秋田駅前千秋広小路通信

美と癒しの街 秋田から今日の写真と最新情報・ひとりごと、、をお届けします。
ちょっと休憩しましょう。

金曜日午後の千秋公園のお堀です。

2007年04月06日 23時57分58秒 | 千秋公園
午前中に娘の学校に行って、午後は診療です。途中で少し外の景色を眺めました。今日は天気も良く、空は千の風が吹き渡っているようでした。遠くに太平山が小さく見えました。子供と一緒に夜のミュージックステーションを見ていたら、「千の風になって」をテノール歌手の方が歌っていました。4月1日には秋田市文化会館でコンサートがあったと言うことで、通院中の患者さんで「とても良かったですよ」と教えてくれる人が何人かいました。
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5 コメント

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Unknown (うさぎ)
2007-04-07 01:28:35
自分もTV番組で拝見しました。さまざまなこと、人、気持ちを想像しながら聴きました。話は飛びますが、あの詞は一体誰が書いたのか、興味がわきます。
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 (くちなし)
2007-04-07 07:07:27
いよいよ春本番、我が家の紅梅が咲きました。花、蕾、拾い水に浮かせて楽しんでます。苔で年輪が分かる?
本当にそうかしら・・・・苔、根、皆丈夫で200余年と昔年寄り・・・高齢者からききましたよ。
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おめでとうございます。 (前進)
2007-04-08 08:15:15
うさぎさん こんにちは。
この文章を拝見した時は、直紀さんの家庭そのままの様な感じがしました。

「千の風になって」は、いかにして生まれたか?     By 新井満

私のふるさとは新潟市です。この町で弁護士をしている川上耕君は、私のおさななじみです。
彼の家には奥さんの桂子さんと三人の子供たちがいて、とても明るく幸せな家族生活を営んで
いました。
ところがある日、桂子さんはガンにかかり、あっというまになくなってしまいました。
後に残された川上君と子供たち三人のおどろきと悲しみは尋常ではありません。絶望のどん底に
蹴落とされたのも同然です。なぐさめの言葉を言う以外、私にできることはありませんでした。
しかし、そんなものが何の役に立つはずもありません。

桂子さんは、地域に足をつけた地道な社会貢献活動を行う人でもありました。
たくさんの仲間たち が協力して追悼文集を出すことになりました。
「千の風になって-川上桂子さんに寄せて-」という文集です。
文集の中で、ある人が「千の風」の翻訳詩を紹介していました。私は一読して心底から感動しました。
<よし、これを歌にしてみよう。そうすれば、川上君や子供たちや、あとに残された多くの仲間たち
の心をほんの少しくらいはいやすことができるのではなかろうか……>そう思ったのです。

何ヶ月もかけて原詩となる英語詩をさがし出しました。それを翻訳して私流の日本語訳詩を作りました。
それに曲をつけて歌唱したのが、この度の「千の風になって」という歌です。
私家版のCDを数枚だけプレスし、そのうちの一枚を川上君のところに送りました。
CDは桂子さんを偲ぶ会で披露されました。集まった人々は一様に涙を禁じ得なかったそうです。
そして泣きながらこの歌を歌ってくれたのだそうです。

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Unknown (うさぎ)
2007-04-09 10:45:57
前進さん こんにちは、はじめまして。

何を書いていいのか迷うくらい、
お気持ち、とてもありがたく、とてもうれしく思います。
ありきたりなことばでなんだか申し訳ありません…、
ありがとうございます(^^)。
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感謝です。 (なおき)
2007-04-09 12:18:52
前進さん、ありがとうございます。人は、周りの人とのつながりの中で生きていけているのだなと思います。みなさん、いつもありがとうございます。
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