多和田葉子はいま、仏・ボルドーにいるらしい。
公式HPhttp://www.tawada.de/ を見ると、
日々の多くを旅先で暮らしているのだなぁと感じる。
エッセイに、
揺れる汽車の中で書くことが多く、それが当たり前のようになっていると書いてあった。
4月の対談でも、芭蕉の「月日は百代の過客にして・・・」の一節を取り上げていた。
(話は逸れるが、たしか「月日」というのは日本人の発想で、<月と太陽>と直訳するとドイツ人には全然わからないという話だったと思う)
彼女の発言に時々、芭蕉の句がでてくる。芭蕉に惹かれているのかもしれない。
多和田葉子は、定着することを捨て、あえてそのような暮らし方を選んでいる。
そもそも定着(定住)とは何なのか。私たちの「あるべき」「本来の」場というものを信用していないのだ。
旅(移動)しつづけることによって見えてくるものがある。
AとBを結ぶ線上を飛び回るイメージだ。飛び回るうちに、自明と思われたAとBも次第にずれていく。旅によって揺さぶりをかけるのだ。
時間に追われて生活していると、読書や、まして小説を書く時間など確保するのはなかなか難しい。
でもそんなことは言ってられない。
どこにいても、書けますよ! 書こうという意志があればネ!
そんな声が聞こえる気がする。