実は昨日、夕方までどうしても、ブログをアップすることが出来ませんでした。
大掃除で忙しかったせいではありません。
久し振りにけんたの夢を見てしまい、悶々としてしまって・・・
散歩している私の前をトボトボと歩いているけんた。
「歩かなければ体力が落ちるから」と思いながらも、その後ろ姿が切なくて「けんた」と呼んで振り返ったその顔が余りにもショボショボしていて・・・・
もう、胸がつまって「もういいよ、お母さんがずっとずっと抱っこして歩こうね」と抱き上げたのですが、その湿っぽくて暖かい体が哀しくて
「ごめんね、ごめんね」と心で泣いて、それでもそれを気取られないように抱っこして歩いているうちに、けんたへの想いが途中で下の娘へと変化して・・・・・・・・殆ど号泣しそうになって目が覚めました。
亡くなった父の夢も以前はよく見ました。
不思議なのは、始めは父なのに途中で必ず夫に変わってしまう事。
自分では全然そう思わないのですが、mちゃん曰く、私はファザコンと、
不器用で、へそ曲がりで、ちょっと変人で、そんな父が大好きだったわけでもなかったので少々憮然としていたのですが、繰り返しそんな夢を見ているうちに、私が夫に求めているの結局は父性なのかな。。。と思うようになりました。
いつでも暖かく見守り、認め、支持してくれる父性です。
正直で単純明快な夫と父は、一見まるで違いますが、私が本当に安心できる部分は一緒だったのかもしれません。
言い換えれば夫を通して、やっと父の本質を理解出来るようになったのかも・・・
それに対して、けんたと下の娘への類似点は???
もともと、全然犬が好きではなかった私がけんたを飼う事になったのは、その当時苦しんでいた空の巣症候群のせい。
入浴していた時、ドアの曇りガラスの向うに子犬のけんたが座って待っていた時の感動を、私は忘れる事が出来ません。
けんたの座っていたその場所に、14年前、まさに幼かった下の娘が座って、私がお風呂から上がるのを何時も待っていたからです。
曇りガラスの向うに見えるけんたの小さな姿に娘の姿がだぶって、ああ、私はこれを求めていたのだと。
つまり、けんたは親離れしてしまった末っ子に対する私の「まだ母性を発揮したい」という渇望の受け皿だったのでしょうね。
だから、今でも夢の中でけんたと末っ子が同化してしまうのかも・・・・
それにしてもけんた君。
天国でピョンピョン楽しそうに駆け回っている姿を何時も想像しているんだから、あんな淋しそうな不安そうな顔をして夢に出ないでおくれ
大掃除で忙しかったせいではありません。
久し振りにけんたの夢を見てしまい、悶々としてしまって・・・
散歩している私の前をトボトボと歩いているけんた。
「歩かなければ体力が落ちるから」と思いながらも、その後ろ姿が切なくて「けんた」と呼んで振り返ったその顔が余りにもショボショボしていて・・・・
もう、胸がつまって「もういいよ、お母さんがずっとずっと抱っこして歩こうね」と抱き上げたのですが、その湿っぽくて暖かい体が哀しくて
「ごめんね、ごめんね」と心で泣いて、それでもそれを気取られないように抱っこして歩いているうちに、けんたへの想いが途中で下の娘へと変化して・・・・・・・・殆ど号泣しそうになって目が覚めました。
亡くなった父の夢も以前はよく見ました。
不思議なのは、始めは父なのに途中で必ず夫に変わってしまう事。
自分では全然そう思わないのですが、mちゃん曰く、私はファザコンと、
不器用で、へそ曲がりで、ちょっと変人で、そんな父が大好きだったわけでもなかったので少々憮然としていたのですが、繰り返しそんな夢を見ているうちに、私が夫に求めているの結局は父性なのかな。。。と思うようになりました。
いつでも暖かく見守り、認め、支持してくれる父性です。
正直で単純明快な夫と父は、一見まるで違いますが、私が本当に安心できる部分は一緒だったのかもしれません。
言い換えれば夫を通して、やっと父の本質を理解出来るようになったのかも・・・
それに対して、けんたと下の娘への類似点は???
もともと、全然犬が好きではなかった私がけんたを飼う事になったのは、その当時苦しんでいた空の巣症候群のせい。
入浴していた時、ドアの曇りガラスの向うに子犬のけんたが座って待っていた時の感動を、私は忘れる事が出来ません。
けんたの座っていたその場所に、14年前、まさに幼かった下の娘が座って、私がお風呂から上がるのを何時も待っていたからです。
曇りガラスの向うに見えるけんたの小さな姿に娘の姿がだぶって、ああ、私はこれを求めていたのだと。
つまり、けんたは親離れしてしまった末っ子に対する私の「まだ母性を発揮したい」という渇望の受け皿だったのでしょうね。
だから、今でも夢の中でけんたと末っ子が同化してしまうのかも・・・・
それにしてもけんた君。
天国でピョンピョン楽しそうに駆け回っている姿を何時も想像しているんだから、あんな淋しそうな不安そうな顔をして夢に出ないでおくれ
だけどそれは大切な人がいた証拠だ、大切な人のために生きた証拠だ。
全てが満たされていたと思っていた子供時代にももう戻れないのかもしれないけど俺はそれでいい。
木皿泉っていう、脚本家の書いたセリフです。
夢って不思議だね。
いろんな心の深い部分が、ひょいと出てくることあるよね。
私って、こんなこと、実は思っていたのか???って。
こんな風に、いつまでも思い出してくれる飼い主に
飼われて、本当にケンちゃんは幸せだと思う。
ご夫婦二人で作品を書いている脚本家ですね。
つい最近、エッセイを読んだばかりです。
空洞は大切な人と生きた証拠。
そうかもしれないね。
でも空洞は何もない穴ではない。
その人と生きていた時よりもっと濃密な、エキスのようなものに満たされている。
そんな気がします。