吉兆あゆ(占出山由来)
各鉾の下では、その鉾の「ちまき」(※食べれません
藁で作られた玄関先に置くお守です。)
手ぬぐいなどオリジナルグッツが販売されています。
占出山(うらでやま)では、鮎菓子が売っていました
占出山(うらでやま)
日本書紀によると神功皇后は肥前国松浦の玉島川の
岩の上から縫針を曲げてつりばしとし裳を抜いて釣糸とし
米粒を餌として川に入れ、戦勝ならば直に魚をと祈願され
たとこを早速に魚が漁れ皇后はこの‘吉兆'にたいそう
お喜びになった。
「鮎」の字は中国では「なまず」のことであるが魚を釣って
占われたので、日本ではこの字を「あゆ」と読むことにな
ったとも云われている。
神功天皇は第十四代仲哀天皇の后である。
軍議中に天皇が急逝されたため皇后は後に應神天皇となら
れる皇子を妊り既に産み月であったにかかわらず、凱旋
するまで産まないことを誓って喪を秘し男装して出征された。
そしてこの築紫へ戻ってお産されたのである。
この故をもって神功皇后は「安産の神」として信仰される。
またの名を「あゆ釣り山」という。
ふらふらを歩いていて、行き着いた鉾で
あえて探して行った訳ではありませんが・・・
「安産の神」???
あやかりましょう
その前に・・・
各鉾の下では、その鉾の「ちまき」(※食べれません
藁で作られた玄関先に置くお守です。)
手ぬぐいなどオリジナルグッツが販売されています。
占出山(うらでやま)では、鮎菓子が売っていました
占出山(うらでやま)
日本書紀によると神功皇后は肥前国松浦の玉島川の
岩の上から縫針を曲げてつりばしとし裳を抜いて釣糸とし
米粒を餌として川に入れ、戦勝ならば直に魚をと祈願され
たとこを早速に魚が漁れ皇后はこの‘吉兆'にたいそう
お喜びになった。
「鮎」の字は中国では「なまず」のことであるが魚を釣って
占われたので、日本ではこの字を「あゆ」と読むことにな
ったとも云われている。
神功天皇は第十四代仲哀天皇の后である。
軍議中に天皇が急逝されたため皇后は後に應神天皇となら
れる皇子を妊り既に産み月であったにかかわらず、凱旋
するまで産まないことを誓って喪を秘し男装して出征された。
そしてこの築紫へ戻ってお産されたのである。
この故をもって神功皇后は「安産の神」として信仰される。
またの名を「あゆ釣り山」という。
ふらふらを歩いていて、行き着いた鉾で
あえて探して行った訳ではありませんが・・・
「安産の神」???
あやかりましょう
その前に・・・