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レダック 東北岬巡り紀行(2)

2015-04-17 16:20:24 | 日記
まずは、前回載せ忘れた写真を。最初の入道崎(風速27m)と、千畳敷で、強風に逆らって撮ってもらった写真。

4日目(3月12日)
 鯵ケ沢温泉から向かうは、五所川原駅、JRと津軽鉄道の駅が隣り合わせにある。私らは金木までの半時間ほど、津軽ストーブ列車の旅を体験しようというものです。9:21発は1両だけで、乗客のほとんどは我らが一行、鉄道のガイドさんともいうべき女性が一緒に乗車し、いろいろ説明してくれる。車内には2つストーブがあり、それで焼くするめは300円。私らも注文し、焼いてもらった。
天候も回復し始め、雪に埋もれた景色を楽しめる。吉幾三もこのあたりの出身だとか。9:46下車を指示された金木に着く。ここでは自由行動だが、だれが何と言おうと、(エ、誰も何も言ってない? 20人くらいは同一行動だ)太宰治の生家「斜陽館」見学だ(500円)。大地主津島家の住宅はいうまでもなく豪邸で目を見張るべきものだが、地主としての機能を果たすべき土間や茶の間、1トンの金庫、今なら2千万はするだろう立派な仏壇にフーンと感心していると、2階に案内される。この階段が何とも洒落たものであり上がった先の客室が洋間となっているという対比的つくりが印象的である。私が太宰作品の洗礼を受けたのは、高校の課題図書として読まされた「人間失格」であったが、少なからず打ちのめされ、すぐに「斜陽」に飛びついたことを思い出す。その後ほとんど読み返した覚えはないが、成長の過程で必読すべき作家と思う。11人の子どもがいて6男として生まれ育ち、母からのめったにかわいがってもらえなかったという。奉公人に「自分の母は誰か」と聞いて回ったというエピソードも聞かされた葉はったことがどのような影響を及ぼしているのか分からないが、太宰作品に登場する津軽のことを記した本を、昼食をとった土産物屋で妻が買い求めていたので、それでも読むことにしましょう。
 
 午後、バスは津軽半島北端の竜飛崎を目指す。北海道まで20Km。
~~ご覧 あれが竜飛岬 北のはずれと  見知らぬ人が指をさす・・・~~
演歌の旅は続く。名曲 石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」は私のカラオケ持ち歌の一つだ。バスガイドさんによれば、岬の碑のボタンをおせば、このメロディ、ただし2番だけ、が流れそうだ。途中でまた雪道対策用のチェ―ンを巻き、狭い集落の道を上がっていく。雪が残り豪風が吹き荒れる駐車場には他の車は見えない。できるだけトイレに近いところに止めたのだが数m先のトイレにまともに行けないほどだ。風に体を持っていかれて滑った人もいる。入道崎以上の突風だ。頬に当たる風が痛いーー。 何とか竜飛埼の記念碑まで・・その前に、例の石川さゆりの歌を奏でるコンクリートがある、踏ん張り踏ん張りしながらにじり寄り、何とか飛び出しているボタンを押す。
ト、流れてきましたネ。「~~ごらん、あれが竜飛岬~」歌に聞きほれている余裕などない、トイレも終われば、「~~私は~」(バスへ)「~帰ります。風の音が~」(体を)「揺する」・・デモ、凄絶なまでの強風を体験して竜飛岬の印象は鮮やかで満足できました。
 今度は青森市内を抜け、本日の宿泊地浅虫温泉に向かう。途中からは積雪も稀になってきた。三内丸山古墳も少し行けばあるんだが・・これまた、残念ながらコースには入っていませんでした。この日の移動距離210Kmとか。

レダック 東北岬巡り紀行

2015-04-17 15:28:11 | 日記
1・2日目(2015/3/09~10)
 3月10日、私たちは新潟港 新日本フェリーの乗り場ビルの待合室中にいた。私たちとは、旅行会社の「夫婦限定みちのく紀行」に参加した30名ほどのメンバーだ。このツアーは、通常よくある東北旅行とは違い、フェリー、ローカル鉄道、その間をバスでつなぎ、なかなか行くことの難しい地を探訪できる旅程である。いわば東北ツアー代表的観光名所を回る定番に対する裏メニューといったところである。かなりお高いが、嫁さんが興味津々で申し込んだ。   
旅程では3月9日に、バスで明石・神戸・梅田を回って敦賀まで行き、敦賀港からフェリーで秋田港まで向かう予定であった。ところが、である。近年はもう異常気象の異常ともいえぬほど天候不順が続いているが、3月の10日前後といえば、天気予報でも「本年最強の冬将軍」とか「爆弾低気圧」とか叫んでおり、時化の中、寒さ目指していくようなもので大丈夫かな、という危惧がはやくも現実化してしまった。共同風呂に入っていても、揺れで湯船から湯が2回こぼれた。このフェリーは新潟・秋田に寄港し、苫小牧までの予定であるのだが、秋田港には寄港できぬということになったということが、添乗員から知らされた。この人は丁寧な語り口をされるおばさんで、初っ端からハプニングに見舞われ、真っ青になりながらも、「秋田まで代替バスを頼んでいる、それが到着するまで、待合所で待機していただきたい」ということであった。前途多難を思わせる。
8泊9日のこんなツアーに申し込み、しかも夫婦限定というのだから、参加者は限られてくるわけで、多分70歳台がほとんで、私たちより明らかに若そうなのは2、3組であろう。
だから、食ってかかる人もいなかった。仮に個人では血気盛んな人でも、夫婦連れならブレーキもかかるのであろうと、レダックは推測したのでした。
小一時間ほどまって、バスが来て、予定ルートにはない町を通り抜け、無事?秋田でもともと契約していたバスに乗り換え、宿泊予定地である男鹿温泉に向かったのでありました。

3日目(3月11日)
 男鹿半島といえば「なまはげ」で有名だ。今日まず向かったのは、男鹿半島の先端の入道崎。バスの車窓からも、なまはげのモニュメントや看板、イラストが多く見える。

このツアーは男鹿・津軽・下北のみちのく3つの半島周遊をうたい文句にしている。従って、温泉ツアー、岬めぐりでもある。昔、流行りましたね・・「岬めぐりの、バスはー走るー」。そうなんです、いい企画だと思うんです。しかし、何しろ、秋田のバスガイドさんが、「例を見ないほどの雪が続いている」というほどの悪天候。目的地は突風が吹きすさんでいるようだという事前情報通り、激しい風のようだ。先に降り立った人がよろけている。すぐに1軒だけ開けている土産物屋の軒先、そして室内に逃れていく。マア、年寄が多いからなあ・・自分の番だ。降り立つ、「オイ、チョット・・」、経験したことのないほどの風速、抵抗しなければ立っておれぬ。妻がカメラを向けるも、「チョ、チョ、チョット」。何とかとれた。土産物屋の中に避難する。店の親父が言う。「今日の風は風速27mと言っていた」。なるほど、台風報道での「瞬間最大風速○○m以上」とは、こんなに凄まじいものなのか、初めて実感した次第である。記念碑もあるらしいが行けるはずもない。「次行こう、次!」ということにあいなる。
バスは男鹿半島から、日本海沿いに北上し、能代を越え、いつの間にか青森県に入っている。この街道は、五能線と並行して走っており、もっと内陸部は世界遺産である白神山地のぶな林が広がっているのだが、今回のコースにはない。車窓から時たま線路が見えるが、走っている列車とは出会わないままだった。これも演歌に登場する。演歌歌手 水森かおりが「~~、五能線~~」と唄っていましたネ!(ン、知らん?) ちなみに五能線とは五所川原と能代を結ぶところから名づけられたようだが、朝夕3便しか走ってないという、しかし、車窓から日本海を眺める旅が鉄ちゃんの人気を博し臨時のリゾート列車も走る季節があるという。
デ、次の観光スポットは、割合有名な不老ふ死温泉。旅行案内には「日本海を望む茶褐色の秘湯に入浴」とある。昼食をとって、風呂に入って、「アー極楽極楽」の予定でしたが、しかしこの天候、確かにそれらしい湯船は見えるんですが・・。雪交じりの雨に打たれた湯船の色は見えるんですが・・「次行こう、次!」
千畳敷?! これも海水の下、おまけに強風で記念写真撮ろうと思っても、踏ん張ってないと、体が持っていかれる・・バスの中がいい・・・次行こう、次! 宿泊地である鰺ヶ沢のホテルに近づくと、一面の雪、まるでスキーツアーに来たみたい。ホワイトアウトってこんな感じ? 到着できてホッと一息つきました。突風と戦った一日でした。この日の移動距離は160kmだそうです。