こころに すむ おおかみ (インディアンのティーチングストーリー) | |
oba,中村光宏HiroEagle,北山耕平 | |
じゃこめてい出版 |
何だか?また偶然のシンクロが…私が前回『古井戸に落ちたロバ』について紹介したのが11月22日だったのですが、文自体は18日に書き上げていたのです。
投稿2日後くらいしてから、当ブログよりアマゾンに飛んで『古井戸に落ちたロバ』をチェックしてみると……なんと!11月19日に同じ出版社からインディアンのティーチングストーリーの2冊目「こころにすむおおかみ」という本が発売されていたですって~!?
なんというタイミング!私は、この出版社の人と全く知り合いではなく、ネットでチェックも一切していなかったのに!
なんとなく『古井戸に落ちたロバ』はとても良い本だから紹介したいな~と思って書いてみただけなんですけど……やはりご縁があるようですねぇ?
『こころにすむおおかみ』というタイトルにも興味をそそられ、早速購入して読んでみました……これもいいですねぇ~すごくオススメです!
obaさんの絵と色使いはシンプルで素晴らしい!なんというか?今回の本の方がより幼い心にも響くような気がします(実際、ウチの子の反応もいいです)。
今の世の中って「ブレない!」「迷わない!」とか言うのがカッコイイみたいな雰囲気があります。
様々な試行錯誤をしながら――その過程ではブレるだろうし、迷うでしょう?――困難を乗り越えた末に、そのようなモードに一時的にならなれるかもしれません。
揺るがないほど好きなものを見つけた!とか、揺るがぬ信頼というような意味で使われる場合には、実りあるものとなる可能性もありますが、いずれにしても「ブレて迷った末に」という過程から切り離されてしまうと、その全能感は柔軟性のないものになってしまう危険性があります。
絶対的なものを手に入れたと思えれば思えるほど、気付かぬうちにその部分の思考は停止してしまいます。
絶対的なものなどないからこそ、人は絶対的なものにあこがれ、ブレて迷っている人が多いからこそ、ブレず迷わずが持てはやされるのです。そして、絶対に正しいものなどないのに、世の中では取りあえずの正しさ、一貫性が求められます。
そんな矛盾した世の中なので、真剣に考えて生きている人ほど悩みの渦中にいます。
「ブレない」「迷わない」と自ら言っている人は、真面目に努力してきた人とも言えるのでしょうが、その過程が大変であったならあったほど、たどり着いた境地が完璧である…と思い込んでしまいやすいのです。
深く考えずに、(そうではないけれど)そうありたいという願望だけで言っている人も多いかもしれません。
社会の中では表向きに、そんな一貫性が求められているので……本当は、すべての人の中に、自分を肯定したい気持ち⇔自分を否定したい気持ち、良心的な感情⇔ドロドロしたダークな感情など、少なからず相反するものがせめぎ合っている……という心の現実に向き合うのが難しくなっているのではないでしょうか?
特に自分が正しいと思っていることを否定するような意見について真剣に考えたり、ダークな感情が自分の中にもあることを認めたりするのは、なかなか難しいですよね?私だって全然できていません。
死に至る過程について書かれた『死ぬ瞬間』という本で有名な心理学者エリザベス・キューブラー・ロスの著作で「ヒトラーは、我々一人一人の心の中にいる」みたいなことが書かれていました。
正直言って全否定したくなる言葉ですが、例えば「車にはアイサイトも付けたし、ドライブテクには自信があるから、人をひき殺すなんてありえない」と言っている人と、「ドライブテクはある方だし、アイサイトも付けたけど…気を付けないと、いつ人をひき殺してしまうかわからない」と言っている人のどちらが危険でしょうか?
おそらく、この絵本は、心の中の「ホワイトなもの」と「ブラックなもの」のうち、よい子のみんなは「ホワイトなもの」を選ぼうね!――という直線的な意味だけが込められているわけではないのでしょう。
そのような相反するものが、特に「ブラックなもの」さえもが自分の心の中に存在し、「ホワイトなもの」と現在進行形で闘いを繰り広げている…それを意識させることがポイントのような気がします。
心の中の境界線は、かなり曖昧です……心とは、良い意味でも悪い意味でも驚くほどフレキシブルであり、正しさの重圧が逃げ場を失うと、正反対の方向へ転化してしまうことがあるのです。
たぶん、この本には、そう言ったことを踏まえて、子供たちへ、ブレて迷ってもいいから――正しさを一方的に押し付けるのではなく、自分の頭でしっかり考えて!という意味――その過程の中でしなやかな心を形作り、最終的には「ホワイトなもの」を友としようというメッセージが込められているのではないでしょうか?
それにしても、あとがきを読むと、インディアンの人たちの森羅万象すべては輪でつながっているという考えは、陰陽五行の更に原始形のような感じがしますね。
このつながりが、ジブリによって映画化された『ゲド戦記』を生んだ?…という話は、また長くなってしまうのでやめておきます。
『ゲド戦記』も、ジブリ映画の方は原作者ル=グウィンもダメ出しした的なことを翻訳してまで訴えているHPがあるくらい評判はイマイチのようです。
私は1巻だけ読んでジブリ映画を見たのですが、あまり詳し過ぎなかったせいか?良かったですけどねぇ(唐突に感じるシーンもありましたが)。
制作前後にル=グウィンとの様々なすれ違いがあったようですが、監督の吾朗さんはものすごいプレッシャーの中、十分頑張ったと思います(普通の人には体験できないレベルのプレッシャーなので、精神的な孤独感↑)。
アマゾンのレビューを見てみると、酷評している人があまりに多くて驚きました。確かに何も予備知識なく観たら難しく感じてしまうかもしれません。
でも、原作本の方は5つ星が多く好評のようです――日本の『ゲド戦記』は清水真砂子さんの翻訳で本当に良かったと思います。
ル=グウィンはアメリカで実写版だかが作られた時も気に入らなかったようで、まあ要するに短時間でまとめるのは難しいってことだと思いますけど……? そして…あまりに人の奥深い領域をついているからこそ、このような混乱が起き、それが逆説的にこの物語が本物である証拠?――なんていう視点があることにも、気付いてくれるとうれしいですね。
実際、『ゲド戦記』をからめて書いてみようと考えただけで、あれもこれもと様々な想念が心の中をよぎり、真剣に向き合えば向き合うほど混乱してわけがわからなくなってくるではありませんか!?
混乱と言えば、そもそもジブリが映画化する前の『ゲド戦記』は、知る人ぞ知る存在ではあっても、とても地味で『ゲド戦記』というタイトルだけでも子供達だけでなく大人をも遠ざけるには十分だと思いませんか?
原題はEarthsea BooksやEarthsea Cycleなどとなっているのに(アメリカでもいくつかの呼び名があるようです)?戦争ドンパチ物語っていうことでもないのに?なぜ「戦記」としたのでしょう?
いずれにしても、この物語は、こういう運命なのかもしれません……が、そのような経緯を考えれば、その存在を大きく知らしめた!というだけでも、ジブリのチャレンジに拍手を送りたいと私は思います。
『ゲド戦記』は小学校高学年から(中学生以上?)向けらしいのですが、大人こそ読むべき本で、人によっては人生を変えうる本と言えるでしょう(宮崎駿さんは、この本を枕元に置いておいたそうです)。
私も悩み多き自立する一歩手前の大学生くらいの時に、さりげなく手渡してくれる人がいたら?もっと色んなことに気付けたろうなぁ…と思います。
でも?そのくらいの年齢だと、魔法使い的な話と聞いただけで鼻で笑ってバカにしてしまったかもしれません(『ゲド戦記』の影響を受けた作品が数多くあるせいで、新鮮味がなく感じられる可能性も?)。
ジブリ映画の方も『となりのトトロ』のような小さな子向けではないのは確かで、そのイメージで臨んでしまうと酷評につながってしまうのでしょう。
まだ見ていない人は、おそらく?最低でも、自分の内面との戦いである1巻を読んでから見る方がいいと思います。
小さい子には『こころにすむおおかみ』が、まずオススメですよ。そして、いつかは『ゲド戦記』を!
影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫) | |
アーシュラ・K. ル=グウィン | |
岩波書店 |