えー。
さんざん引き伸ばして書き散らかしてきた妖怪話シリーズ。
今日でいよいよ本当に、本当にファイナルシーズンです。
皆さんほっと、胸をなで下ろしていることでしょうな。
そもそも、「名称の発生」とは、どういった現象なのか。
元を正せば「物の名称」などと言うものは、
会話をするときに“所在や存在をわかりやすくする”ために
人間が勝手につけているだけに過ぎない。
“そのもの”がいちいち自分たちのことを、
「今日からボクたちを“猫”って呼んでほしいニャー」だの
「とりあえずオレたちは“鯉”って通り名でよろしこ」だの
言い出したわけではないからだ。
何たって人間でさえ、名前どころか
あだ名ですら自分で付けられないのが普通で
E電だろーがアミーゴだろーが、“本人言い出し系”などは
即却下されるのがよい例だ。
要は単なる“第三者の利便性や好み”の問題だと言える。
その中から最大公約数的な要素を持ったものが、「正式名称」
内輪受け、楽屋落ち的な要素を持ったものが、「あだ名」
として定着する。それだけの話だ。
だったら別に。
個人で勝手に呼称する「あだ名」においては
鯉のことを河童と言っても問題はなかろうて。
鯉や落ち武者から苦情が来るとも思えないし、
「カマキリ」という名称の虫もいれば、魚もいるのだから。
(↑これはマジで)
だから京都の某神社で見かけたあの生き物は、河童なのだ。
ま、当時の落ち武者は内心、
『河童って言うな!』などと思っていたかもしれないが。
立場的にちょっと言いづらいだろうしなあ。
…という、長い長い「言葉のロジック遊び」でした。
余談ながら。
自分の周りのヤロウどもに
「河童に尻小玉を抜かれるのと、河童頭のオヤジに尻を狙われるのと
どっちがマシか?」とたずねたところ。
満場一致で、「河童でお願いします」との事だった。
やっぱみんな、河童のこと信じてるじゃねーか。
…って、さんざん引っぱってそんなオチかよ!!怒!!
さんざん引き伸ばして書き散らかしてきた妖怪話シリーズ。
今日でいよいよ本当に、本当にファイナルシーズンです。
皆さんほっと、胸をなで下ろしていることでしょうな。
そもそも、「名称の発生」とは、どういった現象なのか。
元を正せば「物の名称」などと言うものは、
会話をするときに“所在や存在をわかりやすくする”ために
人間が勝手につけているだけに過ぎない。
“そのもの”がいちいち自分たちのことを、
「今日からボクたちを“猫”って呼んでほしいニャー」だの
「とりあえずオレたちは“鯉”って通り名でよろしこ」だの
言い出したわけではないからだ。
何たって人間でさえ、名前どころか
あだ名ですら自分で付けられないのが普通で
E電だろーがアミーゴだろーが、“本人言い出し系”などは
即却下されるのがよい例だ。
要は単なる“第三者の利便性や好み”の問題だと言える。
その中から最大公約数的な要素を持ったものが、「正式名称」
内輪受け、楽屋落ち的な要素を持ったものが、「あだ名」
として定着する。それだけの話だ。
だったら別に。
個人で勝手に呼称する「あだ名」においては
鯉のことを河童と言っても問題はなかろうて。
鯉や落ち武者から苦情が来るとも思えないし、
「カマキリ」という名称の虫もいれば、魚もいるのだから。
(↑これはマジで)
だから京都の某神社で見かけたあの生き物は、河童なのだ。
ま、当時の落ち武者は内心、
『河童って言うな!』などと思っていたかもしれないが。
立場的にちょっと言いづらいだろうしなあ。
…という、長い長い「言葉のロジック遊び」でした。
余談ながら。
自分の周りのヤロウどもに
「河童に尻小玉を抜かれるのと、河童頭のオヤジに尻を狙われるのと
どっちがマシか?」とたずねたところ。
満場一致で、「河童でお願いします」との事だった。
やっぱみんな、河童のこと信じてるじゃねーか。
…って、さんざん引っぱってそんなオチかよ!!怒!!
