~1995年1月28日(土)の日記から~
震災後、ずっとぼくはラジオ(おもに関西の民放AM局)を聞き続けてきた。ラジオの地震関連の番組の中で、いろいろな音楽が流れた。
応援メッセージ風の、がんばれがんばれ!といった元気一杯の曲も多くかかった。被災者を励ましたいためなのだろうけれど、しかしこれはちょっと違うのではないかと思った。被災者の心境にそぐわないのではないか。もう少し後になってからならいいのかもしれないが、少なくとも今はまだ早い。歌っている側と、聴いている側との心のギャップがありすぎて、それを聴いた被災者たちはかえって打ちのめされるのではないか。被災者の心に染み込まないのではないか。僕が被災者だったら絶対聴きたくない、と思った。
そんな中で、ひとつだけ心に染みた曲があった。それは中島みゆきの「時代」という曲だった。
僕はそれまでこの曲にそれほどの関心を持っていなかった。
ある民放の震災関連の番組の中で、被災者たちのためにボランティアで救援活動をしている、ある医師からのメッセージが読み上げられた。彼は現場のテントにラジカセを持ち込んで、救援活動に疲れたときの慰めに音楽を聴いていた。あるとき中島みゆきの「時代」がラジカセから流れた。現場の状況と歌の内容がオーバーラップして、思わず泣いてしまった……そんな内容だった。そしてメッセージ紹介のあと、その「時代」がラジオから流れてきた。
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう 二度と笑顔には なれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
はじめてぼくはこの曲に感動した。こんなに心に染みる曲だったのだ。
まさに震災のためにつくられた曲のようだった。
聴きながら僕も泣いてしまった、不覚にも。
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(この時以来、この曲が私にとって特別の存在になったのはいうまでもない)
震災後、ずっとぼくはラジオ(おもに関西の民放AM局)を聞き続けてきた。ラジオの地震関連の番組の中で、いろいろな音楽が流れた。
応援メッセージ風の、がんばれがんばれ!といった元気一杯の曲も多くかかった。被災者を励ましたいためなのだろうけれど、しかしこれはちょっと違うのではないかと思った。被災者の心境にそぐわないのではないか。もう少し後になってからならいいのかもしれないが、少なくとも今はまだ早い。歌っている側と、聴いている側との心のギャップがありすぎて、それを聴いた被災者たちはかえって打ちのめされるのではないか。被災者の心に染み込まないのではないか。僕が被災者だったら絶対聴きたくない、と思った。
そんな中で、ひとつだけ心に染みた曲があった。それは中島みゆきの「時代」という曲だった。
僕はそれまでこの曲にそれほどの関心を持っていなかった。
ある民放の震災関連の番組の中で、被災者たちのためにボランティアで救援活動をしている、ある医師からのメッセージが読み上げられた。彼は現場のテントにラジカセを持ち込んで、救援活動に疲れたときの慰めに音楽を聴いていた。あるとき中島みゆきの「時代」がラジカセから流れた。現場の状況と歌の内容がオーバーラップして、思わず泣いてしまった……そんな内容だった。そしてメッセージ紹介のあと、その「時代」がラジオから流れてきた。
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう 二度と笑顔には なれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
はじめてぼくはこの曲に感動した。こんなに心に染みる曲だったのだ。
まさに震災のためにつくられた曲のようだった。
聴きながら僕も泣いてしまった、不覚にも。
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(この時以来、この曲が私にとって特別の存在になったのはいうまでもない)