「聖女伝説」(太田出版1996)は多和田葉子のエキスが入っている。
以下、気になった箇所を抜粋していく。
(この小説には頁数がない。もし製本から紙が抜け落ちてばらばらになってしまったら、それはそのまま読んでもいいということだ。道端に散らばった言葉の束をひとつひとつ拾い集めていくのも悪くない。)
身を削る思いで、身を削られて、完成すると、実を結ぶこともなく、置き忘れられていく、わたしはそんな
こけしになりました。わたしは、恐いと思いながらも少しほっとしていました。こけしの身体の中には空
洞がなく、ぎっしり木がつまっていて、魂の入る場所がありません。だから、魂を奪われる心配がありま
せん。血の流れる場所もありません。だから、他人と血でつながれる心配もありません。血がつながって
いる、というのならまだしも、血でつながっているというのは、恐ろしい表現です。誰彼の血が流れている、
というのも、恐ろしい表現です。それはまるで、他人そのものが血になって、自分の肉の合間を割って
流れ走っていくようではありませんか。わたしは、こけしの血が流れているからこけしなのではありませ
ん。わたしが、こけしであるとしたら、わたしはコケシという単語から生まれたからです。コケシという言葉
があり、それが発光したために、色や形が生まれ、色は暗闇を犯し、形は空気を犯し、こけしが誕生
したのです。それでも、こけしはコケシという言葉から別のものに成りきれたのではありません。こけしであ
るわたしの源には、コケシという言葉があり続けます。子供を消して作った人形だから、こけしというのだそ
うです。消されたものがわたしの起源です。