『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

子どものための安全基地

2007年09月28日 | 仏教的 『子育て』
安全基地、それは子どもが安心して過ごす事ができる空間です。
この空間はどこかにある特定の場所という意味ではなくて、子どもが心的に感じる安らぎの居場所です。
これは、子どもが情緒的に安定しているかどうかの、1つのバロメーターです。

家の子どもは親の言う事を全く聞かずに、思った事を遠慮せずに話したり、そして我慢する事なくわがままな姿を見せたりして「この子大丈夫かなぁ」と感じる事があるという方はいませんか。
また家の子は喜怒哀楽が少なく、素直でおりこうさんで我慢する事ができて、自慢の子どもだという方はいませんか。

年齢によっても違いますが、今挙げたようなお子さんであるならば、健全な安全基地で育っているとはいえないかもしれません。
情緒の安定を得にくい環境で育っている可能性があります。

前者の場合は、自分で物事をじっくりと落ち着いて考え、その上で行動するという心を育てる為の落ち着ける安全基地がないのかもしれません。
また後者の場合は、自分の健全な欲求でさえ、はねつけられてしまう、絶対的な支配者の基にいる為に、のびのびと自己を表現する心を育てる為の安全基地がないのかもしれません。

子どもは、どこかで自己をのびのびと表現する場所が必要ですし、またどこかで自己を見つめ、自分を自制し、落ち着きを持って行動できる場所も必要です。
どこにいても人が必要です。
色々な感情の人、色々な性格の人を見る事で、多くの事を学んでいきます。
だから親は子どもに、色々な人的物的環境を与えてあげたらいいと思います。
そこで沈没しない為に、親は子どもの為に健全な安全基地、いつでも安心して見守ってくれる安らぎの居場所を提供する必要があります。
そこはわがままを受け止めてくれたり、わがままではよくない事を気付かせてくれたり、喜怒哀楽を受け止めてくれたり、頑張っている時に褒めて勇気付けてくれたりする場所です。

その時その時に応じた健全な安全基地があってはじめて、外界に身を乗り出しても沈没しない船になれるのです。

合掌

子どものための環境

2007年09月28日 | 仏教的 『子育て』

子育ての基本は、子ども自身が納得しながら、他人との正しい関係に自ら気づいていく、その環境を用意してあげる事であるかとも思います。
環境といっても、物質的な環境ばかりではありません。
心的な環境もとても大切です。

心的によい環境とは?という事ですが、これはまぁ、親の関わり方といった所であるかと思います。
個々の子どもに応じた適度な関わり、その時その時に応じた適度な関わりが必要です。
子どもが子ども自身で考えなければいけない時に親の意見を加え過ぎたり、また子ども自身で解決できない時に親がしっかりと関わらなかったりする場合は意外と多いのではないでしょうか。

例えば、与えられた宿題をいつもしようとしない子ども。「ちゃんと宿題しないとダメじゃないの!」と叱られてから嫌々している。
これがずっと続いている状態では、いつか宿題をしなくなるかもしれません。
その子どもは自分をしっかりコントロールできていないのです。しない理由は幾つかあるかもしれません。
勉強が解らないから、面倒臭いから、忘れているから等など。
しかし宿題はしていく意味がある訳ですから、していく事は子どもの為です。

それではどう関わるか。

勉強が解らない子どもには一緒になるべく楽しく問題を解いていく事が必要でしょうし、ただ面倒臭いだけならば宿題・勉強をする意味を納得できるまで教えてあげたらいいでしょう。
忘れている子どもには、していかなかったら困るのは自分だという事を一言言って思い出させてあげ、後は放っておいてあげたらいいでしょう。
適切な心的環境とは、子ども自身が気付くように、親が感情的にならずに第三者的なその時に応じたアドバイスを与える事であるかとも思います。