はやらないってのは、、、ちょっと理解しがたいんだけど、そんなに面白いのか???とちょっと興味沸いてみたり。

とにかく、今度買う車の担当者が同じだったり、何かと共通点が多く、でも、会ったことがないそのお父さん。

お母さんは、上品で・・・ってイメージ。

野球部でもお世話になったし、今の部活も同じだし、おそらくまた会うことになるだろうけど。


何となく、戦々恐々な感じ。

しっかし、最初は向こうが気づいたんだよね、、、

わらえる。
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