昨日はたかちゃんの7回目の命日でした。
私は、たかちゃんがこんなことで死ぬはずはないと、看護師さんにこんなことで死なないですよと話したのを覚えています。
早いのか遅いのか、時間の感覚がわかりません。
たかちゃんは55才になるとすぐに、肥厚性硬膜炎という脊髄の難病となり歩くことが出来なくなり、その9か月後に中咽頭癌という扁桃腺のところの癌が見つかり、検査すると全身に癌が転移している全身癌で余命宣告されました。
最期の年の夏も暑く、たかちゃんが亡くなった9月は今年と似ている。
雨が降り急に気温が下がった、そんな日に亡くなりました。
亡くなる日の1週間前まで、車イスで一人でトイレに行っていたのに、ベッドから車イスへの移動が出来なくなりました。
訪問看護の方にそれを伝えると、すぐに在宅医療の医師が来てくれて、留置尿パックがつけられ、ベッドに寝たきりになった。
その1ヶ月前から食欲も落ちて、すでに食事とトイレと友人との電話以外は寝てばかりとなりました。すでに肝臓に癌が転移して、身体の毒素を解毒する肝臓の働きが落ちてそのせいで寝てばかりとなるようです。
尿バックがつけられると看護師から、これからの過ごし方についてという小冊が渡され、死が近いことを説明されました。
私は、たかちゃんがこんなことで死ぬはずはないと、看護師さんにこんなことで死なないですよと話したのを覚えています。
余命宣告をうけて、こうなることもわかっていても現実を受け入れることができなかったのだと思います。
自宅で看とるというのは過酷で、すべて一人で考えていかなくてはなりません。
ケアマネージャーが手助けしてくれるスタッフを用意してくれますが、家族がすべて判断しないとまわりません。
私の身体はそんなに疲れていなかったけど、心はボロボロで、そんな状況をよくこなしたものだと今頃思います。
死ぬまでに、たかちゃんが会いたい人を聞いて自宅まで来てもらいました。
たかちゃんが、尊敬していた先輩が来てくれて、こんなになっちゃったよと言ったときには、たかちゃんもきっと、余命宣告を受けていても死ぬなんて遠いものだと思っていたことがわかりました。
でも、その2日後にたかちゃんは逝ってしまいました。
その間には、友達や親戚が入れ替わり訪ねて来ました。たかちゃんが寝ている側でみんなでごはんを食べたり、お茶を飲んだりテレビを見たり、病院とは違った普通の日常の側に、たかちゃんがいました。
たかちゃんが、ひまわりが好きなんだと言っていたから、7月の末にまいた種がやっと咲いた3日後に、たかちゃんは逝きました。