2024.5.25
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 巻3-416
歌人:大津皇子
大津皇子の死を被りし時に、磐余(いはれ)の池の陂(つつみ)にして涕(なみだ)を流して作りませる御歌一首
訓み:ももづたふいはれのいけになくかもをけふのみみてやくもがくりなむ
現代語訳:百に通じる五十(い)――磐余の池に鳴く鴨を、今日を限りとして見て、わたしは雲の彼方に去るのだろうか。
天武天皇崩御あとの悲しい王位継承にまつわる悲劇
謀反の罪で捕らわれた翌日に自害
どれだけ無念だっただろうか。 大津皇子だって皇室の人。 母は持統天皇の姉の太田皇女だし父は天武天皇
ただ、太田皇女が大津が5歳の時に亡くなっているのと、持統天皇の息子の草壁皇子の方が少し年上なんですよね。
持統天皇がきっと自分の息子の草壁に次いでほしかったんだろうと推測できるが、でも、処刑しなくたってよかったよね。
自害の知らせを聞いて大津皇子の奥さんの山辺皇女が髪を振り乱して走ってきて磐余の池に身を投げて亡くなった
あー、、、、涙。 二上山を見てはこの悲劇に胸が締め付けられる
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