今日の大阪はまだ30度には至っていない(午後2時現在)。29.5度。ぎりぎりセーフ(^^ゞ
午後3時の記録を待たないと分からないが、おそらく真夏日は免れるだろう。
地球規模の温暖化、都市のヒートアイランド化は深刻な問題だが、ここ大阪はそれに加えておそらく地理的な要因も加わって特に暑い。関西の都市では京都も暑いので有名だけれど、暑さの種類が違うような気がする。沖縄より暑い日だっていくらもある。
暑さの苦手な私は、もし事情が許せばすぐにでも大阪を逃げ出したいと、暑い季節になるたびに思う。そしてここ大阪に住むことになったことを後悔する。
実は大阪に来る前(ウン十年前)、大阪というところを極端に嫌っていた。大阪にだけは絶対に住みたくないと思っていた。空気は汚い、緑は少ない(これは今でも)、ガラが悪い、文化不毛の地(偉大なる田舎という言葉もあった=誤解を恐れずにいえば、地方出身者が多く、独自の文化が希薄な東京こそ、その言葉がふさわしいような気もするが)…等々。しかし人生皮肉なもので、その大嫌いな大阪に住むことになってしまったのだ。
ただ、なぜ「大阪が嫌い」だったかを考えてみると、中央(東京)発の情報に毒されていたきらいがなくもない、と今になって思う。当時は地方に入ってくる情報といえば圧倒的に東京発のものが多かった。そして情報に飢えた地方の人たちの上に、東京発の情報がまるでシャワーのように降り注いだ。
当然大阪に関する情報も、東京のフィルターを通ったものしか入ってこなかった。そんな東京人の持つステレオタイプで歪んだ大阪のイメージを、四国の田舎に住んでいる我々も、知らず知らずのうちに受け入れていたわけである。これは別に東京を非難しているのではない。情報というものは距離(物理的にも文化的にも)と時間をおくと、得てして歪んでしまうものだ。歪みの大きさは情報量に反比例するとも言える。
しかし、長年大阪に住んでみると、そのイメージが間違ったものであることに気がつく。もちろんイメージそのままのものもあるけれど、多くは覆された。そして好きな部分も大いに発見した。深い歴史をもち、豊かな文化もある。住めば都とはよく言ったもので、その土地のよさは住んでみないと分からないのである。
そんなわけで大阪とかかわってきた私であるが、事前の情報に「暑さ」は入ってなかった。これは伏兵だった。もし暑いことを事前に知っていたら、来ることをやめていたかもしれない。
そして、年々猛威を増す大阪のこの暑さだけは、慣れるどころかますますもって大の苦手なのである(^^;