なんかね、ふと思うの。最近。
生きていくことは大変なんだ、と。
舞台舞台だった1年が落ち着き、最近ちょっと普通の生活が戻ってきた。
掃除や洗濯、お弁当作りや夕食作り、どれもキライじゃないけれど、やることが毎日なくならない。
それが、生きていくということなのだ。
忙しさに負けて、ものすごく手を抜いていたことに気付かされた。
自分が小さいころから描いていた「大人像」ってあって。
それはいつのときも変わらなかった。
「身長が163cmで胸がCカップで足が23cmの家庭を支える母」
なんか変なんだけど、大人になったら、みんなそうなるものだと思ってた。
そしてその大人像は「生きていくこと」を当たり前のようにこなし、たくさんの小さな喜びに包まれる。
自分の描いた大人像には何一つ当てはまっていないあたしは、あたしのルールの中ではまだまだ子供なのかしら。
自然とそうなると思っていた大人像への距離を感じ、ちょっとした焦りとかすかな喜びを感じる。
最近、中学・高校時代の大同窓会を企画中で、母になった同級生の声や話題をよく耳にする。
だからかな、こんなことを思うのは。
「あぁ、みんなあたしの描いてた大人像やってるんだ」って。
(サイズとか家庭を支えてるのかとよく知らないけどね)
想像を超えた大人を満喫している今の自分と、あたしの想像していた大人像を満喫している同級生への憧れと・・・。
人はないものねだりで、きっとそれは一生続く。
それもまた、生きていくということなのだ。
生きていくことは大変なんだ、と。
舞台舞台だった1年が落ち着き、最近ちょっと普通の生活が戻ってきた。
掃除や洗濯、お弁当作りや夕食作り、どれもキライじゃないけれど、やることが毎日なくならない。
それが、生きていくということなのだ。
忙しさに負けて、ものすごく手を抜いていたことに気付かされた。
自分が小さいころから描いていた「大人像」ってあって。
それはいつのときも変わらなかった。
「身長が163cmで胸がCカップで足が23cmの家庭を支える母」
なんか変なんだけど、大人になったら、みんなそうなるものだと思ってた。
そしてその大人像は「生きていくこと」を当たり前のようにこなし、たくさんの小さな喜びに包まれる。
自分の描いた大人像には何一つ当てはまっていないあたしは、あたしのルールの中ではまだまだ子供なのかしら。
自然とそうなると思っていた大人像への距離を感じ、ちょっとした焦りとかすかな喜びを感じる。
最近、中学・高校時代の大同窓会を企画中で、母になった同級生の声や話題をよく耳にする。
だからかな、こんなことを思うのは。
「あぁ、みんなあたしの描いてた大人像やってるんだ」って。
(サイズとか家庭を支えてるのかとよく知らないけどね)
想像を超えた大人を満喫している今の自分と、あたしの想像していた大人像を満喫している同級生への憧れと・・・。
人はないものねだりで、きっとそれは一生続く。
それもまた、生きていくということなのだ。