山王アニマルクリニック

日々の診療、いろんな本や音楽などについて思い巡らしながら、潤いと温もりのバランスを取ってゆこうと思います。

善意の落とし穴

2022-09-02 20:06:42 | 医療の波打ち際

今回は、現代にありがちな少々考えさせられるケースを紹介してみます。

家の外にも自由に出ているとっても元気な去勢していない男の子のケースです。

頬付近に大きな傷ができ、その周囲を強くかきこわすとのこと。他院にて3ヵ月ほど治療していたのですが、一向に治る気配がないため来院されました。

 

飼い主さんは年配の女性で、とても愛情深い方でした。診察する前から、心配でしょうがない気持ちが伝わってきます。

ワラにもすがるような表情で「かゆがって、かゆがってかわいそうで、とても見ていられないのでなんとかしてください!」と強く私に訴えてきました。

かきこわして出血するほどなのでエリザベス・カラーをつけたようです。

病変部を見るためにエリザベス・カラーを外してみると……

あれ?外ネコちゃんによくあるケンカ傷の治りかけみたいだけど、今までに見たことがない感じで傷全体が白ボケているなぁ?…と感じました。

私「どんな薬を使っているのですか?」

飼い主さん「軟膏と飲み薬を出されているんですけど……」

確かに大きな皮膚の欠損の周囲にひっかいたような傷もあるため、かゆいと言えばかゆいのかもしれないけれど…この状態で3ヵ月も改善が見られないということは…?

 

私は、内服のクラシックな抗菌薬と念のため精神的安定作用を持つ漢方のみを処方し、エリザベス・カラーを外すことを提案しました(高価なウェット・ドレッシングもなし)。

すると飼い主さんは「かゆがってかきこわしちゃうのは大丈夫なんですか?」と相変わらずとても心配そうな顔で聞いてきます。

「あまりにひどかったらまたカラーをつけてもいいと思いますがカラーをつけると首の周囲は逆に蒸れやすく、外ネコちゃんだと視野が遮られることによるリスクやストレスも多いと思いますよ」と私は答えました。

飼い主さんは半信半疑でしぶしぶと私の提案を受け入れたようでした。

 そして1週間後……

最初の写真はもっとひどかったのですが、少し傷が小さくなっているのが私にはわかりました。

飼い主さんは「大丈夫なんですかねぇ?…」とかゆがるのを心配して、エリザベス・カラーをあまり外していないようでした。

「おそらく大丈夫だと思います。以前より確実に良くなっていますから…カラーも完全に外した方がいいと思いますよ…」と私は言いました。

でも飼い主さんは、やはり、ひっかいていることばかりが気になりイマイチ良くなっている実感がわいていない様子でした。

「では…少し精神安定作用のあるお薬を増やしてみましょう。そして、ご心配のようですから、写真を撮っておいて1週間後に比較してみましょう」と言って上の写真を撮りました。

  

 そして上の写真から1週間後…… 

 確かに周囲に後足でひっかいたであろう傷が増えましたが、だいぶ小さくなってきています。

飼い主さんも心配そうな顔が安堵の笑顔に変わってきました。 

そして同じ薬を2週間分処方しました……すると、その飼い主さんはしばらく来院されませんでした。 

 

その2か月後、再びケンカによる外傷で、今度は後肢を咬まれ来院しました。                

でも前回の傷はその後2週間で完治し、きちんと毛も生えてきています。

この結果、「かゆがっている」という主訴にどうにか応えようと、ただのケンカ傷にステロイド入り軟膏(抗菌薬も含有)を使用していたため治癒に至らなかったケースと思われました(ステロイド――副腎皮質ホルモン――は免疫機能を抑制するため、傷が治りにくくなります)。

確かに外傷の治癒過程では少々かゆい時もありますよね。

小学校時代に膝をすりむいてできたカサブタ周囲がかゆくてかゆくて、ついいじってちょっとずつはがしたりしたことを思い出します。

去勢していないネコちゃんが傷周囲をパワフルにかきこわしていたこと、そして飼い主さんが愛情深い方であり、その症状を早くなんとかしてほしいと強く懇願していたことが相まってこのような結果に…?

もちろん、飼い主さんの主訴をまず受け止めることは大切です。よく気持ちを汲んでくれるような先生は、治療成果の如何にかかわらず人気がありますよね。

しかしその中でも、本当にいい人過ぎて何でも言いなりみたいになってしまう先生もいれば、どれくらい意図的なのかは別にして、表面的ニーズに寄り添う優しさや正義を説くことが、いい商売になるから?と感じさせるケースもあるのです。

こういう微妙な隙間から虚像が生まれて混乱し、多くの人が両極端な対応へと向かってしまうのでしょう。

 

言いなりになっていた方が…治らなくても、表面的ニーズに応える薬を出す方が…儲かる!?

(デーヴ・スペクターさんが統一教会問題が報道されるようになってから――信じると者を書くと「信者」になりますが、合わせると「儲かる」になる――とツイートしてバズってましたね!)

 

今回みたいなケースは「そんなドヤ顔で言うレベルのことじゃないだろ!俺は絶対そんなことせんわ!」という先生も多いと思います。

しかしながら同業者と話したり、ネット上の記述を見たりすると、「そんなことも知らないの!?」と驚くことも、おそらく驚かれていることもあるように感じるのです。

なにせ動物医療は内科や外科、眼科から歯科、動物の種類の差をも幅広く網羅しなければならず、体全体の流れを感じられるメリットがある反面、苦手分野も出てきてしまうのです。

自省を込めて書きますが、プロのプライドなどと言いながら人の失敗には笑い、気づかぬまま表面的な言葉に振り回され、大同小異のことをしている臨床家がほとんどなのではないでしょうか。

多くの人にはご理解頂けると思いますが、ギャンブルで勝った時だけ鬼の首でも獲ったかのごとく自慢し、負けてる時はギャンブルしてること自体を隠すような方々も多いですからね。

訳知り顔でこんなことを書いている奴に限って「表面的な言葉に惑わされないぞ」という思いが強すぎ、大切な主訴を軽視し、逆方向の失敗しているのに気づいてなかったりもするのでしょう。

このような難しい問題への思考から、私は動物には優しいけれど、飼い主にはそっけない、または厳しいと評されることがあります――「申し訳ありません」と言うしかありませんが、おそらくこの問題がからんだケースほどそういう傾向が強くなってしまうものと思われます。そのため伝わりにくいこともありますが、代わりに上述の例のような表面的ニーズをソフトに満たす精神安定作用のある漢方などを処方しています)

まあ、このケースはそんなに複雑ではないのですが、根本的には同じような形で、現代社会の理想としてあがめられているある種の配慮によって、シンプルであったはずの問題が複雑になってしまっている例が実の所けっこう多いのではないか?と感じるのです。

(人の医療上のあれこれも…しかしこの話はプロでもピンと来る人と来ない人の差が激しいと思われ、具体例を出すと炎上するくらいこんがらがっています)

そのような混乱を生む原因はいったい何なのか?

数々の修羅場をくぐりぬけてきたであろうこの黒白ネコちゃん♂の写真を見ながら、みなさんにも考えてみてほしいのです。

実際これを上回るケースが遠方からやってくることに……(→治らない傷

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絶対症状でググるな!

2020-02-12 20:21:09 | 医療の波打ち際

 

この曲、前回書いた『マチネの終わりに』の作者平野啓一郎さんのTwitterで知ったのですが…いや~心ある医療関係者ほど大ウケでしょうねぇ!

(平野さんはわかってくれたが、医療関係者以外はわかってくれるのだろうか?)

歌っているヘンドリック・ヴィーディグリアンさんは、スウェーデンの耳鼻咽喉科医だそうです。

なんだかおかしい医療や科学の実態(他の曲もあり)、そしてネット情報の胡散臭さをこんなユーモラスに表現するとは!――アメリカ人もびっくりでしょう!!

友人の奥さんも、午前中に病院へ行ったのに「子どもの熱が下がらない…」と心配になって、いろいろとググってしまったようなのです。

すると「熱が下がらない場合は…白血病の疑いが…」みたいなことが書かれているではありませんか!

友人はそれまでの経過から「大丈夫だよ」と言ったそうなのですが、奥さんはググればググるほど心配になって…夕方違う病院へ行くことに……。

すると、小児科にはもっと重症そうでゲホゲホと咳をしている子が何人かおり、その近くには遊具コーナーが!

無症状だった弟くんは目を輝かせ、そのコーナーへ飛んで行き、汚染しているかもしれないオモチャをベタベタと触りまくる事態に!!(子育てあるあるですよね~)

311の原発事故で経験しましたが、見えないゆえに、ネガティブな想像力をかき立てられるものって、人によっては想像以上の爆発力を持ってますね。

その小児科の先生は、病の経過を聞き、母親の心配をしっかりと受け止めた後…「白血病の子はこんなにいい顔色してないから大丈夫よ!」と笑顔で言ってくれたそうです。

電子体温計はバグというかムラがある製品があったり、測り方によっても正確性は失われるので、何度か測ってみたり、数値だけでなく、顔色や活力(目に力がないなど)の症状(東洋医学的には脈診や舌診もあります)も考慮して判断した方がいいでしょう。

以前、軽症ケースであったにもかかわらず、後にネットを見て心配になった飼い主さんから、「なんで(ネットに書いてある通りの)検査してくれなかったんですか!」と電話で怒られたこともありましたね。

当院では生死にかかわる緊急性がなければ、必要に応じて段階的に検査をします――実は一部の医療関係者も気づいていない過剰医療による医原病もけっこうあるので、体に負担がかかって本末転倒となりうる検査ほど慎重に!

こういうことは今問題の新型コロナウィルスにも関係することなので、医師が書いた共通項の多い記事を貼っておきます。

OGPイメージ

新型コロナで「情報汚染」されたメディアが報じない「5つの真実」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

毎日のように、新しい感染者が発表される新型コロナウイルス肺炎。国内流行に伴い、SNSに「お湯で予防できる」などのデマが飛び交っていることが報...

Yahoo!ニュース

 

印象的な所を一部抜粋&コメント:
①もともと新型コロナウイルス感染に対するPCR検査は感度(感染している人の中で陽性の結果が出る確率)が高くはなく、30~70%程度といわれている→100%正しくないのに、陰性、陽性と白黒はっきりついてしまう検査のせいで、素人もプロ?も混乱。

PCR検査の感度は、臨床系の方は70%くらいがリーズナブルで、基礎系の方は90%以上と言っている傾向があるように感じます。日本では五輪開催のため陽性者を減らしたい?そして検査代をケチりたい勢力と前者が、検査でもうけたい勢力?と後者がごちゃ混ぜになって、本来ならば協力し合える人たちまでが、ネット上で言い争っているようで悲しくなりました。

お互い自分の専門のプロ・スイッチみたいなものが入ってしまうと融通がきかなくなってしまうのかもしれませんが、情報伝達の高速化と新型コロナの相乗効果によって、ここまで世界が混乱するとは思いませんでした。

信頼できると思っていた人が??なことをしてしまったり、ごちゃ混ぜ傾向は増え、より難しいかじ取りが必要な時代になってきているのでしょう。

PCRも抗原検査もメーカーによってクオリティが違うから、さらに議論がすれ違ってしまうんですよね。

まあ、芸能人などでも5回目でやっとPCR陽性…なんて話もありましたし、臨床をやっていると、高度な検査とやらにガッカリさせられた経験も多いのです。

外注しなければいけないので、PCRの臨床的手ごたえに関して私は経験不足であり、偉そうなことを言える立場にありません。しかし新型コロナにも使われている抗原検査が当てにならないのは臨床上強く実感しています。だから、このような新しい感染症の場合、PCR検査をしていくしないというのはもっともな意見です。)

②「検査を行っても治療法や対処法が変わらない場合、その検査は行う意味がない」と考えるのが医学の原則なのだ→権威に弱く、ただ上から言われたことだけやっている人に不足しがちな、問題を解決するための想像力ですね。

③ワイドショーに出てくる「検査を断られた」という例は、多くの人が二度、三度と病院を変わり、ドクターショッピングしている。複数の病院を受診すると、かえって適切な診断がなされないことがあることを覚えておいたほうがいいだろう→情報過多&時間に追われる現代人の悪循環なのですが、動物病院でもあるあるな話…明らかにおかしい病院もあれど、「後医は名医」とよく言われます。

④中国からの論文では、発症した全患者の中で院内感染が4割を超えるという報告もあり、中国では医療従事者への感染が問題になっている→新型コロナは、80%は軽症で済む中、症状が曖昧で病の経過が長く、それに伴ってウイルス感染リスクも長期化!…と、まさに効率化社会の苦手分野!

 

結局、動物病院に限らず、どこの業界でも検索してもいないのに出てくるような所ほど高額の広告費を払っているし、そういうことをしないと来ないようなヤバイ所ってことです。

ネットの世界は、恐怖を煽ったりしてサプリだの何だのを売りつけようとするような輩がみなさんが思っている以上に強いので、お気をつけ下さい(みなさん、けっこうダマされてますよ)!

アマゾンなどの口コミでもこんな実情があり(→Amazon.co.jpに蔓延る不正レビュー問題)、この記事で書かれている「不正をすることで得られる利益と、不正に対する罰のバランスが取れていないため、ズルをした方がお得......な状態なんですよね」というのは、考えてみればネット社会全般に言えることなのです。

ネット情報は話半分以下にして、リアルな知り合いの口コミなどで信頼できる病院などを探しましょう!!

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僕はマゼランと旅した & ガン病棟

2015-05-25 08:01:02 | 医療の波打ち際

 今回は、当院で使用している中医薬(漢方薬)などに関係する話をしてみようと思います……と言いつつ、全く関係のなさそうなオススメ小説の紹介から始めます(ネタバレあり)。

僕はマゼランと旅した
ダイベック
白水社

まずは、のびのびと心を拡大してくれそうなタイトルのこの作品から……でも、マゼランが5隻の船で277人の船乗りたちと航海、史上初の世界一周を実現し、地球が丸いことを証明した──というのは表向きな話。

実際には、航海途中のフィリピン辺りで、マゼランは先住民に殺されてしまったそうです。その意志を受け継いだ生き残りの者たちが航海を続け、地球を回って元に帰れたのはわずか18人だけだった……。

大航海時代、今から500年ほど前のその事実は、この短編集が描く喜怒哀楽の背後で静かな重低音のように響いているのでしょう。

著者ダイベックの前作「シカゴ育ち」は、翻訳した元東大教授の柴田元幸さんが、多くの人たちから「あなたの訳した本の中でいちばん好きだ」と言われ、ご自身も訳した中でいちばんのお気に入りなんだそうです。

アメリカ生まれであっても、ポーランド系移民であるダイベックは、白人系と言えど微妙な立場なようで、アメリカという矛盾に満ちた国の成り立ちの中、先代、先々代?そして現在も続いている戦争や人種間の軋轢を経て、様々な苦労や悲しみを体験してきたのでしょう。

(アメリカでは、白の中にも白黒の区別があるようです)

訳者のあとがきによると、シカゴは、ほんの数ブロック歩いただけで貧乏地帯の空気も金持ち地帯の空気もほとんど同時に味わえるコンパクトな多様性を備えている街なのだそうです。

私の大好きなダニーハサウェイカーティス・メイフィールドがシカゴ出身だったのも何か腑に落ちる気がします。

ダイベックの小説からは、日本の街と違った古そうな石造りのスラム街──ジャズやブルースだけでなく、クラシックやラテン系音楽などが入り交じって流れる地域──みたいな雰囲気が浮かび上がってきますが、遠く離れた国なのに、男や男の子たちのアホさ加減はどこの国も同じなんだな~と強く共感して笑えます。

「シカゴ育ち」の方が読みやすかったとは思いますが、よく読み直してみると、どちらも素晴らしく読むたびに発見がありそうです。個人的には「ブルー・ボーイ」が好きですね。

さて、中医薬の話はどう絡んでくるのか?……この小説の中で、太極拳をやっていた年配のアジア系の男がミックという登場人物にすすめた薬「ユンナン・バイヤオ」とは、中医薬を勉強した人ならご存じの秘伝薬「雲南白薬」ですよね。

この薬は「アリとゾウの戦い」と銘打たれたベトナム戦争において有名になりました。

アメリカ軍の攻撃によって大ケガを負ったはずのベトコンが、何日かすると驚くべき回復力をみせて反撃してくるではないか?

何か秘密があるのでは?と調べてみると…ベトコンが持っていた救急箱にこの薬が入っていた──というような話のようです。

(中国の雲南省と北ベトナムはつながっているので昔から人や物資の行き来があったのでしょう)

ゾウのような大国アメリカがベトナムという小さなアリに勝てなかった過酷な戦争……その中で過剰に伝説化された部分もあるのかもしれません。異国の人の顔はただでさえ区別が付きにくかったりしますし、鬱蒼と草木が生い茂るジャングルの中ではさらに判別不能かもしれませんし……?

小説の中のミックは腕を骨折しており、雲南白薬を飲んでも腫れが引かず病院に運ばれて手術を受けます。いくら伝説化された秘薬と言えど、骨折を物理的に整復するまでの効果はありませんよね。外傷による腫れや内出血などには効くはずなんですけど?

まあ中国産のものは、見た目は本物と変わらない偽物もあるようなので?(ネットではなく信頼できるルートから購入しないと危険!──バイアグラなども気を付けて下さい)

でも、さすがはダイベック、いろんな意味で絶妙なバランスの描写だと思います。

ガン病棟 上巻 (新潮文庫 ソ 2-2)
ソルジェニーツィン

新潮社

次に紹介するのは、ノーベル文学賞をとったロシア作家ソルジェニーツィンの小説……ガンという病に向き合う患者側や医師側の葛藤、医療に携わる者にとってうなずける話だけでなく、耳の痛い話もたくさん描かれています。

それにしても?40年以上前に書かれた小説なのに、様々な進歩もあったはずなのに、ガンという病に対する医療の根本的な流れはあまり変わってないのだなぁ…と感じる私は勉強不足なのか?それとも理想が高過ぎるのか?

(身近なものが、微妙な段階でけっこう気軽にすすめられた放射線療法の副作用に苦しんでいるので…両方の視点に共感できるのです)

いずれにしても、自らもガンを患いガン病棟にいたソルジェニーツィンの観察眼は国家や時を超えるものをしっかりとらえているように感じます。

また、社会主義国家の問題点……みんなが公務員である国家では、平等という理想を目指してなんでも画一化してしまうような法が作られてしまうのか?想像以上に人との信頼関係よりも責任逃れのための紙切れ仕事重視となってしまう傾向が描かれています。

そんなクソ真面目にやり過ぎる反作用なのでしょうが、闇取引が多く、要職にある人であっても賄賂を要求したりしないと生活が成り立たなかったり、国の倉庫から物資を盗み横流しするような闇商人もいたりしたようです。

それを防ごうとすると紙切れ仕事がさらに増えていく悪循環(あれ?どこかの国でも同じようなことが!)……この小説が当時のソ連で掲載拒否されたのは痛い所を突いていたからでしょう。

医療関係者を含め、人の将来を左右するような決定に強い影響力を与えられる人たちがいます。そんな力の前ではほとんどの人が下手に出るしかありません。

すると、その立場から生じる力をすべて自分自身の力と勘違いしてしまうことがあるのです。

そのような勘違いに気付かずにいる人ほど、時と共にその重みを自ら痛感するであろう想像力をこの小説は与えてくれると思います。

漢方薬との絡みとしては、トリカブトの根(側根は漢方薬の附子であり、そのままでは毒性が強いため、加工減毒して使います。主根は烏頭)のウォッカ漬けをコストグロートフという登場人物が隠し持っているシーンが印象的です。

処理によってはただの毒薬であるトリカブトを発見した医師は憤り、没収しようとします。

コストグロートフが「…先生はこれの効き目を信じないんですね」と言うと、医師は「信じませんとも!そんなものは迷信です。人間の生死の問題を不真面目に考えるよくない迷信です。

臨床的に証明された科学的な報告しか私は信じません!……」と現代でもよく耳にするEBM(根拠に基づいた医療)な正論を語ります。

すると、コストグロートフは「あああ、聖なる科学か!……それほど絶対的なものなら10年ごとに治療方法がひっくりかえったりしないだろうにな…一体ぼくは何を信じたらいいんです?……」と正論バカに痛快な一撃を返します(私も若い頃はそんな時がありました…今でも気付かぬうちに?)。

ソルジェニーツィンは数学の教師だったので、根源的な意味でも理論的であり、だからこそ科学の限界にも気付いていたのでしょう。

実際、知識レベルが中途半端に高い人ほど科学の限界に気付かず、合コンで「僕の計算によると、何ちゃら彗星は云々……」などと自慢げに語り、女の子をドン引きさせたりしてませんか?

私もついそんなモードになってしまうので、人のことを言えた義理ではありませんが、本当に高い知識を持つ人ほど謙虚であるのは誰もが認める所です。

一例となる記述を略して引用すると……放射線療法が最先端だった当時は、悪性腫瘍以外にも使用され、「放射線障害」という呼び名さえなく、確実で絶対的な方法、現代医学の偉大なる成果であると評価されていた!……とあり以下の文が続きます。

「この療法を否定し、ほかの平行する道、あるいは迂回する道を探すことは、遅れた考え方であり、勤労大衆に対する治療のサボタージュであるとさえ見なされていたのだった……照射の初期段階で組織や骨に大きな損傷があるのではないかという危惧は当時もあったが、それを避けるための研究もなされていた。とにかく、どんどん照射したのである!夢中になって照射した!良性腫瘍にも。小さな子供にも……そして(10年以上経過した後)成人したそれらの子供たち──青年男女、時に既婚者が、大量照射された部分がひどく奇型化した体をかかえてやってくるようになったのである」

昔よりも様々な縛りがあるにせよ、現代でも最先端医療を自負する人たちほど、全く同じような物言いで同じようなことをやっている傾向を感じます。

でも、最先端ばかりに疑問を抱く者にとって痛快である言葉だけで気持ち良くなって、科学には限界がある!で思考停止してもいけないのが難しい所です。

すごく良いものの裏には、すごく悪い所があり、逆にすごく悪いものの裏には、すごく良い所がある!

新しい発見のデメリットは、かなりの時を経ないと可視化されないことも多いので(例えば、ノーベル賞を受賞した青色LEDが目に悪影響を及ぼす可能性を示した論文もあります)、「毒を持って毒を制す」的な放射線療法や漢方薬の附子も「馬鹿と鋏は使いよう」なのでしょう。

(※中医学的には、附子はガンにではなく、陽虚という状態などに効果があります)。

 また「ガン病棟」には、漢方薬ではないのですが、チャーガ(シベリア霊芝)という白樺に生えるキノコによるガンの民間療法が紹介されています。

そのエピソードに登場するマースレニコフ博士は実在の人物であり、今も博士の記念館があって、そこにはソルジェニーツィンが博士に送った手紙が展示されているそうです。

 博士は、モスクワ郊外の田舎病院に何十年も勤めていたのですが、医学論文ではガンの症例がどんどん増えているのに、その病院に来る農民にはガンになる人がめったにいない…という事実に気付いた!

…調べてみると、農民たちは、お茶代を節約するためにチャーガを煎じて飲む習慣があった……そして博士の研究では、転移を抑え、食欲を増進させるという結果が出たようです。

この2つの小説をつなぐ動物用製品があるのです。雲南白薬の80%くらいは、田七人参らしいのですが、他の成分は秘密となっています。その田七人参を補助的に配合し、チャーガを主成分にした製品です。

論文検索すると、田七人参、チャーガのガンやその他の病に対する効果を調べた論文もいろいろと発表されているようですね。

この辺りは難しい所で、特に中医学の病のとらえ方は西洋医学的な枠組みからはみ出してしまうことも多いので、ある一つの西洋医学的名前の病気に限定され過ぎて何かズレを感じてしまうこともあります。

実際に関連しているのは事実としても、2つの素晴らしい小説と絡めて説明するなんて恐れ多い気もしたのです。が、科学がいくら進歩しようと、いつかは誰にでも訪れる肉体の死……その対岸で感情…人の心は、物語の中でいつまでも受け継がれてゆくのでしょう。

「ブルー・ボーイ」の中でもカミールという少女は「大事なのは感情よ」と力を込めて言います(「ガン病棟」でも最終的には気分【精神状態】によって生死が左右されることを示唆する論文の記述あり)。

人々の記憶に残り、白黒の理論や国境を超えて今もひそやかに使い続けられているのは、まさに「感情」の制御不能なまでの底力なのかもしれません。

 積極的に使用した結果、ぜひウチの子のことをブログに載せて下さいと喜んで下さっている飼い主さんもいるので、体に負担のかからない治療を希望される方など──詳しくは(よりぶっちゃけた話は…)当院にご相談下さい。

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感情という心のモノサシ

2015-03-14 09:56:07 | 医療の波打ち際

 感情という心のモノサシは、それぞれの体験の中で形作られます。お母さんのおなかにいた時から(もしかしたらそれ以前から)?何だかわからないまま様々な刺激にさらされ、ニコニコ笑ったり、エンエン泣いたり……そんな気分の浮き沈みを体験していく中で、いろんなことに対する自分だけの標準感覚ラインが出来上がってきます。

 幸せという感覚であれば、それに絡んだ体験の標準感覚ラインより上にいく体験ほど幸せと感じ、下にいく体験ほど不幸と感じるのでしょう(「数字のモノサシ」に心のモノサシをうまく表現しているイラストがありますP82~)。

 裕福な家庭に生まれ、幼い頃から食べ物もオモチャも最高級なものを与えられて育ったのに、無表情で目の輝きが感じられない子どもがいます。

 貧しかった人が苦労に苦労を重ねて、やっと豊かになった場合には、高級品のありがたさを強く実感できるのですが、その過程を経ずに初めから最高級なものを与えられていると、標準感覚ラインだけがバカ高く設定されてしまうのです。そうなると、どんどん刺激の強いものでないとダメになり……麻薬などに手を出して逮捕!なんて話も時々ありますよね。

 そんなケースでは、オモチャやゲームなどお金で買えるもの──表面的に喜ぶという即効性はありますが、すぐに飽きてより強い刺激がほしくなる──はたくさん与えられてきたけれど、両親ともその生活を維持したり、その他のことの夢中だったりして、子供の基本的な欲求が満たされていなかったり、うまく言葉にできない本当の気持ち──おそらく?うんざりするような葛藤を共にする中で、やっと感じ取れるような非効率的なもの──が全く受け止めてもらえてなかったりするのでしょう。

 私も子育ての葛藤中ですが、そういうことを頭では理解しているつもりでも、実際にできている自信はありません。

 ワンちゃんやネコちゃんを飼っていく上でも基本的欲求──狩猟本能を満たす工夫、散歩、スキンシップなど──を満たさずに、効率の良い刺激──美味し過ぎるおやつなど──ばかりに頼っていると同じような悲しい結末が……生き物は短期的には誤魔化しが効くようでも、長期的には効かないのでしょう。

 何をストレスと感じるか?も、それぞれの体験の中で形作られた心のモノサシによって変わってきます。例えば、電車が通過する際のガタンゴトンという音は、普通の人にとって騒音でしかありません。でも、線路の近くに幼い頃から住み、その音を当たり前のように聴いて育った人は、逆に懐かしく眠りやすい…騒音が子守歌?という普通の理屈で考えたらおかしいことが起こりうるようです――病は気から」「ストレスはいけない」と言いつつ、幼い頃ほど激し過ぎないストレスによってストレスに強くなる可能性があるのだから…難しいけれどおもしろいですね。

 ある芸能人の奥さんが離婚された後、その理由の一つとして、いろんな人から新鮮な牡蠣やら何やらが大量に送られてくる毎日で、自分が食べたいものも食べられなくて大変だったなどと言っていました。普通の感覚だったら、新鮮なものを次々にもらえるなんてうらやましい限りですよね?そのせいか?当時は、同情というより苦労知らずのお嬢さんなんだね~みたいな雰囲気になっていた記憶があります。

 でも、その元旦那さんは交友範囲がとても広そうな方だったので、大量頻回過ぎて冷蔵庫にも入らず、生鮮食品は腐ってしまうし、捨てたりするだけでも重労働だったことが想像されます。

 経済的には何不自由なくても、精神的に満たされないなんて普通の感覚では想像しにくい所ですが…経験してみないと理解できないことってたくさんありますよね。

 このように、同じようでそれぞれ異なっている体験の中でできあがるモノサシが人、イヌ、ネコの病気に関係していることが、けっこうあるように感じます。しかし効率重視の現代では、白黒はっきりつくものばかりに目がいき、話をよく聞いたりすることで浮かびあがってくるストレス状況はついて後回しにされがちです。

 現代人は…特に前回書いたキラキラ情報に取り憑かれている人ほど(命に別状ない症状なので段階的にソフトな治療から開始しているのであっても)、即効性がないとイライラします。即効性がないとネットなどで、次のキラキラ情報を探し病院をコロコロ変えたり、早く何とかして下さいオーラ全開で迫ったりすることもあって、過激な検査や治療ばかりされて、逆に慢性化したり、悪化したりする負の連鎖に陥っていることもあります。

 おそらく?そんな方向であろうに?懸命にワンちゃんやネコちゃんを看病しているような闘病ブログがあったりすると、我々サイドの責任も感じざるを得ません。が…代理ミュンヒハウゼン症候群(これはかなり極端な例ですが、よりソフトな形であれば誰にでも起こりうることかもしれません)などのような飼い主さん側の心の問題も絡んでくるので、これまた複雑なのです──そんな感情の混乱が絡んでいるケースでは、ストレートな理論的説得など何の効果もありません。

 そんな時ほど、即効性のある解決策が難しかったりするストレス状況がないがしろにされてるケースがあったりするような? 私が経験した糖尿病のネコでも、10年以上いつもネコと一緒に寝ていた息子さんが転勤でいなくなってしまったことや、多頭飼いで以前よりも狭い家に引っ越したりしたことによるストレスで発症したと思われるケースがあります。

 それらの子は、共にフードが常に食べられる状態で飼われていたため、日頃から血糖値が高くなりやすく、膵臓に負担がかかっていました(多頭飼育だと難しいのですが、フードを常に食べられる状態にしておくと、命も体も太く短く方向へ…)。そんな状態で、精神的ストレスがかかると、アドレナリンや副腎皮質ホルモンが分泌され、さらに血糖値は上昇してしまうのです。すると、ただでさえ無理をしていた膵臓は限界域を超え、血糖値を下げる唯一のホルモンであるインスリン分泌機能が破壊されてしまう……このように悪いことが二重以上続くと、ものすごく悪いことが起こってしまうのでしょう。

 これらの例では、転勤してしまった息子さんに戻ってきてもらったり、元の広い家に戻ったりすることがより良い糖尿病のコントロールにつながるとしても、現実的には難しいですよね? 

 現代人は、キラキラした様々な誘惑に急き立てられ、昔に比べ数値化しやすい部分では豊かになりました。でも、それと引き替えに数値化しにくい精神的ストレスを抱え込むようになったのかもしれません。

 治療に対する反応が悪い時、飼い主さんにいろいろと話を聞いてみると、ご親族の病気や出産、経済状況の悪化による環境の変化など、もっと複雑でどうしようもない事情が絡み合っていることもあります。

 そんな心の隙間に優しさや希望、正義をまとった欲望が忍び込むと……正邪はさらに混乱!インターネットによって昔より効率良くたくさんの情報にたどり着けるようになりましたが、本当に良い情報が少ないのは今も昔も変わりありません。

 結局、そこで繰り広げられているのは、同じ重荷を持つもの同士が何に動かされているのか気付かぬまま、より弱き者の生き血を吸う負の連鎖なのか?…と悲観的になってしまいそうです。

 でも、良い情報を発信している人も確実にいます!そんな情報ほど、厳しさも伴い、あまりキラキラしてなかったりするのでお互い気を付けましょう!

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病は気から?

2015-02-09 15:36:43 | 医療の波打ち際

 「病は気から」とは、現代でもよく耳にする言葉です。しかし現代では、どうしても?「気」以外の科学的原因…細菌、ウイルス、寄生虫、栄養バランス、ホルモン系の異常、遺伝子の異常など―数値化しやすかったり、有無が分かりやすかったりするものばかりが注目されがちです。

 なぜか?と言えば、白黒がはっきりしていて素人でもわかりやすいからです。例えば血液生化学検査であるBUN(血中尿素窒素)の参考基準値は、ネコならば10~30mg/dlくらいとなっています…31mg/dlと出れば異常値です。また、猫の白血病ウイルス感染症の抗原検査などは、陰性または陽性と白黒はっきりします――とてもわかりやすいですね。

 でも?結果がはっきり出て?わかりやすいということは?それ以上悩まなくてもいい=頭を使わなくてもいい…ということにつながってしまう可能性があるのです。

 普通の人には、とても難しく感じる高度な理論――STAP細胞事件のようにハーバード大学から来た人が考えた!というようなブランド力があると最強?――に基づく検査ほど、そんな方向にいってしまう可能性が高くなる……これもまた不思議なパラドックスですね(ブランド力のない私の言葉など無力なものです)。

 それで原因がわかるだけでなく、完治する道へつながっているのならば、医療否定本など誰も書かなくなるのでしょうが……やはり理論―理屈―理想と実践―感情―現実との間には、人によってかなりの落差があるようです。

 考えてみると?理想通りに生きられている人なんているのでしょうか? 理想を抱き、ひたむきに努力する人は向上します……しかし理想が高くなるほど実現は困難で、実現できたとしても何かが犠牲に…という現実は日陰に追いやられるばかりです。テレビにもネットにも目指すべき輝かしい理想への情報があふれている――それは多くの人が理想とは程遠い生活を送っていることの裏返しとも言えます。

 何かを売ったりするため意図的にライトアップされた情報は、白黒がくっきりとわかりやすく輝いて見えます――輝きばかりに気を取られると影に目がいきません。

 そんなキラキラしたわかりやすさに、何だかわからないまま頭と身体を切り離されてしまっている人ほど、全否定か全肯定のどちらかしかない極論思考に陥ってしまうのでしょう。

 極論に走るということは、自分の方が正しい!と相反する考えの長所など一切認めない方向なので、どちらの極にせよ「唯一の完全なる真理」という天上のごとき理想に支配されているのではないでしょうか?

 しかし、我々が生きている大地は、不完全な人間しか存在しない現実の世界です。誰でも長所と短所があるように、医療上の様々なアプローチにも長所と短所があるのです――広く深く長~い目で良い所だけを見れば?どんな暴論にも?一理くらいはある?と言えるのかもしれません。

 ネットでも何でも、自分だけが絶対に正しい!というような物言いをする人ほど間違っているものです。そんな物言いの人ほど、妙に良い人や情報通ぶったりしながら、裏ではなりすまし工作をするなんてこともあったりして? 

 おそらく?現実の世界に本音で語り合える、ケンカになってもなぜか絶縁できないような友達がいない人ほど、気楽にリセット可能なネットだけの世界に入り込みがちなのでしょう――自分の不完全さに気付いていない人ほど、相手の不完全さを受け入れられない底なし沼に……

 

  科学的な検査というと100%正しいように思いがちです。が、現実の世界では、少なからず人為的なミスや検査製品の異常などのせいで判定不能になってしまうケースだってあります。実際、私は芸能人も入院する全国的に有名な某大病院にて、親族が検査用の注射をされている時、ナースさんが注射液をかなり漏らしてしまっているシーンを見ました…責めているわけではなく、どんな厳格体制の病院でも、人間が働いている限り必ずミスが起こる、と言いたいのです。

 病院で働いたことのある方なら理解してもらえると思いますが、ミスを厳罰化するだけでは、責任をなすり付け合ったり、ゴマかしたりするテクニックばかりが巧妙になり、ケアに対する前向きな気持ちが心の内側からわきあがることはありません。

 科学的と言われる検査で白黒はっきりとした結果が出たとしても?よく調べてみると?科学的検査であるにもかかわらず、科学的根拠が微妙なことさえあるのです(大きな声では言えませんが…)。

  もちろん私は、科学的な検査を全面的に否定しているのではありません。が、最先端高度医療、何だか有名そうな先生推奨、そして最近のひどいケースではネット上のステルス・マーケティング的なキラキラ要素に振り回され(医療否定系の極端情報も含まれます)、キラキラを吸い取られていくだけのように見える人がいると、目に余る思いを感じるのです。

 経済的には大変でも、本当に科学的に考えられた検査ならば?うまくいくケースも多いのでしょうから……とても難しいと思います。

 昔からよく言われることですが、検査機器などを使いこなすのでなく、検査機器に使われてしまっていると?そんな方向に陥っていても無自覚となってしまうのでしょう。

 

  理論的に考えていくことは大切なのですが、機械ではない人間そしてワンちゃんやネコちゃんは、感情を持っているのです。感情とは、何かに対してそれぞれの心の中に浮かんでくる好き嫌い(快or不快)や喜怒哀楽などの気持ち……現代では理論が圧倒的優勢かと思いきや、感情は巧妙な屁理屈を作り上げて理論の中にもぐり込み、いまだ衰えることを知りません。そして…理論をあざ笑うかのようなあいまいさで、時に理論を超越することがあるのです。

 例えば…慢性腎不全(慢性腎臓病)となってしまったならば、タンパク質やリンなどを控えた腎臓病用のフードが理論的には理想です。でも?重症な子ほど、腎臓病用のフードなんて食べてくれなかったりします。腎臓病用のフードを与える理想にこだわったせいで、あっという間に亡くなってしまう子がいる一方、ジャンク過ぎない程度のいつも食べていたフードとちょっとした治療のみで長期間生きる子がいたりするのです。

 また理論的には、入院して点滴をすれば、かなり良くなるはずの病態の子でも、あまりに神経質だったりすると、ものすごく悪化してしまうこともあります。

 飼い主さんの旅行などで預かった時、ケージに入れた途端、落ち着きなくわめき始め、血便でグチョグチョになってしまう子もいます。

 かなりジャンクな食生活で太り気味の子だったとしても、飼い主さんの愛情が独りよがりではなく(早朝の散歩などその子の生きがいにつながる習慣がある)、広いスペースでの飼育など様々な意味でストレスが少ない環境で飼われていると、すごく長生きする子がいたりします。

 次回は、感情という心のモノサシについてもう少し掘り下げてみようと思います。

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