一寸の兎にも五分の魂~展覧会おぼえがき

美術展のおぼえがきと関連情報をすこしばかり。

ウクライナ人は太田牛一の『信長記』をどう読むのか?

2013-05-22 | 読書
国際交流基金という団体がございまして、

「独立行政法人国際交流基金は、国際文化交流事業を総合的かつ効率的に行なうことにより、我が国に対する諸外国の理解を深め、国際相互理解を増進し、及び文化その他の分野において世界に貢献し、もって良好な国際環境の整備並びに我が国の調和ある対外関係の維持及び発展に寄与することを目的とする。(独立行政法人国際交流基金法第3条)」


というような主旨で活動しているそうです。

その、「文化芸術交流」分野の活動のひとつとして、「出版・翻訳の助成事業」というのがあるようなので、なんとなくみていましたら、なかなかおもしろいラインナップなので、ご紹介します。

2012年度の活動報告をみてみますと、

「出版・翻訳助成(翻訳)」として、

村上春樹『1Q84』のベトナム語翻訳
幸田露伴『五重塔』のスペイン語翻訳
松尾芭蕉『おくのほそ道』のエストニア語翻訳!
夏目漱石『草枕』クロアチア語翻訳


などと並んで、

太田牛一『織田信長記』ウクライナ語翻訳


というものまであり、ウクライナの人は織田信長をどう評価するのだろうか、いや、そもそもどういうウクライナ人が太田牛一を読むのだろうか、とかなり興味がわきます。

そのほか「出版助成(翻訳)」という部門もありまして、

夏目漱石『坊っちゃん』エジプト(アラビア語)翻訳

と並んで、

『堤中納言物語』エジプト(アラビア語)翻訳 

ですとか、

『落窪物語』エジプト(アラビア語)翻訳

というのもあり、エジプト人、虫めづる姫君をどう思うかな~、とぜひ感想を聞いてみたい気が! 

『源氏物語』や『伊勢物語』だけでなく(おそらくそれらはもう、翻訳済みなのでしょう)、『落窪』にいくあたりが渋い! 

エジプト人、あるいはアラビア語圏の人にとって、王朝文学はどういう風に受け止められるのでしょうか。


さらに、「出版助成(書き下ろし)」という項目もあり、これもふるっています。

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学出版“Japanese "Avant-Garde" Propaganda in Manchukuo: Modernist Reflections of the New State, 1932-45” (Annika Alexis Culver著)

満州のプロパガンダにおける日本のアバンギャルドなんて、着眼点が勇ましいではないですか! ぜひ、図版だけでも眺めてみたい!

ほかにも、

ロシア科学アカデミー東洋文献出版社“Japanese in Real and Virtual Spaces. Overview of Modern Japanese Popular Culture” (Elena Leonidovna著)

なども、おもしろそう! ロシア人の目に、「オタク」はどう映るのか!

しかしもっとも関心があるのは、

フランスは、ディープ・レッド出版社(本当にフランスの出版社なのかな?)から刊行される『日活ロマンポルノ』(Dimitri Ianni)


ですね。タイトルが日本語なのですけど、本文はフランス語なのでしょうか?
おそらく。

フランス人の目に、日本の昭和のエロスはどう映るのか!!

そのほかの「翻訳助成」には、


中村元『ゴータマ・ブッダー釈尊の生涯』トルコ
(比較宗教学にでも使うのでしょうか?)
といったものもあり、

とにかく世界中の人が思いがけないテーマで日本に関心を持ってくれているのだということを実感します。

2013年版になると、

林芙美子『放浪記』スペイン語翻訳
藤原定家(撰)『小倉百人一首』エストニア語翻訳


のほかに、

後白河法皇(編)『梁塵秘抄』ベネズエラ(スペイン語)翻訳
『西行歌集(新古今和歌集)』のチェコ語翻訳
道元『正法眼蔵』のポーランド語翻訳


など、いったい現代の日本人の何パーセントがちゃんと読むのかなあというようなコアなラインナップもいろいろな言語に翻訳されています。

それぞれいくらくらいの助成がなされるのかわかりませんが、ぜひ敢行していただき、日本と世界のかけはしになっていただきたいものです。


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ユルスナールの夜

2012-09-01 | 読書
仕事柄、毎日いろいろな文章を読むので、まったく自分の趣味の本を読む時間というのは、格別の楽しみがある。

毎晩、眠る前に少しでもいいから、ほとんど意識を失いながらでも読む。

今は、ユルスナールの気分。

流れる水のように』に所収の「姉、アンナ」はあらゆる小説のうちで3本の指に入る、もっとも好きな短編なのだが、何度読んでも、全編を貫く強靭でしなやかな美意識に魅入られる。

ユルスナールの、「愛」(「愛」にもいろいろあるのだが、とりあえず「愛」といっておこう)に潜む残酷さを見つめる、あのゆるぎないまなざし。

でも、今リンクを貼っていて気づいたのですが、絶版みたいですね。

白水社、再版予定はないのかしら。

厳しいなあ……。



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『魚は痛みを感じるか?』

2012-08-28 | 読書
『魚は痛みを感じるか?』ヴィクトリア・ブレイスウェイト著、紀伊国屋書店刊行

結論からいって、魚は痛みを感じる。そして、「恐れに結びついたネガティブな刺激に特化した(脳の)領域をもっている」そうです。

いろいろな実験を通じて(不要な痛みや過度な痛みを与えないように十分配慮した実験であるらしい)、そのことが立証されます。

門外漢なので、仮説のたてかたや実験プログラムのたてかたなど、プロセスの部分がおもしろいです。






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カフカ 『変身』

2012-05-11 | 読書
先日、「断捨離」よろしく片付けをしていたら、近頃とんと読まない本がつまった段ボールがでてきた。

片付けの最中にそういうものを見つけると、ちっともはかどらない。

そのなかに、カフカの『変身』が。

最初に読んだのは、たしか中学2年か3年くらいのときだったか。ドイツ文学にかぶれだした矢先のことだったような気がする。

それ以来、一度も読み返していないのだが、ぱらぱらっとめくったらふと気になって、ちゃんと読んで見ることにした。

そうしたら、これがまた、

おもしろい!

主人公のグレゴール・ザムザが変身した巨大な虫(どうやらいも虫っぽい形状のようである)の描写が妙にリアルで。

カフカは本当にいも虫になったことがあるのか!?と思うほど、なんだか実感のこもった書きっぷりなのである。

そして、あの妹の描写の繊細なこと。

実際に妹がいたらしいけれど、なんというか実に鋭い観察眼。年頃の、兄さん思いでしっかり者の妹が、実に生き生きと描かれている。

カフカといえば、大学生くらいになると「『変身』?いや、やっぱり『審判』でしょ、いや『城』でしょ」とひねりをきかせて通ぶったりしてみたくなるものだが、いや、『変身』捨てたもんじゃない、と再認識しました。

いや実は、『城』は途中まで読んだけど、なんだか頭がぼやーっとしてきて挫折したのだが。

近いうち再挑戦してみようかな。

いや、やっぱり片付けはしてみるものですよ。

といっても、結局、その片付けの結果、手放せた本は初期の村上春樹の3部作くらいで、「断捨離」の精神からは程遠い結果となって終わったのでした。いや、やっぱり捨てられませんよね~。本は。なかなか。


後日追加

グレゴールが変身した虫は、いも虫ではないですね。よく考えると。足がいっぱいついているみたいなので。でも、むかでにしては厚みがある感じだし……。具体的な虫というより、虫から連想されるいろいろなイメージを複合させたものなんでしょうか、おそらく。

でもとにかく、妙にリアル。
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チェーザレ 破壊の創造者

2011-09-23 | 読書
遅ればせながら、やっと読みました、『チェーザレ 破壊の創造者』(惣領冬美,講談社)。



歴史物、しかもルネンサス期のイタリアとくれば興味がわかないはずもない。

しかも現役の研究者と二人三脚で時代考証をしながら、一次資料にもバンバンあたって新しいチェーザレ・ボルジア像を漫画で作り上げようという壮大な試みとくれば、読まない手はない。

果たして、前評判の高さを裏切らないものすごい質の高さは感じられた。

何しろ、絵がうまい。活躍時期が長い漫画家の場合、どうしても途中から絵が変わってしまって「前のほうがよかった」と思うケースが多いのだが、惣領冬実の場合は昔の漫画を読んだことがないせいもあるのだろうが、とにかく今の絵も大変うまい。なんといっても、年齢を問わず男がよく描けている。

もし、中高生の頃にこの漫画に出合っていたら、間違いなくベスト5に入るお気に入りだったに違いない。

もっともこの点については、今となってはそれほどのめりこむものもなく、「うーん、きれいな絵」で済んでしまう自分が我ながらちょっとさびしかったりもするのだが、まあそれはよいとして。

もっとも驚かされるのは、教皇と皇帝の対立とか、あの時代のヨーロッパ精神史の根幹をなす思想問題を真正面から扱ってしまうスケールの大きさである。なにしろ、漫画で「カノッサの屈辱」とかダンテの『神曲』とかが、そのうわっつらをなぞるだけでなく、一つ一つの意味するところ、その後の歴史に投げかけた影響を含めて、克明に表現されるのである。そういうテーマを漫画で表現すること自体、一見無謀とも思えるのだが、そこに真正面から切り込んでいく姿勢そのものがすごい。それを商品として受け入れ、企画を通した『モーニング』編集部もすごい、と言わざるを得ない。

ただ、今のところ(8巻までの間に)チェーザレがまだ16、7の若者で、「破壊の創造者」たる本領を発揮する段階には至っていないので、いつになったらそういう姿が見られるのかなあ、と思ったりはしますがね。

あと、ところどころに妙に青春ドラマっぽいエピソードが混ざっていたりするのは、ちょっと違和感というか「なくてもいいかな」と思ってしまったりはするのだが、おそらくそういう読者サービスがないとさすがに重過ぎるのであろう。

実はこれを読もうと思い立った直接の動機は、その直前に『ミケランジェロの暗号-システィナ礼拝堂に隠された禁断のメッセージ』(B・ブレック他、早川書房)を読んだこと、もう一冊『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺事件』(M・シモネッタ、早川書房)を読もうと思っていた矢先だったから、ということがある。どちらも、チェーザレとほぼ同時代がテーマのもの。引き続き、ルネサンスの隠されたミステリーに挑戦、である。
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