蓼食う虫

東京に住む中年女の独り言。読書日記を中心に、あまから時評などもお送りします。

岩谷時子の愛について

2005-11-28 17:39:18 | Weblog

 フジTVで放映された女の一代記、第2夜は越路吹雪「愛の生涯~この命燃えつきるまで私は歌う」を見る。

 越路吹雪と岩谷時子の親密な友情関係はよく知られていて、このドラマもその線上によく作られていたとは思う。

 天海祐希は歌も演技も凡俗、でも松下由樹の岩谷時子は結構良かったのではないかと思う。

 松下演じる岩谷が越路に抱いていたのはまぎれもなく愛である。これが今回の発見だった。

 ゴールデンタイムのドラマということもあって、それは決して同性間の愛情だとは「言えない」けれど、視聴者の多くは彼女たちの関係の中に、友情を超えた愛を見たのではないだろうか。


 岩谷時子の愛の形についてこんなことを考えてみた。

 以下はわたしが感じ取った「仮定の愛」の話である。
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 ドラマの冒頭に流れた岩谷時子の書いた詩が衝撃だった。(ちなみにこれは岩谷著『愛と哀しみのルフラン』からの引用)

 「眠れぬ夜の長恨歌」

 越路吹雪よ/四十年近い友情は/月日と共に昇華され/あなたは今/私の胎内に宿る/
 ・・・・越路吹雪よ/遠い天国への道で/もしも責苦を受けるときは/おんなに生まれながら/まだ知らぬ陣痛を/私に起こせ/激しく激しく起こすのだ/あなたの苦しみを/私は共に苦しもう/あなたの痛みを/私は共に痛みたい/越路吹雪よ/寒くはないか/私は寒い
 ・・・・越路吹雪よ 淋しくはないか/私は淋しい/越路吹雪よ/顔がみたい/声が聞きたい/この息が絶えるときまで/私のなかに抱き続けようとも/もはや言葉を交わせぬとは
 ・・・・越路吹雪よ/そこは住みよい処だろうか/越路吹雪よ/あなたとの別れは/あまりにも早すぎ/私が希望を探すには/遅すぎた/越路吹雪よ/越路吹雪よ/逢いに行ってはいけないか/越路吹雪よ

 
 詩人としても有名な岩谷が越路の死後、レクイエムとして書いたものらしい。

 私はそれまで岩谷の詩を読んだことがなかったので、本当に驚いてしまった。なんだこれは・・・!!ってな感じで。
 この詩がすべてである。すべてを言い尽くしている。

 
 岩谷は自分の訳詞を通して、越路への愛を表現してきたのではないか。 

 この視点から越路の歌う(岩谷訳詞の)シャンソンを聴き直してみると、そう読める詞ばかりではないか!

 「夢の中に君がいる」も「ラストダンスは私に」もそれに「愛の賛歌」・・・・・聴けば聴くほど・・・興奮してしまう。

 自分の愛する人への想いを、愛する人その本人に歌わせることによって成就させる愛だ。
 
 越路へ宛てた愛の歌は、越路が歌うことによって万人に受け入れられ普遍化され、絶対化され至高のものとなった。

 岩谷時子の訳詞は物足りない、という意見をよく聞く。

 私も今までそう思っていた。ちょっとお嬢さん的で品が良くて節度があって、と。

 でもそれは間違いだ。 

 岩谷の詞は品が良くて節度があって、理想的でなければならなかったのだ。

 性愛を諦め、恋愛によってでもなく、歌として昇華させた愛は、より理想化され、純化されていく。

 けれど、これこそ、岩谷の独占欲・愛欲の裏返しではないだろうか。

 なぜなら越路の歌は、あたしの歌詞でなければ十全ではないのだから。

 越路がもし他の人の歌詞を歌っていたらどうであろう。
 あそこまで迫力ある歌になっていただろうか?

 そう考えていくと、越路の歌があれほどになったのは、岩谷の燃えたぎる愛があったからこそなのではないだろうか(もちろん、類い希なる越路の才能があって歌は開花したのだが)。

 愛する人が自分の愛を歌い、それに万人が感動する---この瞬間に、岩谷は越路への愛の成就を感じていたに違いない。

 
 岩谷の愛から始まる関係。
 狂おしい愛なくしては成り立たない「友情」関係。一方的な愛。

 岩谷自身が、この「愛の仕組み」を意識していたかどうかはわからない。

 彼女はただひたすら越路への燃えるような想いを歌詞に置き換えていっただけなのかもしれない。

 それしか愛を表現する手段はなかったのだから。

 もう一度、愛の賛歌を聴いた。

 あなたの燃える手で/あたしを抱きしめて/ただふたりだけで生きていたいの/

 ただいのちの限り/あたしは愛したい/いのちの限りに/あなたを愛したい・・・

 あなたと二人で暮らせるものなら/なんにもいらない

 あなたと二人で生きていくのよ/あたしの願いはただそれだけよ/あなたと二人

 
  
 多くの人に受け入れられた歌の中に、

 こんな密やかな関係が育っていたのだ。

 岩谷は越路吹雪のマネージャーをしながらも全く報酬を受け取らなかったという。

 コウちゃんと対等でいたいから、という理由で。

 戦前から戦後へつづく昭和の時代、ここに自分の愛を貫いた、ひとりの日本女性の姿を発見する。

 その激しさと強さの前に、私は言葉をなくすしかない。