俺の日記

内容はないよう

明日から

2009年03月31日 | 保育士
晴れ
薄い雲が覆っていたが、日中は日差しが温かく過ごしやすい陽気だった。


今日は仕事が休み。
明日から新しい職場で働くので“時間がある時に行こう”と、午前中に耳鼻科へ行った。
約1ヶ月ぶりの診察。
鼻水が相変わらず酷かったので、その事を告げたら、
「ああ、まだ(鼻水が)ドロドロだね… 薬が効いてないな… 新しい薬を出しておきます」
という感じで、まだ蓄膿は治ってなく、再び1週間後に診察に行かなければいけなくなった。

その時(病院にいる時)は知らなかったが、1週間後は入園式がある
123人の園児の名前を覚え、勿論、職員の名前も覚え、
異年齢児保育に慣れないといけないし、園の1日の流れも覚えないといけない。

なんだか新年度早々、大変な日々を送る事になりそうだ。

晴れているのだけれど薄い雲に覆われていてスッキリしない空模様と同じように、心にポッカリと穴が空いたような虚しいようで清々しい、変な気分で今日を過ごした。

明日からに備えて準備しようと思っていたが、結局、何もせず。
昨日、頂いたものを見たり、それまで1年間に園児に貰ったもの(手紙や折り紙等で作った作品)を見ては胸が熱くなった

遂に、昨日、1年間お世話になった保育園とお別れをした。

昨日は午前中は、職員室のワックスがけをはじめ、園の貸し出し用の服のサイズの振り分け等、新年度に向けての作業をした。
最後の日という事で職員さん達と和気藹々と過ごした。

皆、良い人達だ。

午後からはずっと年少組に入って保育した。
延長保育時には、園児の人数が少なく、通常は2人で見ているところ“先生は1人だけでいい”という事になり、担任の先生の計らいで、俺が年少組を見るという事になった。

給食後、急に、年少組の担任の先生が園児を1カ所に集まらせ、「残念なお知らせです」と暗い感じで何が始まるのかと思ったら、サプライズで俺の為に送別会的な事をしてもらった。
そこで、年少児1人1人が俺の顔をイメージした絵とメッセージ付きのカード(というよりも冊子状のもの)を渡され、担任の先生2人と加配保育士さんからプレゼントを頂いた。

思わぬ展開に涙しそうになったが、そこは堪えて「ありがとう」「皆も年中さん、頑張ってね」と言葉をかけた。

その後に、意表をつかれるような感じでSちゃんから、大きな紙1面に描かれた絵を貰った。
そんなに接する機会もなく、「好き」と寄られる事もなかった娘だったので意外でした。
しかし、嬉しかった。

さっき、園児からのプレゼントを見ていたが、園児の作品に隠れるような感じの所に(年少組は2クラスあるのだが)一方の先生からのメッセージが書かれてある事に気づいて読んだが、これまた意表をつかれた感じで思わず涙が溢れた。

いい先生です。

延長保育の後半、夕方に帰宅するパートの先生2人からもプレゼントを頂いたが、その方達はブラジル系の方で、中身はブラジル(だと思う)のお菓子だった。
自分には縁がないと思っていた国際化社会を体験していたのだなと思いつつ、折角の出会いだから、もっと外国の事を聞いたりすれば良かったなぁ と今になって後悔していたりする。

最後、主任先生から、異年齢児保育について、2、3アドバイスを貰い、とても参考になった。
最後は“保育所保育指針”だそうです
保育所保育指針に目を通して、それを参考に1人1人に合った接し方をしていくのが基本。

最近、保育所保育指針も改訂されているので、定額給付金で買おうと心に誓った。
ここはいつ給付されるのだろうか?
4月だとか6月だとか、今イチわからない。

嗚呼、話しが逸れたが、兎に角、明日から。

この1年、ここ1ヶ月で“一期一会”の大切さを痛感した
明日から新しい職場で、新しい出会いを楽しみに(思えないのは何故だろう?)頑張ろう。

上手くできるか不安だ。
というか、週6日勤務って酷くないか。

この日記も、これからは週1日、日曜日更新になるのだろうな。


(せ~のっ!) おつかれ~~!!

残り1日

2009年03月29日 | Weblog
晴れ
風が吹いていて寒かったが、日中は日差しの温かさを感じる事ができた。


今働いている園での仕事も残り1日となり、妙な虚しさを持ちつつも、
午前中は部屋の掃除をし、布団も干し、
店が開く時間を見計らって、愚かな知人についてきてもらい、職員の方に“お世話になりました”的なお菓子を購入する。
このお菓子選びも、職員の数が中途半端に多く、それに見合った数のお菓子セットを探したが、候補が数種類あり、どれにしようか?暫く時間がかかった(結局、チョコレートにした)。

その後、昼からは母親方の祖父の家に行った。
特に用事はなかったものの、正月以来、ずっと行ってなかったので、たまには顔を出さないといけないかなと思い、今日はついていった。

今日は勢力的に動いたな
と同時に、無駄に疲れた感は否めない。

最後、先週、ずっと休んでいたRちゃんに“おてがみ”を書こうか迷ったが、結局、書いている時間がなかった(というか、今日の大半は母方の実家にいたから書く環境下にいなかった)ので、書かず終い。

この日記を書いていないで、手紙の方を書けば良かったような気もするが、気のせいだと思い込もう。


そのRちゃんが休んでいなかった先週の保育だが、Mちゃん、Aちゃんは、すでに休みの為、登園してない訳で、仕事しても、何だかしっくりこなかった。
やはり、あの子等に引っ張られて、保育していたのだろう

もう会えなくなると思うと寂しいです。

先週は、水曜日に有休をもらい(正確には「もう、この日ぐらいしか休みが取れないから、有休が使いたいなら、この日にして」と半ば強制的に決められた)休んだのだが、その次の日に何故か高熱を出し、出勤したものの「無理しないで、もう帰ってもいいよ」と言われるままに早退する醜態をさらしていた。

“病は気から”というが、明らかに気持ちが沈んでいたのでしょう
次の金曜日は、“ここで働くのは残り2日しかない”という現実に、休んでられないという強い気持ちで出勤し、ややフラフラながら頑張って仕事をした。

最後の最後まで、病弱な自分の体に情けなさを感じずにはいられないね。

泣いても笑っても、残り明日1日が最後。
1日、無事に保育が全うできるよう、頑張ろう。

やっぱりRちゃんにおてがみを書こうかな。
というか、他の園児の分も書くべきなのだろうか?


(せ~のっ!) おつかれ~~!!

新職場訪問

2009年03月28日 | 保育士
晴れ
日差しはあったものの、風が強く吹いていて寒かった。


今日は朝から緊張していた。
昨日の夜までは全く緊張せずに過ごせていたのだが(今働いている所で仕事するのが残り1日となったので、そっちの悲しさが強かった為と思われる)、今朝から極端に緊張し、食事が喉を通らないほどだった。

3日前の電話での約束では「7時30分から19時30分までなら何時に来てもらってもかまいませんよ」と、やや適当さ加減が気になりつつも
「では10時に伺います」と答えた。
10時になるまでの長い事、長い事
高校野球を見ながら時間になるのを待っていたが、プレーが脳にまで伝わらない状態。

兎にも角にも、緊張しながらの訪問となった。
通勤時間は10分ジャスト。
今働いている所からは雲泥の差。
物凄く、近い。

さて、駐車場に勝手に車を停めて、入り口はどこだろう?と探し、近くにあったドアを開けようとしたら鍵がかけられていて開かず…
これはどういった事か?と思いつつ、周りを見渡していたら、右隅のやや離れた所に、呼び鈴が申し訳無さげについていた。

後から聞いた話では、ここのドアは常に鍵をかけておく事になっているらしい。
職員が出勤する時に、いちいち、呼び鈴ならされ鍵を開けに行くのは、労力・時間的に無駄なのでは?

今働いている園では、職員の出勤時間までは裏口のドアは鍵が開けられていたが…

呼び鈴を鳴らし、若めの職員が出迎え、そのまま職員室(その職員は“事務室”と言っていた)に誘導してくれた。

先に全体を見た印象を書いておくと、物凄く小さく感じました
1つ1つの部屋も狭く、その為か暗く感じた。
後は、建物自体が古いためでしょう、ボロいなぁ というのが本音。

逆に言うと、今働いている園が極端に大きく、改修が行き届いていた事がわかる。

園児数も120人前後とやや少なめ。
なんとかなるのかなぁ と思いたかったのだが…

「うちの園は、異年齢時の5クラスです」

あまり聞き慣れない用語を出されて、一瞬、戸惑ったが、早い話、3歳、4歳、5歳が一緒くたになったクラスが5クラスある という事。

明らかに保育がし難そうだ。
例えば、運動会や発表会など、同年齢児が集まってやらなければいけない行事もある訳で、その時はどうするのかといえば、

「○○組の△□(赤や黄色等の色)さーん」と呼べば、それぞれの組の3歳児だったら3歳の子が、5歳の子だったら5歳の子が来ます」

そんな上手い事、動くわけあるかいっ! と心の中で叫びつつ「それは凄いですね」等と相槌を打っておきました

あ、そうそう、書き忘れるところだったが、男性保育士さんもいて、物凄く背が高く、爽やかな感じの人だった。
保育歴は俺より長く、先輩なのだが、年齢は俺よりも下。
色々な事を聞く聞き方をどうすればいいのか、今イチ、ピンと来ない。

この数字のマジックは、何だか違和感を持たずにはいられません。

園長先生は物凄く優しそうだったので、それは救いだが、結局、今日俺が訪れた時間帯には主任先生がみえることがなかった。
最後の方で、「何かあったら、まずは主任に聞いて」と職員室にいた先生方にも言われていたので、そこが肝心だな(つまり、主任先生が話しやすい人かどうか)と、少し不安感を持ちつつも、何故か、給食をごちそうになりました。

取り敢えず、色々な説明を受けたのだが、結局、俺は何をすればいいのか、よくわからなかった。
1つ今日得た確かな事は、“4月1日は遅番”だと言う事ぐらい

あと1つ、物凄く不安を持った事は、遅番勤務で、最後施錠やら点検やらをする時にペアを組む(連係を取る)先生が、キツい人らしい という事。

例の“弟の同級生の親”の先生が教えてくれたが、
「○○先生は、悪い人じゃないんだけど、物凄くビシッ、ビシッとしててね、機敏に動いてないと、怒られるかもしれないから気をつけてね」

まず、間違いなく怒られるね、初日から。
なんか(時代を逆行して)完全週休1日制みたいだし…

嗚呼、今働いている園が恋しい。


(せ~のっ!) おつかれ~~!!

最後の晩餐

2009年03月22日 | 保育士

朝から雨風が強かった。
日差しがなかった為、肌寒い1日となった。


今日は1日、眠気との戦い。
頭が働かず、春期保育をするRちゃんへの最後の手紙の文を考えるも、なかなかパッとした文章が思いつかず。

ここ2週間ぐらい、まったく手つかずになっていたユーキャンの「話し方」講座と「国語の常識」講座を進めたが、何だか身に入らず。

眠れなかった。
昨日、食事会に参加し“なんて良い人達なんだろう”と、ここにきて職場が変わる不安感的な物が出始めたのが原因かもしれない。


まずは先週の保育を振り返る。
先週は有休で休んだ先生の代わりにクラスに入ってばかりいたが、年中組に入った時の事。
いつものように、ちょっとしたトラブルで男児2人が言い合いをしていた。
その時、俺は、このクラスの担任から頼まれていた園児に絵を描かせる作業の方を見ていたのだが、何だか言い争いが収まりそうもなかったので仲裁に入ろうと向かった。

が、その時、近くで遊んでいた女児Hちゃんが、
「S君のやった事は、いけないことだよ」
「K君も、そんな事で泣いちゃダメ」
等と先生顔負けの台詞を言い、最後はS君に謝らせて見事に問題を解決していた。

園児間で問題を解決する姿を見て感心させられた
皆、成長しているんだな。

この仕事を選んで良かったなぁ としみじみ感じた。
が、この仕事を選んだ理由が、単に“子どもが好き”といったもの。

先週の後半に、とあるパートの年輩の先生から「臨時職員に決まったお祝いに」とその先生が著した本を頂いた。
数十ページ読んだが、凄い人生を歩んでいるし、物凄く努力されている事を知った。
単に子どもが好きという生半可な気持ちで仕事をしている自分が恥ずかしい

今回、仕事場を変わる理由も、朝一で出勤し、間に4時間空いて、それから夜まで働く勤務に、やる前から耐えれないと想像したからだ。
甘っちょろい覚悟だ

まだ本は1/3程度しか読めてないが、“兎に角がんばらなくちゃいけないな”という気持ちにさせられた。
本をくださった先生には感謝です。


さて、一昨日“明後日書く”といったエピソードを書いてみよう。
それは、春期保育をしない年少児のAちゃんと遊んでいた時の事だった。

いつの頃からかやるようになった“滑り台の立ち滑り”をこの日もしていた
当然、危ないから補助として横から手を繋いで滑らせていた。
というか、立ち滑りをする時(Aちゃん意外の子も)必ず「○○先生(俺の事)こっち来て~」と呼んでくれる。

つまり、俺の補助なしでは立ち滑りをしない、という事が暗黙の了解となっていた訳だ。

先に記しておこう。
年長児や年中児で1人で勝手に立ち滑りをする子もいる(大概、運動神経の良い、活発な子)。
その時は、すでに乳児は部屋に戻っていた。
というか、これまた暗黙の了解で乳児さんがいなくなってから遊ぶ“遊び”となっていた。

その日も例外なく、乳児さんがいなくなってからAちゃんが「先生来て~」と滑り台の上で呼んでいた。

そして、呼ばれるまま、いつものように補助をし滑らせた。
ちょうどその時に乳児クラスの担任の中堅の先生が目の前にいた。
(因みに、先に書いておくが、延長保育の時は、パートの先生が足りない都合でローテーションを組んで、乳児・幼児関係なく各担任の先生が年長児や年中児のクラスに入っている)

物凄い剣幕で睨まれた。
「○○先生(俺の事)が、そうやって補助をしているって事は、それ(立ち滑りをする事)を認めてるって事ですよ」

要するに“そんな危ない遊びをさせるな”“園児が危ない遊びをする時に止めるのも保育士の仕事だ”という事だった。
物凄く怒られました。

まあ、乳児クラスの先生だし、中堅のベテラン先生という事で保育経験も長く、プライドもあるだろうから とそのまま、その注意を受け入れていた。
正直、腹は立ちましたけどね。

危ないからと園児に「アレやるな」「コレやるな」と言ってたら折角の、園児の発想が台無しになるし、体験しようという意欲がなくなってしまう。

園児が危ない事をするのを止めるのが保育士の仕事 と言っていたが、
反対に、如何にして、園児がやりたいと思った遊びをなるべく危険が無いように補助して提供するのも保育士の仕事の筈

“これは危険だからやらせない”と予め決めかかりで消去するのじゃなくて、如何にして園児の気持ちを満足させるか、期待に添えられるかを考えてあげるべきじゃないだろうか?

まあ、怒られた事は、向こうの先生も“新しく働く仕事場でも頑張れよ”という餞別のつもりで言ってくれたのだと思うので良いのだが…
ただ、問題はコレじゃなかった。

立ち滑りをしていたその場で注意されていたので、当然ながら、滑っていたAちゃんにも俺が怒られている姿を見ていた。
その後、Aちゃんは物凄く凹んでいた。

わたしのせいでせんせいがおこられてしまった

いつも活発に動き回っているAちゃんが、その時はうつむき加減でベンチに座っているばかりだった。

何だか悔しかった
なんであの時、“間違った事をやってない”と反抗しなかったのだろう。
なんであの時、“園児はきちんとルールを守って危なくないように遊んでいるんだ”と言えなかったのだろう。

買いかぶりかもしれないが、これでも園児との信頼関係は築けてると思っている。

その日は、すぐにAちゃんのお迎えが来たので、そのまま帰っていった。
そして、次の日。
Aちゃんとの最後の日。

最後に1回だけ滑り台で立ち滑りをやった
思い出作りの為
(正しいとは言わないが)間違った事はしていないとアピールする為


嗚呼、なんか、このまま今日の日記を書き終えた方が綺麗なような気がしてきた。
最後に、昨日の食事会の事を書こうと思ったが、まあ、簡単に書いておこう。

昨日、正直、あまり行く気はなかった。
場所が今イチわからなかったし、遠いし(家から目的地まで1時間20分もかかった)。

しかし、
俺を含めて辞めていく先生1人1人に手作りのアルバム(各職員からのメッセージあり、園児の写真あり、何故か園児と一緒に写っている自分の写真あり)等のサプライズプレゼントがあり。

今年結婚をした先生がいたのだが、その人にも手作りのDVD等をはじめ、メッセージカードなどのプレゼントを用意していた。

辞めていく先生間で、各先生1人1人にプレゼントを渡す事になっていて、1人1人に手渡しして回ったのだが、
涙する先生、激励の言葉をくれる先生、一緒に写真を撮ろうと楽しく振る舞う先生…
皆、良い人達だ

初めて、宴会というか食事会というものが“楽しい”と感じました。

1人1人に手渡しして回っている時、当然、立ち滑りで注意してくれた先生の所にも行ったが、その時に
「○○先生(俺の事)も、新しい所で頑張って」
と激励を貰った。


残り数日。
悔いの無いよう、最後まで保育を全うしよう。


(せ~のっ!) おつかれ~~!!

悲しい別れは呆気なく

2009年03月20日 | 保育士
晴れ
朝のうちは雨が降っていたが、すぐに止み、日中は晴れ渡っていた。
風が強く吹いていたが、汗ばむほど気温が高かった。


今日は1日、無気力感、脱力感に襲われ何もできなかった
唯一やった事といえば、明日の食事会の場所をネット地図で調べた事ぐらい。

ここまで気持ちが落ち込むとは想像してなかった。
体が重く感じる。


思えば、今週はずっと保育に入っていた。
有休の調整だか何だかで、毎日、誰か彼か担任の先生が休んでいたので、代替えでクラスに入っていた。

ただ入るだけなら良いのだが、入ったからには、週案の反省を書かなければいけないし、連絡ノートにも目を通さなければならない。

おまけに、ここにきて
「今年度辞める先生に一言メッセージを書いて来て下さい」
と、紙を渡され(俺も辞めるんだけど、変な感じだ)その文章を各先生分、考えなければいけなかったし、
「辞める先生間で、保育園へプレゼントを渡したいのですが…」
と、今度は今年度で辞める先生方から、“お世話になりました”的なメッセージを書くよう言われ、それを1人1人に渡したいので と(職員は30人近くいるので)30枚近く用紙をコピーし、すでに準備されていたメッセージカードに貼付ける作業をさせられたし…

兎に角、忙しかったし、ずっと保育をしていた(しかも、間に時間を作って、最低限の職員室での事務的な仕事もこなしていた)ので肉体的にもボロボロ。

そんな中、年少児のMちゃん、Aちゃんが春期保育をしないという事で昨日でお別れとなっていたので、最後に手紙を渡そうと、その為の文章も考え、急いで便箋に書かなければいけない展開。

変な作業に時間を取られ、思い通りにはいかず。

Mちゃんの方は、親が妊娠してて出産の為、来年度途中に退園する事が決まっていて、何とかしてクラス全員を写した写真を撮って、そこにメッセージを記入したかったので、今週前半に必死にタイミングを計り写真を撮った。
(なんだかカメラで写真を撮ってはいけないような気がして、他の先生方に気づかれないように写真を撮るのに気疲れした。しかも、年少というだけあってジッとできずに、誰か彼かが横向いたり、画面から出ていたり、と余計に疲れた)

写真の裏面にボールペンでメッセージを記入したが(水性のボールペンで書いていて)、一晩置けば乾くだろう と安直に考えていたら、次の日の朝、写真を手に持ったらインクが滲み、字がグチャグチャになる始末。

これはいけない と大慌てで、再び写真をプリントアウトし、今度は油性のボールペンで記入。
(このボールペン事件は昨日の話)どうにかこうにか間に合って、いざ、最後の日を迎えた。

幸いにも、Mちゃんが在籍しているクラスの担任は主婦で子どもが卒業式だったらしく、半日休んでて、代わりに俺がクラスに入る事になった。

手紙は手渡しせず、そっと鞄に入れておいたが、これが、なかなか至難の業。
部屋に行って早々、「抱っこして~」「おんぶ~」と園児達に寄られ身動きがとれない状況

これはよわった と思いつつも、シール帳を思いついて
「今日のシール貼った?シール帳にシールを貼ってもらいたいけどシール帳は何処にある?」
とわざとらしく聞き、(シール帳は廊下の机の上の籠に入れてある)廊下に取りに行かせ、そのスキに手紙を鞄に入れた。

その後は園庭遊びをしたのだが、最後だからとMちゃん、Aちゃんを中心に遊ぼうと試みるも、園児は2人だけじゃない訳で、あまり一緒にいられる時間が作れなかった。

そこで、給食は隣で食べよう と(というか、Mちゃんの方から、「ここは、先生が座る場所だからダメ」と、悉くMちゃんの隣に座ろうとした園児を拒んで俺の席を確保してくれていた)席を空けておいたのだが…

何故か知らないが、このクラスには補助として園長先生が給食を食べに来ている。
この日も例外なく表れ、見事に園長がMちゃんの隣の席に座っていた
流石に、Mちゃんも園長には太刀打ちできず。
まさか「ここは、僕が座る席です」なんて園長に対して言える筈もなく…
Mちゃんから遠く離れた場所で、ふざけながら食べる男児を注意しながら食べていた。

そして、担任の先生が戻って来られた。
が、その担任の先生もMちゃんの事を知っていたので「ちょっとやらないといけない仕事があるから、もう少し入ってもらっていい?」と粋な計らいをしてくださった。

いつもよりも長い時間、年少組に保育に入っていたので、そこそこ相手ができたかといえば、そうともいかず、他の園児とも平等に相手をしないといけない。
園児間でトラブルを起こすのも日常茶飯事で、その仲裁に入ったりもしたので、なんだかいつもと変わらない保育となっていた。

その後、休憩をとり、最低限しないといけない事務作業を急いでし、再び延長保育で年少組に入った。

これが本当の最後だ と思いつつも、この延長保育時は2クラスが合同になるので、問題も2倍あるいは3倍になり、その仲裁に入らないといけなく。
また、Mちゃんのお迎えは早い方で、園庭遊びに行く丁度、その時にお迎えが来ていた。

「4月まで保育園をお休みするんだよね?暫く会えなくなるから、最後にたくさん遊ぼう」

と、言って、これだから様にならない。

園庭遊びで、Aちゃん、Rちゃんの相手をしている時。
この時、園の出入り口から一番遠くにあるブランコで遊んでいた(つまり、俺は2人のブランコ押しをしていた)。

Mちゃんの保護者がわざわざ、そこ(ブランコ)まで
「4月までお休みするので…」
と挨拶に来て下さった。

俺が3月いっぱいまででここの園を辞めるという事は、園の職員ぐらいしか知らない訳で
“4月からよろしくお願いします”的な事を話されたのだが、その時は胸が痛かった

このまま本当の事を知らないまま返す訳もいかないと思い、4月から別の保育園で働く事を告げたら、意表をつかれた といった感じに少しショックを受けていたみたいだった。

今日が最後になる事を知った保護者の方が気を利かせ、帰りかけていたMちゃんを呼び寄せて「先生にさようならをしようか」と声かけした。

が、Mちゃんは、ニコニコと照れながら後退りし、少し手を振るのみ

なんだか呆気ない最後となりました。

その後はAちゃんと遊んだが、最後に滑り台で立ち滑りをした。
とある、乳児の担任の先生に対抗する為に。
このエピソードは明後日書こう。
明日は、夕方から食事会に参加するべく、遠くまで行かないといけないから、日記なんて書いてられないだろうから。


(せ~のっ!) おつかれ~~!!

21年度の職場が決まるが…

2009年03月15日 | 保育士
晴れ
風が吹いていたが、日差しが温かく、過ごしやすい1日だった。


今日は仕事が休み。
天気が良かったので布団を干し、部屋の掃除もこなす。

いよいよ今月も半分となり、春期保育をしない年少組のお手紙をくれた女児2人に手紙を書こうと試みるも、なかなか書けず。
また、「卒園する年長児等にメッセージを書いておいて下さい」と年長組の担任の先生に言われていたので、その言葉を考えていたが、こちらは文章が長くなりすぎて、上手く纏まらず。

今日、やった事といえば、来年度働く事が決まったS保育園までの片道の距離を測った事ぐらい
そういえば、ユーキャンの“話し方”講座や“国語の常識”講座を、ここ1週間以上まったく手つかず状態になっているなぁ。


それにしても先週は疲れた。
月曜日、朝1番に市役所を訪れたのを皮切りに、
火曜日の遠足&その日は休憩なしでずっと保育する展開、
先週は、毎日、誰か彼か担任の先生が有休を取って休んでいて、その代わりにクラスに入る傍ら、職員室での作業をこなす日々。
おまけに、先週は土曜日出勤だったので、昨日まで仕事、仕事、仕事…

遠足の日は凄かった。
俺は、通常、遅番勤務なのだが、その日はいつもよりも2時間近く早く出勤しなければならず。
徒歩で公園まで行ったのだが、年少組のAちゃんの補助を任されていた。
その娘は障害児という訳ではないが、少し抜けている娘。
おまけに、その娘の姉が年長児にいるのだが、その姉というのが問題児で、人の言う事は聞かない、悪戯をするのは朝飯前。

その姉妹が手を繋いで歩く事になっていたのだが、予想した通り、姉は、すぐに手を離してフラフラあちこち歩く。
何度注意しても、こっちが困るのを楽しむようにすぐに手を離してはフラフラ、フラフラ。

後方、少し離れた位置に園長がいた事もあって、物凄く神経を使わされた

途中、「先生の家にいってみた~い」とニコニコ顔で言っていたのは嬉しかったが、そんな微笑ましい場面は一瞬のみ。

後ろを歩いていたH君が「うんちが出る」と泣き出しそうな声で訴えてきて、どう対処すればいいのか焦らされた。
結局、もらさなかったし、目的地に着いたらケロッとしてトイレにすらいかなかったし… 

目的地に着いてから少し休憩し、スタンプラリーゲーム的な事をしたのだが、俺の役は、最終ポイントでスタンプを押しジュースを渡す といったもの。

それだけならいいのだが、何故か園長とペアになっていた
最終ポイントというだけあって、園児が来るまでに、かなりの時間があった。

凄まじく、胃が痛くなる時間を過ごす羽目にあった。

「あの木はなんて名前?」
「じゃあ、あれは?向こうの方のあれ」

まず、どの木を指しているのかわからないし(公園内はたくさんの木々で覆われている)、そもそも木の枝を見ただけで、名前がわかるほど植物に長けてません。

「そんなのじゃ、先生失格ですよ」的な事を、ボロクソに言われ、精神的にも肉体的にも疲れ果てる(この時は肉体的には疲れてないか)。

ゲームが終わり、弁当を食べる時間になり、弁当を食べたが、風が強く吹いていて寒くて頭が痛くなった事もあり、また、写真を撮るような雰囲気もなく(どの先生もカメラを持ってきてなかった)、一応の目的としていた、年少組のMちゃん等の記念撮影ができず…

なんだか微妙なまま、園に戻る事に。

帰りもAちゃんはやってくれた。
歩いている最中に眠ってしまったのだ。

初めて見ました、歩きながら寝る人間を!

なんだか、歩き方がおかしいな と思っていたら、急にガクンと跪くAちゃん。
その時、靴も脱げ、それをはかせようとしたら、姉はそのまま妹を見捨てて勝手に1人で歩いて行ってしまうし…

どんどん抜かされ、別の年少組の集団の中で、眠りそうなAちゃんに必死に声かけをしながら、引っ張るように歩いた。

園に着いた頃にはクタクタになりました。
が、逆にAちゃんは園に着いた途端に元気になっていた。

どうなってるんだ、Aちゃんは!

そして、疲れがピークになっているにも拘らず、延長保育が始り、普通に休憩も取らせてもらえず、最後まで保育した
園長や主任はいつの間にか帰宅していたし、怒りというか、もう、なんかどうでもいいやって感じになっていたね。


そんな疲れて帰宅した夜に、親から「明日、S保育園に電話入れなさい」と命令された。

前日、市役所の担当の人からは(俺が3月いっぱい今働いている園で仕事をするというのを言ってあるので)「S保育園の方には、こちらから連絡を入れて、どうにか時間を作らせてもらいます。また決まり次第、こちらから連絡を入れます」と言われていた。

結果から書くと、今この日記を書いている段階で、市役所から連絡がきてません
今、思うと、あの時1本電話を入れておいて良かったな と感じる。

段々、話が逸れてきたが、何が書きたかったかというと、4月から働くS保育園には男性保育士さんがいる という事ではなく、
母親の知り合い(下の弟の同級生の親)がS保育園で保育士として働いているという事

なんという、やり難い展開。
親同士で勝手に話しが進んで、俺の知らない水面下で事が運んでいる。

そして、問題なのはここから。
次の日の朝に電話をかけた。

「市役所の方から、園に電話をかけるよう言われていると思うのですが、全然、かけてこられないから心配していたのですよ」

市役所の担当の人には、そんな事一言も言われてません。

「園に来られない(通常は会議参加しないといけない)という事ですが、失礼ですが、あなたは今、何をなされているのですか?」

「担当のクラスは?」

「どちらの保育園で働いていらっしゃるのかしら?」

怖いほど、まったく、こっちの情報が届いてない。
なんだか、終いには「あなたは誰ですか?」と聞かれるのでは と思うほど、園長先生は何も知ってなかった

どうなっているんだ、市役所の役人は!
早くも、新しい職場に溶け込めないような、そんな予感がしてきました。

というか、本当に市役所はどうなっているのだろう。
連絡がないし、S保育園にも連絡を入れてないみたいだし…

嗚呼、明日から、Mちゃん、Aちゃんとの最後の1週間が始まる。
土曜日には、今年度の最後の食事会に参加する為にわざわざ隣市まで出かけないといけないし…

(せ~のっ!) おつかれ~~!!

ほんの些細な偶然

2009年03月08日 | 保育士
曇り
日中は日差しが見られたが、風が吹いていて寒く感じる1日だった。


今日は仕事は休み。
相変わらず喉が痛く、そのために気怠さを感じ(微熱もある)、無気力に1日を過ごす。
そんな中、問題が発生

明日、仕事に行く前に市役所に寄り、来年度の保育の説明(どこの保育園で働くか等を話すのだと思う)を聞く事になっている。

合格通知書に、当日持参するものとして、年金手帳・雇用保険証の写し、細菌検査容器 が記述されていた。

年金手帳は手元にあるから良いとして、雇用保険証は、多分、園が管理している。
つまり、持っていけれないという事

きっと、明日が課長との初対面となる筈。
前回の面接の時は、体調不良との事で休んでて会っていない。
初対面で、いきなりの失態を見せる事になる。

嗚呼、先が思いやられる…


ここにきて何通も“おてがみ”をくれる年少組の女児数名に、最後に、“おてがみ”を渡そうと思っているのだが、気分が憂鬱で、全く頭が働かず、結局、今回の休みも文章が思いつかず…

このまま、渡さず終いというのも何だか悲しい。
今週、お別れ遠足があるのだが、そこで、どうにか上手い具合に、年少組の女児等を写真に収め、“いつまでも仲良しでいてください”的な事を写真に記入しよう というアイデアはあるものの、肝心の手紙部分の文章が…

その写真のアイデアも、職員室で作業をしていた時に、偶々、主任先生と乳児クラスの担任(キャリアウーマン的な存在)が話しているのを聞いて、何とかしてあげたいな と思っての事。

おてがみをくれた女児の1人Mちゃんの母親が妊娠している。
その事は、Mちゃん本人が嬉しそうに語っていたので知っていた。
上記の2人が話していたのは、その事だった。

来年度、その為(赤ちゃんを産む為)に、Mちゃんは退園するらしく、それ以降に、待機児童が入園する可能性が高い。
そうなってくると、園が受け入れる園児数の都合上、Mちゃんが再び入園できない という事が考えられる

そうなってくると、今の友達(クラスメイト)と離れる事になる。
何となく、Mちゃんの事が可哀相に感じ、写真のアイデアを考えた。

が、“おてがみ”の文章の部分が…

因みに、この時に職員室でしていた作業というのが、来年度用の園児の名簿の作成。
この時は園長もいなく、普通に暖房が効いていて、また、この作業を指示してくれたのは、先に書いたキャリアウーマンと呼びたくなるほど仕事ができる乳児クラスの担任の先生で、説明もわかりやすく、作業がしやすかった。

作業は、園児の名前、住所、電話番号、生年月日を入力するといったものだった。
簡単なものだが、人数が多く、時間はかかった。

そんな中、思いがけない偶然が。
先に書いた年少組のMちゃんの誕生日が、なんと、11月30日!!

俺の好きな女優さんとして有名な宮崎あおいさんと同じ。
なんたる偶然!

偶然にしては出来すぎている。
ほんの些細な偶然だが、それを微笑ましく感じ、先週の吐き気との戦いを乗りきったのは事実。

色々な園児から「先生、これあげる」と言って、園児が折り紙で作った“作品”をよく貰うのだが、
今思うと、4月当初、まだ、園児の名前も覚えてない緊張の日々の中、1番最初に“作品”をくれたのはMちゃんだった。

なんだか、Mちゃんには色んな物(事)を貰ってばかりいるように思う

なんとかしてあげたいという気持ちは膨れるばかりだが…
というか、こんな日記を書いている時間があったら、気の利いた“おてがみ”の文章を考えるべきだったか。

今日、昼過ぎ頃に、愚かな知人と買い物に出かけ、写真用紙にレターセットとシールを購入した。
道具は揃った。
後は文章のみだ。


(せ~のっ!) おつかれ~~!!

園児の表情から読み取れ

2009年03月07日 | 保育士
晴れ
日中は、日差しがあったものの、風が強く吹いていて体感的には肌寒かった。


今日は仕事が休み。
晴れて念願の耳鼻科に行ったのだが…

前日の夕方に親に頼んで電話予約をしてもらい、漸く、診察することになった。
先週、仕事帰りに電話予約をしたら「空き時間がないので…」と向こう側から勝手に切られるほど、すぐに予約で一杯になる状況。

一応、予期していたのだが、やはり、人の数が多く、物凄く待たされた。
12時予約という事で、昼も食べずに行ったのだが、物凄い空腹感に襲われた。

そんな中、自分の診察の番になり、いざ見てもらったが…
結果は“蓄膿”と診断されました

1ヶ月以上前から、喉が痛くて(勿論、今も痛い)喉に炎症が起きているのだとばかり思っていただけに、物凄い意表をつく診断だった。

まず初めに、鼻から管のようなカメラを入れられ、その後は、鼻のレントゲン写真を撮った。
“鼻のレントゲン写真”というのは初めてで、どんなことをするのか?とビクビクしていたが、鼻とおデコを所定の位置にくっつけたり、顎を所定の位置にくっつけたり とやる事自体は簡単なものだった。

その結果が蓄膿。

「蓄膿を治すには3週間ほどかかります…」
と、淡々と話す医師。

「ひとまず、1週間後に、また薬を取りに来て下さい」

普通に仕事があるので、そのように告げたら
「来ないと、治らないよ」
と、脅すように言ってきた。

こっちは、仕事の都合でなかなか受診できずに、漸く、作れた時間でやってきたというのに、もっと、労働者側に配慮した診察日・診察時間を設定しろよ、莫迦野郎っ! と心の中で叫びつつも、
もう、どうでも良いや、みたいな投げやりな気分でいたら、

「じゃあ、2週間後はどう?」
と、不機嫌そうに言ってきた。

医師の言動と態度にムチャクチャ腹が立ったね。
医療技術が優れているとしても、人間的には最低だ

2週間後は、卒園式がある(俺は出なくていいらしい)し、精神科の予約もある、夕方には、今年度最後の食事会があって、わざわざ、隣町まで夕食を食べに車を走らせなければならない。

なんだか、経済的にも、時間的にも慌ただしくなりそうだったが、やけくそだった俺は、何も考えずに「はい。お願いします」と答えた。

蓄膿という病気に罹っていた事にショックを受けたし、医師の言動に興ざめしたし、なんだか気怠い。


さて、今週の保育だが、相変わらず、職員室では暖房がつけられず(ただ、園長が不在の時はついていた)、喉の痛みとの戦いもあり、しんどかった。

喉の痛みの事にだけ意識していたのだが、一寸、油断した。
火曜日。
年少組に、小柄の割りに、給食にせよ、おやつにせよ、よく食べる(何回もおかわりをする)女児Hちゃんがいる。
そのHちゃんが「○○(女児の名前)、おやついらない」となんだか苦しそうな表情を見せて言ってきた。

いつもは、食い意地を張っている娘だっただけに、大丈夫だろうか?と心配しつつも、ひとまず、「食べなくても良いから」とおやつを置くだけ置いておいた。

その日のおやつは大福餅でした。

1個食べれない子は半分にして渡す事になっていた。
いただきますをする前に、半分しか食べれない子を聞いて大福餅を半分にしていた時に、Hちゃんの隣の子が“半分がいい”との事で、半分に分けていた。

大福餅を半分にするのは、なかなか難しく、しかも半分にした餅の見た目も悪くなる

多分、気持ちの悪かったHちゃんも、その見た目の悪い餅を見て、また甘ったるい匂いを嗅いで、より気分が悪くなったのでしょう。

皆に配り終えて、前に行き“いただきます”の声かけをした時。
「先生、Hちゃんが口からゲロ吐いた」
と、隣に座っていた子達が知らせてきた。

取り敢えず、喉の痛みの事しか考えてなかった俺は、なんの躊躇いもなく、処理を手伝いつつ、Hちゃんに声かけをしていた。


悲劇は次の日から起きた。
朝、起きてから、凄まじい吐き気が…

しかし、3月いっぱいでここの園とお別れする事になっているので、できれば1日たりとも休みたくない という気持ちがあったので、無理して出勤。

市販の風邪薬と胃薬を服用し、あぶら汗をかきながら保育をしていた。
一番ピークは木曜日で、朝、通勤する車の中で運転中に吐きそうになり、“今日は1日もたないのでは?”と弱気になり、不安感が出て、過呼吸気味になり、と凄まじい状態だった。

取り敢えず、給食が憂鬱でした。
園児の手前、残す訳にもいかず、吐き気を抑えながら、ムリヤリ口に入れる。

Hちゃんの苦しさがわかったような体験だった。
あの時は、Hちゃんにおやつ自体を見せず、なるべく、匂いもわからない位置に横にさせるべきだったのでしょう

今後のいい勉強になりました。

園児の表情から読み取れ


(せ~のっ!) おつかれ~~!!

合格通知書が届く

2009年03月01日 | 保育士
晴れ
午前中は曇っていたが、昼前頃から日差しが出て、風がやや強く吹いていたが、それでも汗ばむ陽気だった。


今日は1日家で過ごす。
なんだか知らないが(喉が痛いのが原因の1つかもしれないが)、一睡もできず今日1日、睡眠不足による不快感を持ち、気持ち悪かった。
夜に、今週末にある遠足の為にリュックサック(結局なかったが)とデジカメを借りに愚かな知人宅へ行った。
帰り際に、ポッドキャスティングの「サイエンス・サイトーク」という番組で森博嗣がゲストに出ている事を知らせると、愚かな知人はかなり喜んでいた。
俺って人が良いな

しかし、
今回の休日も、園児に夢を持たせるような過ごし方ができず…

昨日は昨日で、喉が痛みが限界で耳鼻科に行こうと予約の電話をしたが、空き時間がないからとの音声と共に電話が切られ、絶望感を持ち、仕方なしに掛かり付けの内科に行ってみるも、やはり「そこは鼻からカメラを入れて見ないとわからないから、耳鼻科に行って」と言われる始末。

6月に痛めた時と同じように、喉に擦り傷があるように痛い。

昼からは、いつものメンタルクリニックへ行ったが、1日に病院から病院へ行ったわりに、何も解決せず、無駄に時間を使ってしまった感があり、今日の鬱へと繋がっている。

そんな鬱とした気分と、睡眠不足により頭が働かず、最後の“おてがみ”の文章を考えても何も思いつかず、ただただ焦りを感じるのみ。

先週の火曜日に市から臨時職員の合格通知書が届けられた
つまりは、今働いている園を離れる事になった。

最後に、おてがみをくれたMちゃん、Rちゃん、Aちゃん、Mちゃん、等に“お別れのおてがみ”を書こうと思っているが、なんだか悲しくなるだけで全く文章が思いつかない。
なんだか胸が張り裂けそうな心境

しかし、ここにきて、今働いている園を離れるのが寂しく感じるようになってきた半面、早く別の所で働きたいと思う出来事もあった。

先々週から肺炎で休んでいた主任先生は先週も中頃まで休んでいて、園長も月曜日に出勤はしたものの、ダウンして3日ほど休んだ。

その間は、職員室も暖房が効いてて作業がしやすかったものの、園長が復帰するや否や、また、元の悪環境(つまり暖房を一切使用しない)での職員室で仕事を余儀なくされる。

先週は春期保育やら、長時間保育の申請やらで、職員室で仕事をする機会が多かっただけに、あの寒い環境は辛かった

保育の方でも、先週は雨の日が多かったので室内で紙芝居を読み聞かせる事になったのだが、例によってずっと喉が痛く、大きな声(というか声自体)を出すのに抵抗がありつつ、その事を意識しすぎたのか、息苦しくなり(つまり、過呼吸気味になっていた)、辛い思いをしたし…

今週も雨の日が多くなる との事で、また過呼吸になるかと思うと、明日からが憂鬱です。
兎に角、耳鼻科に行かないと、この喉の痛みは治らない。


そういえば、市から合格通知書が届けられたはいいが、その説明会というのが平日にあり、3月いっぱいまでは今働いている園に出る事になっているので「参加できないのですが」と電話を入れ、「都合の良い日を決めて、後日連絡します」と言われたが、まだその日程の連絡を貰ってないが、どうなっているのだろうか?

今働いている園の園児達と別れる悲しさ
喉の痛みによる憂鬱感
新しい職場(まだ知らされてない)に関する連絡のなさによる焦りにも似た不安感

今月は精神的にキツい1ヶ月になりそうだ


(せ~のっ!) おつかれ~~!!