レギュラーの入院日誌

入院生活の成果をメモする備忘録

ケインジアン・クロスについて真剣に考えてみる

2008年10月20日 | ケインズ革命
お久しぶりでございます。最後にエントリーしたのはいつのことだったでしょうか。1年くらい前になるでしょうか? 最近(といっても時期的にはかなり前のことになりますが)のエントリーは全てhicksianが書いたものですので、・・・私自身の最後のエントリーは2007年6月6日のものになりますね。ということは1年4か月ぶりですか。とにかくお久しぶりでございます。
某ブログとの差別化が難しいこともありまして、本ブログの取扱いに頭を悩ましておりましたが(閉鎖しようかしらと何度考えたことでしょう)、ブログ開設時に立てた予定のうち、

 ●「ケインズ革命」の意味を再考する

あたりは某ブログと話題が被る心配もそれほどないのではないかと推察されますので(hicksianくん、わかってるよね?)、当面のところはこのあたりの話題(=ドマクロ経済学?;今回取り上げるクラウワー論文は「ドマクロ」にはあたらないでしょうけれども)に焦点を絞ってエントリーしていこうと考えている次第です。
と、目標を定めておいていきなり肩透かしをするようですが、あまり時間的な余裕がございませんで、本日のところは論文のリンクを貼るだけで勘弁していただきとうございます。後々時間的な余裕ができましたら論評なり要約なりに臨んでみようと考えております。

○Robert Clower(1985), “The Keynesian Cross Revisited(pdf)”(UCLA Department of Economics, Working Paper No.383)

クラウワー先生による45度線分析(=国民所得決定論)の再考でございます。クラウワーといえば我々世代の大スターでありますが、最近の若い方でこの名前をご存知の方がいらっしゃるとすればかなりの変わり者、もといかなりの経済学オタク(これも褒め言葉になってない?)ということになるのでしょう。クラウワーの二重決定仮説と聞いて「ああ、あれか」と頭にパッと浮かぶような20代の若者がいましたら喜び勇んでコーヒーの1杯や2杯奢ってやりたいものです。ただし、この「奢ってやりたいものです」というのは実際に奢るという意味ではなく、奢ってやりたいほど感動しているという意味でございまして、コメント欄で「私20代だけど知ってますよ」と名乗り出られてもコーヒーは奢ってやりませんのであしからず。と、ちょっと脱線しかかったところで、また後日。