「さらにまた、修行僧は、すべてにわたり、『識別作用は無限である』と観じる境地を超え、『なにものもない』ということを観じる境地に達しています。かれには、以前の『識別作用は無限である』と観じる境地という微細な真実の心理作用が消滅するのです。そのとき、『なにものもない』ということを観じる境地という微細な真実の心理作用が生じます。そのとき、かれは『なにものもない』ということを観じる境地という微細な真実の心理作用を有する者になるのです。」(無所有処)
我々は生きている以上、様々な物を所有しています
しかしその所有物は、たとえ自分の体でさえも、いずれは(究極的には)死によって手放していかねばならぬ代物です
最初から自分のものではない、所有していない『無所有処』と思えばそれこそ心を束縛するものがない訳ですから、何事にも動じない心境を味わえる
そんな境地が存在するのです
それを味わえる第七番目の禅定・瞑想の境地です