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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

大通寺①

2021-07-28 | 探訪
今回も長浜

大通寺
浄土真宗大谷派(東本願寺)の有力な別院で、「長浜御坊」と呼ばる。
画像の山門は天保11年(1840)の落成。

脇門(台所門)
元長浜城の追手門と伝える。扉金具の裏に天正十六年の銘があり、数少ない長浜城の遺構のひとつ。

本堂
寺伝によれば、徳川家康より東本願寺の教如へ贈られた伏見城の殿舎を本願寺より移築した。

玄関
宝暦10年(1760)に住職・横超院の内室であった彦根藩主・井伊直惟の息女数姫によって建てられた。

梵鐘
もとは若狭国多太寺のもので貞治二年(1363)の銘がある。

大広間
本堂と同様に伏見城の遺構と伝わる。

柄鏡箱・鏡立
安政4年(1857)に大通寺の養女となった井伊直弼の七女・砂千代が使用した調度品。
明治5年には、大通寺第10代住職・霊寿院厳澄と婚儀を結んだ。

次回も大通寺

2105 慶雲館②

2021-07-25 | 探訪
今回も慶雲館、庭園です。

明治45年、7代目小川治兵衛により作庭された池泉回遊式庭園。

2階からの眺望。
現在は木々により見えないが琵琶湖を借景とした眺めが見所だった。

大型の手水鉢

茶室「恵露庵」
本館と共に明治20年に建設された。

元は四畳半の茶室でしたが、平成12年十畳余の広間に改修されたのだとか。

茶室前の蹲踞

長浜領朱印地石柱
豊臣秀吉により定められた年貢免除地を示すもので、江戸時代に建てられた石柱。

2105 慶雲館①

2021-07-21 | 探訪
今回も長浜

慶雲館
明治20年、明治天皇の京都行幸に際し行在所として実業家の浅見又蔵により建設。
3ヶ月余りの突貫工事で、行幸啓当日の朝に完成する慌ただしさだった。

「慶雲館」の名称は行幸に同行した内閣総理大臣・伊藤博文による命名と伝わる。

1階

床の間

2階

両陛下をお迎えする為の玉座の間

犬養毅の書

梅型の電灯

次回も慶雲館

2105 長浜城歴史博物館 石田三成 ―秀吉に仕えた知将の生涯―

2021-07-18 | 探訪
長浜

長浜城歴史博物館

企画展「石田三成 ―秀吉に仕えた知将の生涯―」
期間:4月24日(土)〜6月6日(日)

石田三成所用 紅糸素掛威伊予札二枚胴具足
兜は阿古陀形で脇立用の角元が付く。前立に金の日輪が付く。
紀州藩砲術指南役・宇治田家に伝来する具足で、関ケ原の戦功により浅野幸長より拝領した。
石田三成所用 刀 銘 真行
南北朝~室町時代、豊後高田系の刀工・真行の作。
関ケ原合戦後に山中に逃れた石田三成を案内した礼に贈られたと伝承され、三成をかくまったとされる家に伝わった。
田中吉政像
関ケ原合戦後に三成を捕らえた田中吉政の肖像画で慶長14年(1609)吉政の死後直後に描かれたとされる。
肖像画には左眼下から鼻・唇にかけて傷跡が描かれているが、これは豊臣秀次に仕えていた時に負傷したものといわれる。

次回も長浜

2105 愛宕坂茶道美術館 尚庵

2021-07-15 | 探訪
今回も愛宕坂茶道美術館

こちらには茶室があります。

腰掛待合

蹲踞

茶室「尚庵」
平成時代に建てられた新しい茶室。

内部は四畳半

点前座を落天井とし網代を張る(網代天井)。

茶堂口方向の眺め
平時はこちらで茶会も行われているようです。

伝説再び・・・ 六番目の小夜子 

2021-07-13 | 松本まりかのま

2000年に放映されていたあの「六番目の小夜子」がなんと再放送されます!!!
ここでも散々ぱら紹介していましたが山田孝之、栗山千明、山崎育三郎、鈴木杏、 勝地涼そして我らが松本まりか様が出演していた伝説的ドラマ。


ホワイトまぁ

ブラックまぁ

ホンとこのドラマのまりかちゃんは神がかっています。必見です

詳しくはこちらをチェック!(NHK公式)

2105 愛宕坂茶道美術館 茶人のお言葉

2021-07-11 | 探訪
福井

愛宕坂
天正4年(1576)、柴田勝家が一乗谷から愛宕大権現社を足羽山に移したことからこの名で呼ばれる。

愛宕坂茶道美術館

企画展「茶人のお言葉」
期間:2月27日(土)~5月12日(水)

千利休書状(聚楽の文)
(天正15年)四月十二日付、芝山監物宛。島津征伐に赴いている芝山監物へ聚楽第より利休が発信した手紙。
今月末には宇治茶が着くことや、島津氏降参の事にも触れている。
解説文では、利休が聚楽第に居たとあるが、この時期の利休の居場所として適切かは疑問なところ。
古田織部書状
二月十八日付、松井平吉宛。内容は「南蛮水指を拝見したが良いものなので袋棚に置くように」と述べている。
松井平吉については不詳。
金森宗和書状
六月廿八日付、上林三入宛。宇治の茶師である三入より頼まれている二重切花入を造り送る事、また表具も頼まれえているがこれは少し時間がかかる事を知らせている。
沢庵宗彭書状
泊瀬寺十輪院宛。紫衣事件により出羽国上山に配流された沢庵が配流先の上山春雨庵より出した手紙。
雪の降る出羽において、懐かしい泊瀬寺の事や大福庵での夜話茶会の事を思い出し感無量であると述べている。

その他、遠州筆小色紙や、平瀬家に伝来した紹鷗茶杓(石州筒)、甫竹作茶杓などを拝見。


妙心寺塔頭 大法院②

2021-07-08 | 探訪

大法院墓地

真田信之墓
真田信之は真田昌幸の嫡男、真田信繁(幸村)の兄で、初代松代藩主

真田信吉墓
真田信吉は信之の嫡男。二代沼田藩主。

長姫墓
真田信吉女子。祖父・信之の遺命により大法院を建立。

佐久間象山墓
幕末の松代藩士、京三条木屋町で暗殺された。

千代の富士顕彰碑
生前、大法院の住職と親交があったのだとか。

これにて終了

妙心寺塔頭 大法院①

2021-07-04 | 探訪
花園

大法院

春の特別拝観で訪れました。

六文銭
大法院は寛文2年(1662)真田信之の孫・長姫が信之の遺命により菩提寺として創建した。 院号は、信之の法名「大法院殿徹岩一洞大居士」に因む。

客殿より露地庭園を眺める

こちらではお抹茶がいただける。

外露地の蹲踞

腰掛待合

茶室「有隣軒」
内部は四畳半。
躙口の他に4枚戸からの入室も可能になっている。

内露地