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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2408 大津市歴史博物館 京極高次

2024-09-29 | 探訪
滋賀は大津

大津市歴史博物館

第94回企画展「京極高次」
期間:7月20日(土)~9月1日(日)

京極高次像
高次の子・忠高の菩提寺である玄要寺(香川県丸亀市)に伝わった高次の肖像画。
京極高次は信長・秀吉・家康に仕えた大名。大津城主のとき関ケ原の戦いが勃発し、高次は大津城に籠城。西軍の大将・毛利元康、立花宗茂、小早川秀包等の軍勢と戦ったが9月15日に開城する事となった。その日はまさに関ケ原合戦の当日であった。

常高院像
京極高次の正室で浅井長政とお市の方の娘・初(常高院)を描いた肖像画。
常高院の墓所である常高寺(福井県小浜市)蔵。

佐々木京極系図
京極家の歴代を記した系図。
11代信綱の頃に、京極家の家紋である四ツ目結紋を記し、この紋を寄懸之紋として後鳥羽院より賜ったと記している。
15代高氏は婆娑羅大名の佐々木(京極)道誉の事。

四ツ目結紋入調度品

石田正継藍印状
慶長四年(1599)十一月十七日付、清瀧寺宛。内容は清瀧寺の山林を勝手に伐採したものを処罰した事を知らせ、清瀧寺は京極道誉の位牌所で守護不入であり山林支配を認めるので勤行など油断なく行うよう命じている。
石田正継は佐和山城主・石田三成の父。この時期朱印や黒印が多く使用されているが正継は藍印を使用しており珍しい。

石田三成書状写
(慶長5年(1600))九月十二日付、増田長盛宛。関ケ原の戦いの3日前に大垣城にいる三成より大坂城の長盛へ宛てた書状の写しとされるもの。
内容は多岐にわたるが、その中に大津城の京極高次にも触れており「この際徹底的に殲滅しなければ、以後の「御仕置」の障害になる」と伝えている。大津城が余ほど目障りであったようだ。

山岡道阿弥像
法体でありながら傍らに朱太刀を置き、前に繋がれた馬を配置する山岡道阿弥の肖像画。
山岡道阿弥は俗名を景友といい、園城寺光浄院の住持であったが足利義昭の家臣となり、その後は信長・秀吉・家康に仕えた。
大津城を開城後に高野山で謹慎していた京極高次の元に下山を説得するための使者を派遣している。

京極高次家臣連署状
(慶長5年(1600))十月八日付、京極家の家臣より大津百艘船に出された書状で、大津城籠城戦で尽力してくれた事を賞する内容で大津に居たならば知行を与えるつもりだったが国替になったので銀子3枚で水主たちに酒を振る舞うように伝えている。
関ケ原の戦いから1ヶ月も経たないこの時期に高次の若狭転封が決定していた事になる。

京極忠高像
忠高の菩提寺・玄要寺(香川県丸亀市)に伝わった肖像画。
京極忠高は高次の子、若狭小浜藩2代藩主。高次と正室・常高院の間には子が無く、忠高は侍女に産ませた子であった。
常高院は徳川秀忠と正室・江(常高院の妹)の間に生まれた初姫を養女として忠高の正室としている。
寛永11年(1634)出雲松江に加増転封されているが、寛永14年(1637)忠高が死去すると継嗣が無かったため出雲松江を没収されている(甥の京極高和が末期養子として播磨龍野藩に減封)。

まさかの「京極高次」展。蛍大名などと呼ばれる高次の企画展が開催されるとはビックリです。

2408 名古屋城西の丸御蔵城宝館 武具・甲冑

2024-09-25 | 探訪
名古屋

名古屋城

西の丸御蔵城宝館

名古屋城振興協会所蔵品展「武具・甲冑」
期間:7月20日(土)~9月9日(月)

名古屋城 銅鯱
正門、表一之門にあったもの。昭和20年の空襲で門自体は焼失したがこれらの鯱は焼失を免れた。

德川家康画像

德川十六将図

德川十六将図
珍しい巻物状の十六将図。画像は酒井忠次と井伊直政。
三河鳳来寺伝来の什物であった事が巻頭に記されている。

朱塗紺糸威具足 附 蝶前立付黒漆塗六十二間筋兜(左)
黒漆塗紺糸威具足 附 鉄錆地六十二間筋兜(右) 


鉄錆地八枚張南蛮兜

黒漆塗日根野頭形兜

脇差 銘 兼則 附 唐花唐草文金襴貼合口拵

2408 徳川美術館 もののふの備え

2024-09-22 | 探訪
名古屋

徳川美術館

夏季特別展 もののふの備え 甲冑の美学 馬とともに
期間:7月27日(土)~9月16日(月)

長篠合戦図屛風
天正三年(1575)織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が激突した戦いを描いた屏風。

織田信長書状
波多野右衛門大夫より太刀と馬を贈られた際の礼状。

短刀 銘 宗近 (名物 海老名小鍛冶)
伝来は足利義政・三好義長・足利義輝・豊臣秀吉・豊臣秀頼・徳川家康・徳川義直。以降尾張徳川家。

德川家康所用 熊毛植牛角脇立兜

加藤清正所用 長烏帽子形兜

松平忠吉所用 銀箔置白糸威具足

徳川義直所用 朱塗啄木糸威具足

紅・白・花色・紺段威具足
徳川家康近侍着用で、「駿府御分物」として尾張徳川家に伝わった。

長久手合戦図屛風
天正12年(1584)秀吉方の池田恒興・森長可軍と徳川方が戦った長久手合戦を描く。

名品コレクション展示室からの逸品

千利休書状
川端道喜宛。朝顔の花を生けた茶事について触れた内容。

今回は甲冑が中心の展示でした。

2407 藤田美術館 「詩」「土」「紫」

2024-09-18 | 探訪
大阪

藤田美術館
「詩」「土」「紫」

曜変天目茶碗
国宝。徳川家康より水戸藩初代・徳川頼房に伝わり以降は水戸徳川家に伝来した。

黒楽茶碗 銘ほととぎす 常慶作
箱蓋裏の書付は表千家七代・如心斎による。

天猫姥口釜
織田信長より柴田勝家が拝領した天明釜。

古瀬戸文琳茶入 銘 霜夜
小堀遠州が古今和歌集の「さかしらに夏は人まね笹の葉の さやく霜夜をわかひとりぬる」より「霜夜」と銘命した。

空中信楽釣花入 本阿弥光甫作

茶杓 銘 紫衣 随流斎宗佐作
筒には「紫衣 不審庵(花押)」と表千家五代・随流斎が記している。

冊子形香合 仁清作

紫式部日記絵詞 第四段
国宝。寝ている女性は出産後の中宮彰子、その前の後ろ向き姿の女性は紫式部。

紫式部日記絵詞 第五段
国宝。縁に立つ藤原道長。

今回は曜変天目茶碗を久しぶりに拝見できました。他には源氏物語関連の展示も良かった。

2407 静嘉堂文庫美術館 超・日本刀入門 revive

2024-09-15 | 探訪
東京は丸の内

静嘉堂文庫美術館

超・日本刀入門 revive ―鎌倉時代の名刀に学ぶ
期間:6月22日(土)~8月25日(日)

短刀 銘 安吉(名物 日置安吉)
『享保名物帳』所載。備前岡山城主・池田光政の家老、日置豊前守忠俊が所持した事から「日置安吉」の名がある。
後に加賀藩2代藩主・前田利常が所持した。

太刀 銘 安綱
上総飯野藩主保科家伝来。

太刀 銘 高綱(号 滝川高綱)
附 朱塗鞘打刀拵

滝川一益が主君・織田信長より拝領したと伝える。付帯の「朱塗鞘打刀拵」は桃山期の製作で、華麗な桃山の時代層を反映した名拵である。

太刀 銘 守利 (金象嵌)本多平八郎忠為所持之
本多忠為(後に忠刻)は本多忠勝の孫で、德川家康の孫・千姫を正室に迎えている。
忠為は刀剣コレクターであったのか金象嵌で所持銘が切られた刀剣が数点現存している。

刀 大磨上げ無銘(号 後家兼光)
附 芦雁蒔絵鞘打刀拵

太閤秀吉の遺物として直江兼続が拝領した。その兼続の没後、後家となった正室・お船の方より主家の上杉家に献上された事から「後家兼光」と呼ばれた。
明治期に上杉家から山内家に贈られている。

刀 大磨上げ無銘(号 渋江行光)
久保田藩・佐竹家の重臣・渋江政光が徳川家康より拝領した。

太刀 銘 了戒作 
附 桐葵紋蒔絵鞘糸巻太刀拵
 
徳川家光の弟、駿河大納言忠長所持と伝わる。

鉄錆地十二間小星兜 勝虫前立・面頬付


2406 神戸市立博物館 テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本

2024-09-11 | 探訪
今回は神戸

神戸市立博物館

特別展「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」
期間:6月22日(土)~8月25日(日)

カラカラ帝胸像
カラカラ帝はローマ帝国の皇帝、テルマエと呼ばれる公衆浴場のひとつで今も遺跡が残るカラカラ浴場を建設した人物。

ライオン頭部形の吐水口

動物形リュトン

アプリア赤像式鐘形クラテルハイファ

千華文の杯と皿前

有馬温泉寺縁起絵巻

有馬茶会
天正18年(1590)小田原攻めで北条氏を降伏させた豊臣秀吉は、戦いの疲れを癒すため同年9月25日から10月14日まで有馬温泉に出向いている。本書状は、そのおりに阿弥陀堂にて10月4日に催された茶会を記録したもの。
秀吉所持の逸品の茶道具が用いられ、利休・小早川隆景・有馬則頼・津田宗及等が招かれている。

上醍醐西谷湯屋 復元模型
この湯屋模型は、醍醐寺の山上(上醍醐)の西谷にあった「風呂」の永正18年(1521)の指図をもとに復元的に作成したもの。

ケロリンの桶

熱浴室(カルダリウム)の想像復元

テルマエ展では古代ローマの文化と浴場の他に、日本の入浴文化を紹介しており神戸展では近くの有馬温泉についての展示もありました。

2406 秀吉清正記念館 記念館所蔵の武具類

2024-09-08 | 探訪
名古屋

秀吉清正記念館

特集展示「記念館所蔵の武具類」
期間:6月1日(土)~6月30日(日)

孔雀羽根模様陣羽織
「陣羽織」の名が付いているが、実際は甲冑の下に着た「鎧下着」だそうです。
豊臣秀吉所用、近江木下家伝来。

色々威二枚胴具足のうち兜
現在10領ほどが現存しており、德川家康の近習のために揃いで作られたと考えられている。

黄母衣
豊臣秀吉の黄母衣衆であった兼松正吉のもの。
兼松正吉は信長・秀吉・家康に仕え、子孫は尾張徳川家の藩士となった。

母衣をかご状の骨組みに装着した状態(参考写真)

刀 銘 九州同田貫藤原正国
作者の藤原正国は元「国勝」といい、加藤清正より「正」の字を与えられて以降「正国」を名乗った

縹糸威黒漆塗仏胴具足

金小札赤糸威二枚胴具足

2406 名古屋刀剣ワールド 三英傑の名刀

2024-09-04 | 探訪
今回は名古屋

名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(メーハク)
東建コーポレーション株式会社さんが設立した博物館。
コロナの影響もあって開館が遅れていましたが、ようやく開館しました。

開館記念特別展「三英傑の名刀 ~徳川家の刀剣~」
期間:5月1日(水)~7月28日(日)

短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)
国宝。豊臣秀頼より織田有楽が拝領。本阿弥光悦の孫・光甫(空中斎)の取次で前田利常が得た。加賀藩前田家伝来。

刀 無銘 景光 織田弾正忠信秀摺上之
「織田弾正忠信秀摺上之」の切付銘は、織田信秀の時代ではなく後の時代に切られたものと見られる。

短刀 銘 備州長船住長義(名物 大坂長義)
大坂城にて豊臣秀吉より前田利家が拝領したとも、前田利常が大坂で求めたともいわれる。加賀藩前田家伝来。

太刀 銘 一(吉岡一文字)
豊臣秀長の愛刀で、娘の大善院が豊臣秀吉の養女として毛利秀元に嫁ぐ際に引き出物として贈られた。

太刀 銘 備州長船住景光 正和五年十月日
徳川家康所持と伝わり、徳川宗家16代当主「徳川家達」が所持した。

太刀 銘 基近造
足利義輝所持。

刀 無銘 伝吉岡一文字
能登の諸語大名・畠山義総の佩刀と伝わる。その後は元・畠山家臣で加賀八家のひとつ長家に伝来した。

刀 無銘 伝志津
美濃国主・土岐頼芸佩刀。

太刀(額銘)備州長船住元重
徳川家光より伊達政宗拝領。仙台藩伊達家伝来。

薙刀 銘 丹波守吉道
関ヶ原の戦いにおいて、石田三成が佐竹義宣に助勢を願って贈った、同作10振中の1振。

太刀 銘 宗忠
庄内藩士・菅実秀が西郷隆盛から譲り受けた物と伝わる。

とにかく大量の刀剣が展示してあります。上記紹介のものはほんの一握りです。
刀剣博物館ですが、他には甲冑・鉄砲や屏風・掛物も豊富にありました。

2406 表千家北山会館 茶の湯~小間と広間~(風炉)

2024-09-01 | 探訪
京都

表千家北山会館

茶の湯~小間と広間~(風炉)
期間:5月24日(金) ~ 7月29日(月)

広間道具組

茶室起こし絵図「残月亭」

茶室起こし絵図「不審庵」

茶室起こし絵図「待庵」

黒樂井戸形茶碗 樂(10代)旦入作

表千家13代即中斎作茶杓 銘 蝉しぐれ 利休居士手植沙羅ノ樹ヲ以テ

不審菴模型
表千家を代表する茶室「不審庵」の実物大模型
中にも入れるとの事なので、早速

内部は平三畳台目。間取りは本歌と同じですが雰囲気までは流石にねぇ・・・


掛物は大徳寺427世・剛堂宗健筆一行「山雲海月」

続いて2階に新たに設置された

組立式小間
こちらも中へ入れます

内部は四畳半、床柱には北山丸太が使われているようです。

最期は呈茶席にてお抹茶をいただく。