
100人いたら、
100通りの考え方があり
正解・不正解は
置かれた立場によって
180度、異なる事を大前提に。
まず、同じ子どもを持つ
ひとりの母として
この度の事件は恐ろしい。
もっとも身近で、子ども達を
見守っていた人による事件。
すぐに、わが子を捕まえて
いかなる理由があっても
お母さんが事故だとか
お母さんが呼んでいるとか
お母さんに頼まれたとか
言われても。
家族以外の人に
ついて行ってはならないと
厳しく伝えた。
道徳的に見れば、今朝の新聞に
掲載されてある様なことが言える。
が、残酷な様だけれど
ひとりの宗教者としては
ここに書かれてあるのは
きれい事、他人事だと感じる。
歎異抄(第13条)には
親鸞聖人のお言葉が
次の様にある。
『さるべき業縁のもよほさば、
いかなるふるまひもすべし』
これは、どこかの誰かじゃなく
まさに『この私』の事で
とても厳しいお言葉です。
この度の事件に
眉をひそめる『この私』こそが
縁に触れれば、
加害者にだって成りうる
危うく恐ろしい存在である、
だからこそ、ひとりひとり
わが心を問うてゆきましょう
という事です。
前例がない・特異・例外
→ 1例生じた
悪い人→ どこで判断できるのか
この度の加害者も、前日までは
事件の瞬間までは
善人だったはずです。
ここで簡単に、絶望するなとか
それでも人を信じましょうとか
私だったら言えない。
ひとりの親としては、子どもに
なにがなんでも、可能な限り
全力で、自分の身は自分で
守りなさいとしか言えない。
それでも、逃げられない事も
人生には起こるかもしれない、、
あとは、他人を指さして
信じる信じない、善人悪人と
言うよりも前に
『この私』が、子ども達の
信頼に値するのか
安心や温もりを与える事が
出来るのかどうかを
ひとりひとりが、自分の心に
問いかけてゆく所から始まる。
子どもに信じろと言う前に
信じてもらえる大人であるのか
常に問い続けるのが
私の、私たち大人の側の
責務であると思う。
ここ数日、日中は、暑いくらいのお天気が続いています。
湿度がない分、さわやかだけど。
この事件は、ほんとに、許せない!!って思った。
私は、ベトナムに4回ほど行ったことがあって。
ベトナムの人って、親切な人が多くて、のんびりしていて、大好きな国。
経済的には、日本のほうが上だけど、幸せ度は、ベトナムのほうが上じゃないかな?って思う。
日本は、豊かにはなったけど、ストレス社会だし、常に何かに追い立てられているような…。
安全だと言われている日本で、こんなことになってしまって、ほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
悔しい!! 悲しい。
ほんの一握りでも、異常な人は、いるんだよね。
私も、子どもの頃、道聞かれて…ってことあったし。
子ども自身が、いかに異常なことを察知して、行動できるかっていうことが、大事だと思う。
いつも、親がそばにいてあげられるわけじゃないし。
事件や事故で、人が亡くなるニュースを観るたびに、生きていることは、当たり前のことじゃないんだなって痛感する。
健康で、元気に暮せていることに、感謝。
りえちゃん、こんにちは♪
晴れて暑くなって来たね!
しかし寒暖の差が激しいね。
ベトナム4回かぁ、すごい!
私はまだ行った事ないなぁ。
行ってみたいなぁ~
『過ぎてみれば実体がない』
と。以前、手紙に書いて下さった
先輩がおられたよ。ごもっとも!
と思った。私達は何に追われて
あっという間に一生を終えるのか。
もうちょっと意識的に生きたい。
大切なものが何であるか
私達は考えながら生きたいね、、
命あること元気であること
失って初めて気づかされる。
ほんと感謝の日暮らしです(^-^)
でも、この「私」だって条件やご縁が揃えば、事故や事件を起こしてしまう可能性だってありますよね。
その意味では、『歎異抄』という制限装置の本があってよかったです。
年齢・性別・立場など
自分より弱い者に対して
力を用いるのは、
いちばん許せない事ですね。
守りたいものがあります。
親鸞聖人のお言葉は
温かくて厳しくて
厳しくて温かいなと思います。