山王アニマルクリニック

日々の診療、いろんな本や音楽などについて思い巡らしながら、潤いと温もりのバランスを取ってゆこうと思います。

ねえ だっこして

2015-03-22 08:15:21 | 絵本&幼き心

 

 今回紹介するのは、動物病院で働いていると時々向き合わなければならない、やるせない悲しみがテーマとなっているこの絵本です。

 これもまた難しい問題で、お子さんがしばらくの間生まれなかった夫婦ほど?ワンちゃんやネコちゃんを愛情深く飼っていたりするのです。

 愛情深く飼われていた子ほど、前回書いた愛情に関する標準感覚ラインは高いレベルに設定されています。

 いくら愛情深い夫婦でも、出産すれば人間優先になってしまうでしょう。それは仕方のないことなのですが、今までの愛情が深いものであったならあったほど、突然の変化に心理的落差を感じてしまうのです。

 これは弟や妹が生まれた時も同じで、先に生まれ王子様やお姫様のような扱いを受けていた子ほど、その落差を受け入れられず親を困らせる何かを起こしてしまうのでしょう。

 愛情とは難しいですね?しっかりと与えつつも与え過ぎないようにしないと……矛盾してますね? でも…人それぞれの葛藤の中にこそ意味があるのだとしたら?

 

 私の知り合いで幼い頃、毎日お兄さんにいじめられていた人がいました……

 その人の話によると、お兄さんは赤ちゃんの時から育てやすい子で、そのお母さんは「子どもを育てるのなんて簡単だから、早く生んじゃった方がいいわよ!」などと楽天的に言っていたそうです。

 でも、弟であるその人は生まれた直後から何か様子がおかしく、何か苦しさを訴えかけるような声で泣いていたようなのです。

 お母さんの話では、新生児黄疸がひどかったらしく、生まれた産院から別の病院へ運ばれ、輸血して命を取り留めた?とのことでした。

 どのくらい重症だったのか?はわかりませんが、生まれたばかりの我が子が死にかけたという思いは、過剰な保護に向かうには十分なのでしょう。

 一方、お兄さんは手がかからない子というレッテルをはられていることもあって、さみしい思いを抱いていても「お兄ちゃんはしっかりしているから大丈夫よね」と思われてしまう傾向があったと考えられます。

 こうして幼かったお兄さんの言葉にできない悲しみは、納得できない怒りとなって沸騰し、弟に対する様々ないじめに形を変えていったのでしょう。

 

 動物でも人間でも、甘えたい気持ちが強くても一見そのように見えず、悶々とストレスをため込んでしまう損なキャラの子がいることを覚えておいてほしいのです。

 「大丈夫だよ…」と言いつつ、ひそかに?この絵本の表紙に描かれているネコのような悲しい瞳をしている子もいると思います。

これがとてもよく描かれているのです!不思議なことにアマゾンの画像からではイマイチそれが伝わらないので、実物を手に取って見ることをオススメします。

 

 難しい問題ですが、もしかすると?凄惨ないじめ事件などの背後にも、抑制がきかなくなるほど納得できない思い、どこに矛先を向ければいいのかさえわからない混乱から生じる怒りがあり、その前には言葉にできない悲しさを物語る瞳があったのかもしれません。

 その方は、お兄さんを強く憎んでいた時期もあったようです。でも、お母さんの過剰傾向な保護のせいか?体も弱かったので、そのままではただのマザコンになっていたかもしれず、毎日ケンカの実戦で鍛えられていたおかげで精神的にも体力的にも強くなり、学校ではいじめっ子にも負けないくらいになれたように思うと言っていました。

 このように長い目で見ると──特に相反する刺激のバランスが良ければ──表面的に悪いことが、良いことに変化しうるのでしょう。今ではお兄さんにとても感謝しているそうですよ!

 

 ワンちゃんやネコちゃんの話に戻ります……愛情深く室内で飼われ、毛のツヤも良かったややポッチャリ系のワンちゃんやネコちゃんが、お子さんが生まれた途端、室外に閉め出されパサパサ毛や毛玉だらけとなってガリガリに痩せて来院…というような悲しいケースをこれまで何度か経験しています。

 まだまだ、というか?これからもネットやテレビの世界では主流派であろう唯一の正しい真理みたいなものに支配され過ぎている人ほど、このような全か無か!という極端な対応をしてしまうのでしょうか。

 突然一つだったものが二つになり、どちらか一つしか選べないように感じられる時が来るのでしょう。

 でもそんな時ほど、わかりやすい白黒だけの世界にとらわれないで、複雑ではあってもどちらか一方だけを極端に排除しない道もあることに気付いてほしいのです(具体的なことは当院にご相談下さい──どうしようもない時は、ストレスを緩和する作用のある漢方薬などもあります)。

 より幼い命が優先になるのは当然だとしても、少しでもいいから…しっかりと愛情をそそぐことを忘れないで下さいね。

 それには、この絵本で表現されているようにダンナさんなどの協力が必要なのでしょう。

 えっ!そう言うおまえは協力してるのか?ですって!?

 いや、それは…その…なんと言いましょうか…最近仕事とブログの更新で忙しくって……スミマセン……反省して妻と協力し、細々と更新することにします。

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感情という心のモノサシ

2015-03-14 09:56:07 | 医療の波打ち際

 感情という心のモノサシは、それぞれの体験の中で形作られます。お母さんのおなかにいた時から(もしかしたらそれ以前から)?何だかわからないまま様々な刺激にさらされ、ニコニコ笑ったり、エンエン泣いたり……そんな気分の浮き沈みを体験していく中で、いろんなことに対する自分だけの標準感覚ラインが出来上がってきます。

 幸せという感覚であれば、それに絡んだ体験の標準感覚ラインより上にいく体験ほど幸せと感じ、下にいく体験ほど不幸と感じるのでしょう(「数字のモノサシ」に心のモノサシをうまく表現しているイラストがありますP82~)。

 裕福な家庭に生まれ、幼い頃から食べ物もオモチャも最高級なものを与えられて育ったのに、無表情で目の輝きが感じられない子どもがいます。

 貧しかった人が苦労に苦労を重ねて、やっと豊かになった場合には、高級品のありがたさを強く実感できるのですが、その過程を経ずに初めから最高級なものを与えられていると、標準感覚ラインだけがバカ高く設定されてしまうのです。そうなると、どんどん刺激の強いものでないとダメになり……麻薬などに手を出して逮捕!なんて話も時々ありますよね。

 そんなケースでは、オモチャやゲームなどお金で買えるもの──表面的に喜ぶという即効性はありますが、すぐに飽きてより強い刺激がほしくなる──はたくさん与えられてきたけれど、両親ともその生活を維持したり、その他のことの夢中だったりして、子供の基本的な欲求が満たされていなかったり、うまく言葉にできない本当の気持ち──おそらく?うんざりするような葛藤を共にする中で、やっと感じ取れるような非効率的なもの──が全く受け止めてもらえてなかったりするのでしょう。

 私も子育ての葛藤中ですが、そういうことを頭では理解しているつもりでも、実際にできている自信はありません。

 ワンちゃんやネコちゃんを飼っていく上でも基本的欲求──狩猟本能を満たす工夫、散歩、スキンシップなど──を満たさずに、効率の良い刺激──美味し過ぎるおやつなど──ばかりに頼っていると同じような悲しい結末が……生き物は短期的には誤魔化しが効くようでも、長期的には効かないのでしょう。

 何をストレスと感じるか?も、それぞれの体験の中で形作られた心のモノサシによって変わってきます。例えば、電車が通過する際のガタンゴトンという音は、普通の人にとって騒音でしかありません。でも、線路の近くに幼い頃から住み、その音を当たり前のように聴いて育った人は、逆に懐かしく眠りやすい…騒音が子守歌?という普通の理屈で考えたらおかしいことが起こりうるようです――病は気から」「ストレスはいけない」と言いつつ、幼い頃ほど激し過ぎないストレスによってストレスに強くなる可能性があるのだから…難しいけれどおもしろいですね。

 ある芸能人の奥さんが離婚された後、その理由の一つとして、いろんな人から新鮮な牡蠣やら何やらが大量に送られてくる毎日で、自分が食べたいものも食べられなくて大変だったなどと言っていました。普通の感覚だったら、新鮮なものを次々にもらえるなんてうらやましい限りですよね?そのせいか?当時は、同情というより苦労知らずのお嬢さんなんだね~みたいな雰囲気になっていた記憶があります。

 でも、その元旦那さんは交友範囲がとても広そうな方だったので、大量頻回過ぎて冷蔵庫にも入らず、生鮮食品は腐ってしまうし、捨てたりするだけでも重労働だったことが想像されます。

 経済的には何不自由なくても、精神的に満たされないなんて普通の感覚では想像しにくい所ですが…経験してみないと理解できないことってたくさんありますよね。

 このように、同じようでそれぞれ異なっている体験の中でできあがるモノサシが人、イヌ、ネコの病気に関係していることが、けっこうあるように感じます。しかし効率重視の現代では、白黒はっきりつくものばかりに目がいき、話をよく聞いたりすることで浮かびあがってくるストレス状況はついて後回しにされがちです。

 現代人は…特に前回書いたキラキラ情報に取り憑かれている人ほど(命に別状ない症状なので段階的にソフトな治療から開始しているのであっても)、即効性がないとイライラします。即効性がないとネットなどで、次のキラキラ情報を探し病院をコロコロ変えたり、早く何とかして下さいオーラ全開で迫ったりすることもあって、過激な検査や治療ばかりされて、逆に慢性化したり、悪化したりする負の連鎖に陥っていることもあります。

 おそらく?そんな方向であろうに?懸命にワンちゃんやネコちゃんを看病しているような闘病ブログがあったりすると、我々サイドの責任も感じざるを得ません。が…代理ミュンヒハウゼン症候群(これはかなり極端な例ですが、よりソフトな形であれば誰にでも起こりうることかもしれません)などのような飼い主さん側の心の問題も絡んでくるので、これまた複雑なのです──そんな感情の混乱が絡んでいるケースでは、ストレートな理論的説得など何の効果もありません。

 そんな時ほど、即効性のある解決策が難しかったりするストレス状況がないがしろにされてるケースがあったりするような? 私が経験した糖尿病のネコでも、10年以上いつもネコと一緒に寝ていた息子さんが転勤でいなくなってしまったことや、多頭飼いで以前よりも狭い家に引っ越したりしたことによるストレスで発症したと思われるケースがあります。

 それらの子は、共にフードが常に食べられる状態で飼われていたため、日頃から血糖値が高くなりやすく、膵臓に負担がかかっていました(多頭飼育だと難しいのですが、フードを常に食べられる状態にしておくと、命も体も太く短く方向へ…)。そんな状態で、精神的ストレスがかかると、アドレナリンや副腎皮質ホルモンが分泌され、さらに血糖値は上昇してしまうのです。すると、ただでさえ無理をしていた膵臓は限界域を超え、血糖値を下げる唯一のホルモンであるインスリン分泌機能が破壊されてしまう……このように悪いことが二重以上続くと、ものすごく悪いことが起こってしまうのでしょう。

 これらの例では、転勤してしまった息子さんに戻ってきてもらったり、元の広い家に戻ったりすることがより良い糖尿病のコントロールにつながるとしても、現実的には難しいですよね? 

 現代人は、キラキラした様々な誘惑に急き立てられ、昔に比べ数値化しやすい部分では豊かになりました。でも、それと引き替えに数値化しにくい精神的ストレスを抱え込むようになったのかもしれません。

 治療に対する反応が悪い時、飼い主さんにいろいろと話を聞いてみると、ご親族の病気や出産、経済状況の悪化による環境の変化など、もっと複雑でどうしようもない事情が絡み合っていることもあります。

 そんな心の隙間に優しさや希望、正義をまとった欲望が忍び込むと……正邪はさらに混乱!インターネットによって昔より効率良くたくさんの情報にたどり着けるようになりましたが、本当に良い情報が少ないのは今も昔も変わりありません。

 結局、そこで繰り広げられているのは、同じ重荷を持つもの同士が何に動かされているのか気付かぬまま、より弱き者の生き血を吸う負の連鎖なのか?…と悲観的になってしまいそうです。

 でも、良い情報を発信している人も確実にいます!そんな情報ほど、厳しさも伴い、あまりキラキラしてなかったりするのでお互い気を付けましょう!

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