まずは、前回載せ忘れた写真を。最初の入道崎(風速27m)と、千畳敷で、強風に逆らって撮ってもらった写真。

4日目(3月12日)
鯵ケ沢温泉から向かうは、五所川原駅、JRと津軽鉄道の駅が隣り合わせにある。私らは金木までの半時間ほど、津軽ストーブ列車の旅を体験しようというものです。9:21発は1両だけで、乗客のほとんどは我らが一行、鉄道のガイドさんともいうべき女性が一緒に乗車し、いろいろ説明してくれる。車内には2つストーブがあり、それで焼くするめは300円。私らも注文し、焼いてもらった。
天候も回復し始め、雪に埋もれた景色を楽しめる。吉幾三もこのあたりの出身だとか。9:46下車を指示された金木に着く。ここでは自由行動だが、だれが何と言おうと、(エ、誰も何も言ってない? 20人くらいは同一行動だ)太宰治の生家「斜陽館」見学だ(500円)。大地主津島家の住宅はいうまでもなく豪邸で目を見張るべきものだが、地主としての機能を果たすべき土間や茶の間、1トンの金庫、今なら2千万はするだろう立派な仏壇にフーンと感心していると、2階に案内される。この階段が何とも洒落たものであり上がった先の客室が洋間となっているという対比的つくりが印象的である。私が太宰作品の洗礼を受けたのは、高校の課題図書として読まされた「人間失格」であったが、少なからず打ちのめされ、すぐに「斜陽」に飛びついたことを思い出す。その後ほとんど読み返した覚えはないが、成長の過程で必読すべき作家と思う。11人の子どもがいて6男として生まれ育ち、母からのめったにかわいがってもらえなかったという。奉公人に「自分の母は誰か」と聞いて回ったというエピソードも聞かされた葉はったことがどのような影響を及ぼしているのか分からないが、太宰作品に登場する津軽のことを記した本を、昼食をとった土産物屋で妻が買い求めていたので、それでも読むことにしましょう。
午後、バスは津軽半島北端の竜飛崎を目指す。北海道まで20Km。
~~ご覧 あれが竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が指をさす・・・~~
演歌の旅は続く。名曲 石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」は私のカラオケ持ち歌の一つだ。バスガイドさんによれば、岬の碑のボタンをおせば、このメロディ、ただし2番だけ、が流れそうだ。途中でまた雪道対策用のチェ―ンを巻き、狭い集落の道を上がっていく。雪が残り豪風が吹き荒れる駐車場には他の車は見えない。できるだけトイレに近いところに止めたのだが数m先のトイレにまともに行けないほどだ。風に体を持っていかれて滑った人もいる。入道崎以上の突風だ。頬に当たる風が痛いーー。 何とか竜飛埼の記念碑まで・・その前に、例の石川さゆりの歌を奏でるコンクリートがある、踏ん張り踏ん張りしながらにじり寄り、何とか飛び出しているボタンを押す。
ト、流れてきましたネ。「~~ごらん、あれが竜飛岬~」歌に聞きほれている余裕などない、トイレも終われば、「~~私は~」(バスへ)「~帰ります。風の音が~」(体を)「揺する」・・デモ、凄絶なまでの強風を体験して竜飛岬の印象は鮮やかで満足できました。
今度は青森市内を抜け、本日の宿泊地浅虫温泉に向かう。途中からは積雪も稀になってきた。三内丸山古墳も少し行けばあるんだが・・これまた、残念ながらコースには入っていませんでした。この日の移動距離210Kmとか。


4日目(3月12日)
鯵ケ沢温泉から向かうは、五所川原駅、JRと津軽鉄道の駅が隣り合わせにある。私らは金木までの半時間ほど、津軽ストーブ列車の旅を体験しようというものです。9:21発は1両だけで、乗客のほとんどは我らが一行、鉄道のガイドさんともいうべき女性が一緒に乗車し、いろいろ説明してくれる。車内には2つストーブがあり、それで焼くするめは300円。私らも注文し、焼いてもらった。

天候も回復し始め、雪に埋もれた景色を楽しめる。吉幾三もこのあたりの出身だとか。9:46下車を指示された金木に着く。ここでは自由行動だが、だれが何と言おうと、(エ、誰も何も言ってない? 20人くらいは同一行動だ)太宰治の生家「斜陽館」見学だ(500円)。大地主津島家の住宅はいうまでもなく豪邸で目を見張るべきものだが、地主としての機能を果たすべき土間や茶の間、1トンの金庫、今なら2千万はするだろう立派な仏壇にフーンと感心していると、2階に案内される。この階段が何とも洒落たものであり上がった先の客室が洋間となっているという対比的つくりが印象的である。私が太宰作品の洗礼を受けたのは、高校の課題図書として読まされた「人間失格」であったが、少なからず打ちのめされ、すぐに「斜陽」に飛びついたことを思い出す。その後ほとんど読み返した覚えはないが、成長の過程で必読すべき作家と思う。11人の子どもがいて6男として生まれ育ち、母からのめったにかわいがってもらえなかったという。奉公人に「自分の母は誰か」と聞いて回ったというエピソードも聞かされた葉はったことがどのような影響を及ぼしているのか分からないが、太宰作品に登場する津軽のことを記した本を、昼食をとった土産物屋で妻が買い求めていたので、それでも読むことにしましょう。
午後、バスは津軽半島北端の竜飛崎を目指す。北海道まで20Km。
~~ご覧 あれが竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が指をさす・・・~~
演歌の旅は続く。名曲 石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」は私のカラオケ持ち歌の一つだ。バスガイドさんによれば、岬の碑のボタンをおせば、このメロディ、ただし2番だけ、が流れそうだ。途中でまた雪道対策用のチェ―ンを巻き、狭い集落の道を上がっていく。雪が残り豪風が吹き荒れる駐車場には他の車は見えない。できるだけトイレに近いところに止めたのだが数m先のトイレにまともに行けないほどだ。風に体を持っていかれて滑った人もいる。入道崎以上の突風だ。頬に当たる風が痛いーー。 何とか竜飛埼の記念碑まで・・その前に、例の石川さゆりの歌を奏でるコンクリートがある、踏ん張り踏ん張りしながらにじり寄り、何とか飛び出しているボタンを押す。

ト、流れてきましたネ。「~~ごらん、あれが竜飛岬~」歌に聞きほれている余裕などない、トイレも終われば、「~~私は~」(バスへ)「~帰ります。風の音が~」(体を)「揺する」・・デモ、凄絶なまでの強風を体験して竜飛岬の印象は鮮やかで満足できました。
今度は青森市内を抜け、本日の宿泊地浅虫温泉に向かう。途中からは積雪も稀になってきた。三内丸山古墳も少し行けばあるんだが・・これまた、残念ながらコースには入っていませんでした。この日の移動距離210Kmとか。