レダック ピースボートに乗る

2014-04-15 03:29:16 | 日記




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その1 ③ ヨルダンにヨルダン(と ジョーダン Jordan) 死海にプカリ
 4月8日(3日目)は朝ゆっくりし、ヨルダンの首都アンマンへのフライト(あの国際的なドバイ空港で、手続きに当たる職員が数人で閑散とし、何とか間にあったのだけれどが、お祈りの時間だったのかな?)、ヨルダンに入国、そして死海のホテルまでバスによる移動日でした。ホテルは豪華で広大、そのプールは夜の闇の中に青色の照明の中に浮かび上がり、とても幻想的なものでした。
 翌9日(4日目)、死海ホテルの端からエレベーターで降りればそこはもう死海。プカリと浮遊体験したのです。変な感覚、強い塩分に肌が負けそう!10分以上浸かってはいけないとの注意は正しいと思います。ましてや、高血圧の身には塩分は控えめに(意味違うか!) (ここ)
 14時半、今度は、ペトラへ向けて出発。砂漠ハイウエイをひた走る窓外の風景はどうにも馴染めない感じ、もっと言えば違和感を覚えた。灰白色が続く。土が茶色っぽいなら、まだホットする、どうやらリン鉱石を含んでいるらしい。まさに、荒野を行く、という感じ、やはりイエスはこのあたりの地に似合うのでしょう。羊や牛の放牧も何度も見ましたが、牧草地と言えるほどの緑などめったにお目にかかれない。やせてわずかな緑を求めるこの地こそ、羊飼いの話はふさわしい。「モーゼの谷」と呼ばれる地をドンドン降下していき、最後のホテルにたどり着いたのです。この日も、気力・体力回復せず、早い就寝となりました。

レダック ピ-スボートに乗る

2014-04-15 03:20:40 | 日記
その1 ② フライトでドバイへ
 4月7日(2日目)午前4時、ドバイの空港の一画に、我々はピンク組の一員として集められていた。前回書いたように、第83回ピースボートは、600人ほどの乗客を乗せ、既に3月13日に横浜を出港したとのことだ。私と妻が申し込んだのは、アジア各地に寄港しながら航海中のピースボートを追っかけ、関空・成田・羽田からのフライトで追いつきヨルダンのアカバからの乗船というコースなのだ。後で聞いたところによれば、関空からは140名ほど、成田・羽田あわせて300名強が合流したらしい。どうやら、初めて顔を会わせる連中を、バスでホテルまで移送するために、30数名の単位で分ける必要があるのだろう。デ、私らはピンクの組というわけだ。
昨日関空で、ピースボートのスタッフから「エジプトでは4月に入って2度もテロがあり、寄港しないことになった(エエー!)、代わりにトルコのグシャダスに行く(それってどこ?)」と波乱を予感させるような情報を知らされた。そして、搭乗手続の際、書類の入った封筒と、ピンクの色紙を入れたタグを4枚渡された。それを各自の荷物につけて、6日23時、エミレーツ航空機は関空を飛び立ち、10時間のフライトで無事ドバイ空港にまでは到着したわけだ。時差が5時間あるので、現地時間は、まだ明けやらぬ午前4時ということになる。入管をくぐり終えた私たちは、ただひたすら次の指示を待ち続けていたのでした。その間を、ピースボートのスタッフとジャパン・グレイスという旅行会社の職員が走り回っているが、半時間も待たされていたろうか、たまりかねたのか、隣にいた一人のオッチャンが大声を発した。「どない、なっとんねん、何分待たすねん」。走ってきたスタッフらしき者が「最後尾にいるスタッフが今確認している所なので」と言い訳をしている。関空を飛び立ってきた連中だから、「あー、かっこ悪、関西のがらの悪さ公開せんでもいいのに、先が思いやられる」と嫁さんと目と目で会話する(声に出せば聞こえるモン)。そのうち、別のスタッフと思しき若き女性が「揃いましたので、ピンク組の皆さんは荷物を持ってバスに移動して下さい。その前に、人数確認のためハイタッチさせて下さい」と言う。挙げた手をスタッフが「1」「2」「3」と数えながらハイタッチしていく。そう、我々は名前を持った個人ではなく、合計数だけが問題となる集団の一員なのだ。でもこの方法は、点呼より時間節約できるし、若き女性とのハイタッチをいやがる者はいないし、おまけに何らかの親密感が芽生えるなど、いいやり方ではある。よくよく見れば、この青組さんは自分もそうだが、おじん・オバンが圧倒的に多いように見受けられる。
 さて、道路わきに停めたバスの横腹に荷物を詰め込んでいくわけだが、スーツケースを載せたカートをそのままにしておくと他の車と接触しかねないほど危険なので、自分のカートともう一人後ろで苦闘している人のカートも一緒に移動させた。そこで、レダックは驚くのであります。手荷物入れのところに、なんとパスポートが残されているではありませんか☆!※ 「おじさん、おじさん」、そのカートを託したおじさんはバス入り口の補助棒に手をかけているのです。大丈夫かいな、そんな場合違うで・・ 手にしたパスポートを開け名前を呼ぶ「○○さん、これ」。 さすがに、会ったたばかりの他人に後ろから名前を呼ばれ、大事な大事なパスポートを差し出されては、面目丸つぶれか?彼の眼鏡の奥はまさに「点」になっていたのでありました。怒鳴るオッチャン、パスポート置き忘れのおじさん、こんなピンク組でこれから一緒に旅行するの?!と不安にかられるレダックではありました。
 何はともあれ、7時前にはホテルに到着、いったんフリーとなり、12時集合してドバイ市内の観光だそうな。その時、新たに「組替え」が発表され、今度は私らは「青組」さんとなった。妻は「ドバイのメトロ(日本が技術供与した)に乗っておきたい」というので、時間を有効活用することとする。世界一好きのこの国で一度に二つの世界一を見ることのできるメトロの駅をめざす。スカイツリーもあべのハルカスも到底及ばぬ820数mの高さの建造物「バージ カリフ」、1200以上の店舗のはいる「ドバイモール」へ行くこととする。午後のバスツアーでも当然まわるだろうが個人行動をしておこうというわけだ。しかし、ホテルからメトロの駅まで、そして目的の駅からモールまでが遠い。移動疲れと厳しい日差しにバテ気味の身には、往復で結局1時間近く歩いて消耗しただけだった。足を引きずりホテル帰着後まもなく、バスでドバイ観光へ。幸い二人のオジサンは別の組のようだ。
 斬新なデザインのビル群、海岸線から見えるデッカイ帆船型ホテル、金gold市場(スークというらしい)、そして先ほど駆け足でまわった塔とモール。かと思うと美しいモスク、かつての寒村の港の名残を残すダウ船と言われる渡し船、その歴史を展示した博物館など、記憶にとどめきれないほどの観光地巡り。語りつくせません。

(興味のある方はガイドブックを見てください。レダック紀行は、あくまでもレダックの関心を引いたことしか詳述しません。私的・主観的見聞記以外の何物でもありませんので、客観的情報は期待しないで下さい。)
(閑話休題 「あのイスラム教の寺院、まだまだ先か」「もーすぐ」)

事前学習する暇がなかったので、UAEやドバイについては知らないことが多すぎた。ま
ず、30年以上前には、ただの港町が、あきれるまでに変貌してきただけでなく、2020年(東京オリンピックの年)にはEXPO(万博)が開催されることが決まっており、さらなるインフラ整備ラッシュの真っただ中にあり、無限の発展!運動を止められないように感じられる。UAE全体で800余万の住民の内、UAE国民はなんと100万で、後は180ほどの国籍の外国人という。国民なら大学まで教育費はフリーで、大卒後は60万~80万の給与をとるという。何という金満国家。観光地を回るにつれ「分かった、分かった。すごいね、世界一たくさんあるね。オメデトウ。あのホテル1泊30万円からって。ハイハイ、すごいです」 昼食に立ち寄ったレストランのハイネケンのビールが11ドル・・、誰が飲むか・・・」若いころならともかく、この年になれば、この街は疲れる。
無論、素朴に感心したこともある。言うまでもなくモスリムの戒律が日常的に生きてお
り宗派争いもここでは安定していると思われる。メトロに乗った時、女性・子ども・老人には、例外なく人々は席を譲る(だから妻は往復ともすぐに座れた)。デモ、メトロ車内での飲食禁止は分かるとしても居眠りまで厳禁で罰金対象になるってやり過ぎじゃない。マ、現状の日本人の一員として、批判がましいことは言えないけど・・・
 夕食後、またメトロに乗って街に出かける気力とてなく、爆睡したのでありました。