ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

オレンジジュースの力

2008-09-14 08:21:36 | Weblog
きのうは、京都より帰郷した友人と、三人で
焼肉を食べに行き、家でまた飲みなおした

でも・・・。

食べるのも、飲むのも、
「飛ぶ鳥落とす勢いだった昔」と比べて

衰えが見え始めた

焼肉なんて、エンドレスで食べられたのに、、。

念のため。もちろん今も、

世間一般の、31歳女性と比べれば
めちゃくちゃ食べる部類ではありますが。。

20代の頃の飲み方は。いま思えば
飲みながらそのまま、命を終えるかの如し。

年月を重ねるとは、
こういうことだったのかぁ、、と感じるこの頃。

家では、友人&相方が
相も変わらず、ウイスキーを飲み始めた

わたしは、オレンジジュースを飲もうとしていたら
ウイスキーを足すかと言われ。
そのようにして飲んでみると、ホカホカしてきた。
むしろ熱くて、暑かった。

今朝のこと。

届いたばかりの『青汁』を
これまた、オレンジジュースで割ってみた。

「わしは飲まんぞ 
と言っていた相方も、完食ならぬ完飲。

ウイスキーでも、青汁でも、
なんら違和感なく飲めてしまう、オレンジジュース。

恐るべし、その力。
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脳と仮想~哲学は爆発だ~

2008-09-13 17:06:04 | Weblog
昨夜、眠る前のこと。
『脳と仮想』茂木健一郎さん著を、黙々と読みすすめていた。

そのとき、ぶわぁっ~
頭の中に、次から次へと言葉が浮かんできて

相方にペンを借りて
その辺りにあった、紙袋に書きなぐった

おそらく傍から見ると、何かが憑依したかの様な
「不気味きわまりない姿」だったと思われる。

脳科学者・茂木さんに惹かれる理由が、わかった。

科学が切り捨てて来た『こころ』の分野に
真正面から、挑んでおられるからだ。

今まで科学者達が、取り上げなかった
「仮想」に着目、脳科学と心の関係を通して

「人間そのもの」を探求されている。

茂木さんの書かれた
『現実も仮想も、その全ては私たちの
脳の中の神経細胞の活動がつくり出した脳内現象である』
という一節から、

わたしも、いろんなことを想像し始めた


現実と仮想を認識する
主観的物体=われわれ人間が、既に仮のものである。

どれだけの期間、存在し続けることで
幻想ではなく、実存だと言えるのか。

たとえば、その期間を200年とすれば、
われわれは実存していない事になる。

100年もすれば消えてしまう生物である為、
われわれの存在そのものが、仮と言える。

何が現実で、何が仮想かを考える
「わたし」そのものが無常であり。

仮の身がもつ、脳の脳内現象に過ぎない。

永遠に、そこに存在し続けるものがあり

そこからの視点があって初めて
現実か仮想かは、意味を成すのではないだろうか。

初めから、仮のものが認識する訳であるから
現実であっても、仮想であっても良い。

現実も仮想も、すべては
仮の物体が、つくり出したものである。

どちらも、頭の中でつくり出されたものだ。

どちらが意味をなして、どちらかが意味をなさないという事はない。

阿弥陀様が見えるか、否か。
浄土はあるか、否か。

現実か、仮想か。

これは飛んで来た毒矢の本質、について解答を求めること
(生死の苦とは関係のないこと)であり

わたしたち人間が

現実か仮想かを、離れなければ
毒矢を抜くことは出来ない。


現実であろうと、仮想であろうと
目の前にいる負傷者の「すべてを引き受けること」

これが唯一の、救いだ。

悲しいことに、人間には不可能な領域だ。

救おうにも、自身、実体をもたない為に

「よりどころ」となっても、
いつかは消えゆく、この身である。

自分を超越した、おおきな存在に
まかせるのみ。

人間のこころは、探求そのものを必要とし
証明や解答を、必要としないところがある。

たとえ何かを得ても、与えられても
探求することを、やめられない生き物だろう。

人間の存在を問い、探究心をもち続けること、
それが、仮の身を、いま生きているということ。

また、心には、あたたかい心が
何よりもご馳走となるように思う


茂木さんは、歴史を変える人だ。

科学が「現実」に取り組み、
「仮想」を置き去りにしてきたという

既存の壁を打ち破り、
「心」「仮想」に焦点を当てている。

いちばん大切な事だ。

切り捨てごめんの中にこそ、
いちばん大切なものが、隠されている。

追伸:うちの相方曰く「人間の数だけ世界がある」
人間世界には、人間の数だけ「世界」は存在する。
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妄想準備中

2008-09-12 10:07:14 | Weblog
きょう12日は、支坊・奉仕の日。
朝8時前から、ご門徒さんがお掃除に来て下さり

雨が降りそうな、蒸し暑い中で。

本堂・廊下の水拭き&畳の乾拭きetc.
みなさんと一緒に、汗を流しました

昨夜7:30~

うちのお寺の、仏教婦人会新聞「まなざし」
の、担当者4名+おかあさん+わたし、の6名で
打ち合わせがあった

「まなざし」オールカラー、写真入り、
しかも、いろんな方の→心からの文章が盛り沢山で

読みごたえ満点。

そんじょそこらの、新聞のイメージを超越しております。
ひいき目じゃなくて。お嫁に来て、驚いたものです。

この度わたしは、子ども合宿のページと、
あと何か1ページ、書かせていただくことに喜。

子どもさん4人に、いま原稿をお願いしているんですが。
おぉわたしも何か考えねばっ

いつもその辺で見かける物が
探している時に限って、見当たらない・・・

いつもブログに、あれこれ書いているのに
いざとなると言葉が出ない・・・

なんて、ならないように

ここらで再び妄想に・・・入るべくして入る
ご縁をいただいたことに、感謝

なんのこっちゃ
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違いを認め合う

2008-09-11 10:41:11 | Weblog
きのうのベストハウス、めっちゃくちゃ感動しました
脳科学者・茂木健一郎さんが出演されました。

書かれる文章が、とても魅力的で。
こう、何と言いますか。
感性を揺さぶられるというか、くすぐられるというか。

不思議なことに?仏教の香りのする科学者さんでおられ。

本はあれこれ読んでおったのですが
初めてテレビで、動いて話されるお姿を拝見しました。

想像していた以上の
あたたかみ溢れる、研究者でありました

科学と仏教は、よく相反関係だと言われますが。
わたしは、そうは思いません。

科学者にも仏教者?にも、様々なタイプの方がおられるので。
一概に、皆同じとは言えませんが

真実真理は、ひとつであります。

人間がそれを探求する
プロセスの違いだけじゃないかなぁ、、。

そもそも、人間が主ではなくて
初めに真実真理ありきな訳で。

さて、昨日のテレビでは

円周率を2万桁、覚えておられる方
10年前に1度見ただけの風景も、細かく描かれる方
6000冊の本?を一字一句、覚えておられる方

などなど、すごい能力を持っておられる方々が登場

また彼らは、サヴァン症候群と呼ばれ
自閉症を抱えておられるそうです。

その内の、お一人であるキムさんと、
彼を無償の愛で支え続ける、82歳のお父さん。

父と子の姿が、とても印象的でした。

キムさんが、最後にメッセージを残されました。

「人と人との違いを認め合うこと~
そうすれば、世界はもっと良くなる」

すべては個性、違いであって。

人と自分との「違い」を受け入れ合うこと、、
「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光」(仏説阿弥陀経より)

それぞれの色を放ち、共に生きられる世界こそ
「しあわせ」です。

また親鸞聖人が
「~一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり」(歎異抄より)

と、あらゆる「いのち」が分け隔てされることのない世界であり
みんな、大家族なんですヨと
教えていて下さいます。

それにしても
キムさんが、茂木さんにしていたハグ(HUG)は
心を開いておられたというか。

そこに漂う、なんとも言えない
優しい空気が伝わって来ました。


違いを認め合って生じる、ぬくもりでした
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ご縁~善悪を超えて~

2008-09-10 11:38:55 | Weblog
シナモンシュガーをまぶした
フレンチトースト、りんご2切れ、コーヒー。

きょうの朝食であります
よっしゃ楽しい一日の始まり。

きのうの夜は。7:30~10:00まで連続研修会があり。

両親、相方と一緒に、ご門徒さんを引率して
よそのお寺に出かけて来た 

ご講師の先生の、問題提議を受けて
3つに分かれた班ごとに、輪になって話し合いがおこなわれる

老若男女、いろんな方がおられ。
それぞれの抱える、思いや考え、疑問など

おもしろいように出て来る。

思えば、わたし達は
日常生活において、人と話をする機会はあっても

よっぽどの信頼関係が、成立しない限り

それほど深い話をしたり
心の内を語ることも、あんまりない様に思う。

そんな日暮の中で。こうして存分に
みんなが、思っていることを話す場があり

それを聞く、仲間がいる。

それは、なんと安らぐものであるかを
感じました。

人は決して、単体では生きられない

もし、自分はひとりで生きているという人がいても

着ているものひとつ
食べているものひとつ

どれを考えても、自分ひとりだけの力で

身につけ、口にしているものは、何もない。

どれだけ、たくさんの、人の恩恵の上に
「いま」の「自分」があるのか。

「自分はひとりじゃない」ことを
教えられ、感謝できる、共同体。

それが、お寺だ


気まぐれに、ネットニュースを見るのも
わたしの日課の、ひとつでありまして。

さっき「うばすて大国」という言葉が
目に飛び込んで来た。

新宿に都心のうばすて山、
半数以上が65歳以上の団地、孤独死も。

人間関係が希薄な都会で、高齢・独居者が増加。

いまの、自分の年齢になるまでの
時の経つ早さから想像してもわかるように。

明日は、わが身であります。

それぞれの事情が、あると思います。
家族でなくても、そこに

なんらかの「人と人」の繋がりがあれば、、。
せっかくの命。
孤独のまま終えることはないでしょう、、。

人と人との繋がりを、感じるところに
生きるよろこびがある。

もちろん、しんどい時もある。
摩擦もあれば、喧嘩もあれば、腹も立つ

けれど。

虎穴に入らずんば、虎子を得ず。
危険を冒さなければ、望みのものは得られない。

他者との関係を希薄に、楽に、涼しく、賢く
それなりの生き方では、
それなりの喜びしか得られない。

いまごろ、本屋に占いやらスピリチュアルやらの
本が並び始めた。

今年~新年に向けて「いい年」「いい運勢」
であることが、望ましいと切に願う

われわれ人間、

の弱さを見事にとらえた、それこそ「いい商売」

喜ばすだけならまだしも、
人を不安に陥れたりする。

「いい」年、「いい」運勢とは
まさしく、自分にとって都合の「いい」ことの意で。

本当の「いい」は
良いも悪いも、含まれている。

そこに、わたし達は気づかない、気づけない。
青い鳥が、どこかにいると信じている。


いま自分が、青い鳥なのに。


自分にとって、良いことも
自分にとって、悪いことも

「よし」とする。「よし」と思える。
それが本当の、「いい生き方」だ。
それが、生きている証拠だ。

話があちこちしたなぁ、、

いま、しあわせと思えずに、いつ思う
いま、ここに自分が存在する、ご縁
いま、ひとに支えられてある、ご縁

いま、この「ご縁」が繋がって、道となる。

わたし達を、いま、生かしめる光。
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いのち輝く

2008-09-05 12:12:56 | Weblog
相方が法事に出る為、ちょっと早めのお昼を済ませた。
あさりのボンゴレパスタ

オリーブオイル、赤唐辛子、ニンニクと
実に絶妙な、あさりのエキス?が混じり合って、

なかなか美味しくできたかな。

昨日の、歎異抄講座は面白かった

藤田先生は一時期、体調を崩された。
眼底出血をされて、ほとんど目が見えない状態でも
片道2時間半ほどの距離を、ご自身で車を運転して来られた

そして、足元がおぼつかなくても
テキストの字が、よく見えなくても
椅子に腰かけることもされず、
長時間しっかりと立たれて、力強く講義をして下さいました

わたしだったら、十中八九、続けていられないなぁ

内容はもちろんのこと、
先生のお姿、伝道する姿勢から
多くを学ばせていただいた様に思います

また、先生がお一人で来られたとき

うちの両親や、わたしたち夫婦が
車を2台連ねて、お送りしたことも。

うちの相方が先生の車を運転、先生は助手席に。
その後ろを、愛車・ピンクのミラで、追っかけたわたし

お茶を買いに、コンビニに寄ったとき。

わたし:「先生、○○○君の運転、恐くないですか~!?」
相 方:「この間、事故したばっかりですヨ。ハハハ
先 生:「・・・。いや、あの車はボディが頑丈やからね、
     相手が吹っ飛ぶんですよ

なんてオモシロイ会話もあったなぁ~。しみじみ。

ちなみに道中、先生は度々、後ろを走るわたしの車を
気にかけて下さっていたそうです

・・・というか、運転手が気にかけるもんじゃ笑。


きのうの講義より。

人生は苦である、で終わらない。
せっかくいただいた、この身。大事にする意味がある。

この身をいただかないと、わからない事がたくさんある。
生きていることで、初めて出あえたものがある。

つらくても苦しくても、味わえることがある。

「この命を生かして下さるはたらき」
「この私を生かして下さるはたらき」

に、出あわないと生きられない。生きていく一番の支えである。

いつ、どこで、どうなっても大丈夫なものに
「いま」出あえて
それぞれの命を、輝かせて生きることができる。


命=ぬくもり+感覚 である。身体+身心。

みなさん、いつも読んでいただいたり
コメントをいただいたり、ありがとうございます
コメントも興味深く読ませていただいています!

単なる暇つぶしと、自分の中にたまったエネルギー放出のために
始めたブログですが、、。

今では、毎日のちょっとした楽しみとなっています。
ありがとうございます
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モンスター

2008-09-03 14:29:12 | Weblog
きのう。出雲から帰ってみると、
家中がピカピカになっていた!!

なんていい旦那なんだぁ

できることならば、嫁にもらいたかったぞ

ほんとに、その昔から。わたしと弟を見て。
「女と男が、逆だったら良かったのに、、、」
と、実家の母が、何度嘆いていたことやら

わたしに女の子らしさが
おとうとに男の子らしさが

あれば良いのにと。

ゴン太と、乙女。

旧姓、田中よさらば。
そして、その図式からようやく解放される日が来たかと思いきや、

どこへ行っても、わたしはわたし

心やさしき伴侶を経て、歴史は繰り返されるのであります

わたし:相方=ゴン太:乙女。

わたしとゴン太は、背中合わせの存在だったのであります

世の中、いろんなものがありますが。
すべては「紙一重」な気が致します。

またまた若かりし頃。

白か黒、これぞ、ザ・正義であると思って譲らず
熱くるしくも、燃えたぎっておったことが。

いまも、完全にそういった感覚を
排除しきることは、難しいものでありますが。

善の中にひそむ、悪
悪の中にひそむ、善

を考えること度々。これもまた、先日読んだ漫画
浦澤直樹さんの「MONSTER」の影響でしょうか。

明日は、藤田徹文先生の「歎異抄」講座の最終回が
うちのお寺であります。

思えば「歎異抄」は、そういった意味でも、素晴らしい書物です。

「こうである」という固定概念やら
それを抱く自分の中の「絶対性」を打ち砕く。

既成概念の不確かさ。

ちっぽけな、偽正義感によろこぶ自分の、
なんたる恥ずかしさ

そんなこんな、考えておりますと。

そんなこんなを、
835年前に生まれて、見抜いていた方。

親鸞聖人。

・・・まさしく彼こそ、モンスターであります
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溺れながらも寄り添いたい

2008-09-02 22:59:20 | Weblog
島根県には→石見と出雲、2つの地方がありまして。
わたしは、石見地方に住んでおりますが

今朝7:30出発、出雲へ。
おかあさん&ご門徒さん&わたしの、3人で
研修会に行って参りました

テーマは「グリーフケア、深い苦悩に寄り添う活動を模索して」
約4時間の講義を受けました

いちばんの要点は。

思い通りにならない人生を、思い通りにするのが
宗教ではなく。

『苦しみや悲しみを、どう乗り越えるか?』
これが、宗教そのものであります。

→寄り添いながら、そこに一緒にいる
→あなたの悲しみ=わが悲しみ、とする阿弥陀様の心を
 拠りどころに生きる

「傾聴(けいちょう)」の大切さを学びました。

わたし達は生きていく上で
いろんな悩みや苦しみ、疑問を抱きますが。

人に話をして、その相手から
解決策=答え、を与えてもらいたいのではなく。

自分の思いや、こころの叫びを
ただ、まるごと「受けとめてもらいたい」

そんな思いが、心の奥底にはあるのだと思います。

阿弥陀様のように
あなたの悲しみ=わが悲しみ、

とは、なれない私。

人を救うどころか
自分すら救うことができず、

溺れっぱなしの身でありますが。


阿弥陀様に支えられて、生きている者としては


ちょっとでも、ひとに寄り添えるような
生き方を選択したいものだなと、思います。

五木寛之さん著『親鸞』
今日から全国的に、新聞連載が始まりました。

宗教的天才、親鸞聖人 
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