⇒前回の記事はこちら
今日は朝から素晴らしい古墳を立て続けに見ることができています。
つづいて、装飾古墳として著名なひたちなか市の虎塚古墳へ向かいますよ。
30分ほど巡航してひたちなか市埋蔵文化財調査センターに到着。
まずは、古墳を見る前に展示室を見学しましょう!
展示は旧石器時代から始まるオーソドックスな展示です。
縄文時代の装身具が充実していますよ。
おー、大珠コレクション。
縄文時代の女性のおしゃれとしては、ピアスが有名ですが、ペンダントもなかなか素敵ですね。
これは大きくて綺麗。
でも、どんなに美しい女性でも顔に入れ墨をしていたかもしれない。
しかしそれは現代人の美的感覚で奇異に思うだけで、自分がもし縄文時代人だったら気にしない、というか当たり前に思うことでしょう。
もちろん縄文土器も展示してあります。
常陸の縄文土器については私はほとんど知らないので非常に興味深いです。
地方によるデザインの違いって面白いですよね。
そして当地方には宮城県宮城郡七ヶ浜町の大木囲貝塚が標識である大木式土器も南下してきています。
大木式は縄文時代前期から中期の土器です。
大木式土器は南下だけでなく北上もして、岩手県一戸町の御所野遺跡でも影響を受けたものが出土し、展示室に飾ってありますよ。
土器の展示、楽しい!
お、この三反田(みたんだ)遺跡の展示は素晴らしい。
外来系土器が展示してあります。
駿河から伊豆にかけての土器である大廓(おおぐるわ)式土器。
東海人が進出してきた証ですね。
そして我らがS字甕!
こちらにもありましたねえ。
しかもパネル展示でも詳しく解説している!
S字甕を追って全国を行脚している私ですが、恥ずかしながら今回のツアーのテーマの場所である那珂川および久慈川流域がS字甕の濃密分布地域であることは今知りました。
いやー、面白い・・・
ツアー当日にもしS字甕マニアの方がいらっしゃったら喜んでくださるでしょう。
ほほほ、こちらの埴輪は笑い顔だ。
なんかみんな嬉しそう。
各地の人物埴輪を見て思うのは、顔つきが縄文由来の人びとと違うような気がして、最近ではその埴輪が出土した古墳に葬られた支配者層の顔ではないかと考えるようになりました。
古墳時代の支配者層は縄文由来の被支配者層とは違う民族や別の地方からやってきた人びとである可能性があります。
そういう観点からすると、こちらの笑い顔の埴輪からは日ごろからニコニコしていた支配者層が想定できますが、笑い顔というのは「神様に対して笑っている」と考えることもできます。
つまり祭祀の一つのバリエーションとしての表現と考えることもできます。
まあでも、人の笑顔を見るのは気持ちの良いことですから、私たち普通の人でもこちらの埴輪を見てポジティヴな気持ちになるのも確かなことです。
このあと訪れる予定の馬渡埴輪製作遺跡で造られた円筒埴輪もあります。
こちらは馬渡埴輪製作遺跡が見つかるきっかけとなった馬の形象埴輪。
これは何でしょうか?
へー、分割して造ってあとで合体させるんですね。
日本人って「合体もの」が好きですが、ロボットが合体して戦うアニメのルーツは古墳時代に求められるかもしれません。
ちなみに、世界に誇れるキャラクターデザインのルーツは縄文時代の土偶だと勝手に思っています。
今後は一億総アーティスト社会を構築しましょう。
これはまた珍しい。
古墳時代後期のわらじが見つかったんですね。
古代人というと裸足というイメージがあるかもしれませんが、すでに草鞋を履いていたわけです。
なお、人物埴輪や古墳の装飾壁画を見るとブーツのようなものを履いていることがありますので、馬に乗る支配者層はズボン(袴のようなもの)を穿いてブーツ着用だったのでしょう。
これまた凄いものが。
赤ちゃんにおっぱいをあげている造形です。
赤ちゃんが異様に小さいとか、そういうのはあまり気にすることは無いです。
群馬では人が馬に乗っている埴輪も見つかっていますが、それも人が異様に小さいです。
写実性云々よりも本質が理解できればいいのです。
そしてここの一番の目玉は虎塚古墳の実物大石室模型でしょう。
来週の石室公開日にお客様をお連れしたまたやってきますが、本物は写真撮影不可なので、これを撮影して溜飲を下げましょう。
展開するとこんな感じ。
他にも素晴らしい展示が多くありますが、あまり紹介するのも来訪者の楽しみを削いでしまう可能性がありますので、興味のある方はぜひこちらへおいでください。
入館は無料で、かなりの量の無料の資料も手に入りますし、有料頒布している資料もたくさんあって嬉しいです。
経済難なのにまた何冊も買ってしまった・・・
いいです、昼を抜きます。
これから行く虎塚古墳周辺の図。
さて、それでは古墳を見に行きましょう。
ポップな案内標識。
虎塚古墳は建物のすぐ近くにあります。
虎塚古墳は古墳時代終末期の装飾壁画で有名なので、円墳とか方墳を想像する方もいるかもしれませんが、このように立派な前方後円墳です。
石室も重要ですが、墳丘にも着目してみましょう。
なお、周辺地形はこんな感じです。
周堤に乗ります。
墳丘にも登れるようになっていますよ。
前方部墳頂から後円部墳頂を見ると、ご覧の通りほとんど同じ高さで後期前方後円墳の特徴が現れています。
前方部。
前方部の幅は38.5mあり、後円部径の32.5mよりも大きいですね。
前方部の裾がガーッと広がっている辺りも前方後円墳の最終形の雰囲気が抜群です。
7世紀前半にこんな56.5mもの前方後円墳を造ってしまったこの土地の社会背景は興味深いものがありますね。
後円部南側に石室への入口があります。
来週この中に入りますよ。
後円部裾から前方部を見ます。
再度前方部側へ。
ちょっと離れて全体を撮影。
石室公開のお知らせがトイレの壁に貼ってあります。
では、続いて十五郎穴横穴墓へ行ってみましょう。
⇒この続きはこちら
今日は朝から素晴らしい古墳を立て続けに見ることができています。
つづいて、装飾古墳として著名なひたちなか市の虎塚古墳へ向かいますよ。
30分ほど巡航してひたちなか市埋蔵文化財調査センターに到着。
まずは、古墳を見る前に展示室を見学しましょう!
展示は旧石器時代から始まるオーソドックスな展示です。
縄文時代の装身具が充実していますよ。
おー、大珠コレクション。
縄文時代の女性のおしゃれとしては、ピアスが有名ですが、ペンダントもなかなか素敵ですね。
これは大きくて綺麗。
でも、どんなに美しい女性でも顔に入れ墨をしていたかもしれない。
しかしそれは現代人の美的感覚で奇異に思うだけで、自分がもし縄文時代人だったら気にしない、というか当たり前に思うことでしょう。
もちろん縄文土器も展示してあります。
常陸の縄文土器については私はほとんど知らないので非常に興味深いです。
地方によるデザインの違いって面白いですよね。
そして当地方には宮城県宮城郡七ヶ浜町の大木囲貝塚が標識である大木式土器も南下してきています。
大木式は縄文時代前期から中期の土器です。
大木式土器は南下だけでなく北上もして、岩手県一戸町の御所野遺跡でも影響を受けたものが出土し、展示室に飾ってありますよ。
土器の展示、楽しい!
お、この三反田(みたんだ)遺跡の展示は素晴らしい。
外来系土器が展示してあります。
駿河から伊豆にかけての土器である大廓(おおぐるわ)式土器。
東海人が進出してきた証ですね。
そして我らがS字甕!
こちらにもありましたねえ。
しかもパネル展示でも詳しく解説している!
S字甕を追って全国を行脚している私ですが、恥ずかしながら今回のツアーのテーマの場所である那珂川および久慈川流域がS字甕の濃密分布地域であることは今知りました。
いやー、面白い・・・
ツアー当日にもしS字甕マニアの方がいらっしゃったら喜んでくださるでしょう。
ほほほ、こちらの埴輪は笑い顔だ。
なんかみんな嬉しそう。
各地の人物埴輪を見て思うのは、顔つきが縄文由来の人びとと違うような気がして、最近ではその埴輪が出土した古墳に葬られた支配者層の顔ではないかと考えるようになりました。
古墳時代の支配者層は縄文由来の被支配者層とは違う民族や別の地方からやってきた人びとである可能性があります。
そういう観点からすると、こちらの笑い顔の埴輪からは日ごろからニコニコしていた支配者層が想定できますが、笑い顔というのは「神様に対して笑っている」と考えることもできます。
つまり祭祀の一つのバリエーションとしての表現と考えることもできます。
まあでも、人の笑顔を見るのは気持ちの良いことですから、私たち普通の人でもこちらの埴輪を見てポジティヴな気持ちになるのも確かなことです。
このあと訪れる予定の馬渡埴輪製作遺跡で造られた円筒埴輪もあります。
こちらは馬渡埴輪製作遺跡が見つかるきっかけとなった馬の形象埴輪。
これは何でしょうか?
へー、分割して造ってあとで合体させるんですね。
日本人って「合体もの」が好きですが、ロボットが合体して戦うアニメのルーツは古墳時代に求められるかもしれません。
ちなみに、世界に誇れるキャラクターデザインのルーツは縄文時代の土偶だと勝手に思っています。
今後は一億総アーティスト社会を構築しましょう。
これはまた珍しい。
古墳時代後期のわらじが見つかったんですね。
古代人というと裸足というイメージがあるかもしれませんが、すでに草鞋を履いていたわけです。
なお、人物埴輪や古墳の装飾壁画を見るとブーツのようなものを履いていることがありますので、馬に乗る支配者層はズボン(袴のようなもの)を穿いてブーツ着用だったのでしょう。
これまた凄いものが。
赤ちゃんにおっぱいをあげている造形です。
赤ちゃんが異様に小さいとか、そういうのはあまり気にすることは無いです。
群馬では人が馬に乗っている埴輪も見つかっていますが、それも人が異様に小さいです。
写実性云々よりも本質が理解できればいいのです。
そしてここの一番の目玉は虎塚古墳の実物大石室模型でしょう。
来週の石室公開日にお客様をお連れしたまたやってきますが、本物は写真撮影不可なので、これを撮影して溜飲を下げましょう。
展開するとこんな感じ。
他にも素晴らしい展示が多くありますが、あまり紹介するのも来訪者の楽しみを削いでしまう可能性がありますので、興味のある方はぜひこちらへおいでください。
入館は無料で、かなりの量の無料の資料も手に入りますし、有料頒布している資料もたくさんあって嬉しいです。
経済難なのにまた何冊も買ってしまった・・・
いいです、昼を抜きます。
これから行く虎塚古墳周辺の図。
さて、それでは古墳を見に行きましょう。
ポップな案内標識。
虎塚古墳は建物のすぐ近くにあります。
虎塚古墳は古墳時代終末期の装飾壁画で有名なので、円墳とか方墳を想像する方もいるかもしれませんが、このように立派な前方後円墳です。
石室も重要ですが、墳丘にも着目してみましょう。
なお、周辺地形はこんな感じです。
周堤に乗ります。
墳丘にも登れるようになっていますよ。
前方部墳頂から後円部墳頂を見ると、ご覧の通りほとんど同じ高さで後期前方後円墳の特徴が現れています。
前方部。
前方部の幅は38.5mあり、後円部径の32.5mよりも大きいですね。
前方部の裾がガーッと広がっている辺りも前方後円墳の最終形の雰囲気が抜群です。
7世紀前半にこんな56.5mもの前方後円墳を造ってしまったこの土地の社会背景は興味深いものがありますね。
後円部南側に石室への入口があります。
来週この中に入りますよ。
後円部裾から前方部を見ます。
再度前方部側へ。
ちょっと離れて全体を撮影。
石室公開のお知らせがトイレの壁に貼ってあります。
では、続いて十五郎穴横穴墓へ行ってみましょう。
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