京都

京都国立博物館

特別企画 貝塚廣海家コレクション受贈記念 豪商の蔵─美しい暮らしの遺産─
期間:2月3日(土) ~ 3月18日(日)

一重切竹花入 銘 三井寺 千宗旦作
ずんぐりとした形で裾広がりの花入。裏面に宗旦が「」と直書している。
三井寺は園城寺の別名である事から利休の一重切花入を宗旦が意識して名付けたと思われるが、花入自体は似ていない。
竹茶杓 銘 一声 千宗旦作
折撓、蓮弁形の茶杓。節上に斑文が見られる。
筒には「一声 不審」と宗旦が記している。
和歌懐紙 三条西実隆筆
ある春に「雨後花」を題として詠まれた和歌。権中納言とあり実隆がその任にあった文明12年(1480)~延徳元年(1489)に詠まれた事が分かる。
ちなみにこの時期文明19年(1487)4月に宗祇より古今伝授を受け始めている。
この他、豊臣秀吉消息や一入の黒楽茶碗「数寄太郎」、若冲の筍図などなど。
廣海家は大阪府貝塚市の旧商家だそうで、今回はそのコレクションが京博に寄贈された記念に開催された企画。貴重なものが拝見出来ました。

京都国立博物館

特別企画 貝塚廣海家コレクション受贈記念 豪商の蔵─美しい暮らしの遺産─
期間:2月3日(土) ~ 3月18日(日)

一重切竹花入 銘 三井寺 千宗旦作
ずんぐりとした形で裾広がりの花入。裏面に宗旦が「」と直書している。
三井寺は園城寺の別名である事から利休の一重切花入を宗旦が意識して名付けたと思われるが、花入自体は似ていない。
竹茶杓 銘 一声 千宗旦作
折撓、蓮弁形の茶杓。節上に斑文が見られる。
筒には「一声 不審」と宗旦が記している。
和歌懐紙 三条西実隆筆
ある春に「雨後花」を題として詠まれた和歌。権中納言とあり実隆がその任にあった文明12年(1480)~延徳元年(1489)に詠まれた事が分かる。
ちなみにこの時期文明19年(1487)4月に宗祇より古今伝授を受け始めている。
この他、豊臣秀吉消息や一入の黒楽茶碗「数寄太郎」、若冲の筍図などなど。
廣海家は大阪府貝塚市の旧商家だそうで、今回はそのコレクションが京博に寄贈された記念に開催された企画。貴重なものが拝見出来ました。
上野

東京国立博物館
刀剣鑑賞の歴史
期間:2017年12月5日(火) ~ 2018年2月25日(日)

短刀 左安吉(名物 一柳安吉)
一柳直盛所持、加賀藩主前田家伝来。

刀 長船光忠(金象嵌銘 本阿(花押) 光忠)
徳川将軍家伝来。

刀 郷義弘
紀州徳川家伝来。

刀 相州貞宗(名物 亀甲貞宗)
国宝。松平直政所持、盛岡藩主南部家、尾張徳川家、徳川将軍家伝来。

刀 相州正宗(金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押))
国宝。城和泉守昌茂所持、弘前藩主津軽家伝来。

短刀 相州行光
国宝。加賀藩主前田家伝来。
その他の刀剣展示より

太刀 古備前包平(名物 大包平)
国宝。池田輝政所持、岡山藩主池田家伝来。

短刀 粟田口吉光(名物 岡山藤四郎)
伝来は前田利家、豊臣秀吉、小早川秀秋、徳川家康、尾張徳川家。

太刀 長船長光(号 大般若長光)
国宝。伝来は足利義輝、織田信長、徳川家康、奥平信昌、松平忠明。

刀 伝相州正宗(名物 籠手切正宗)
伝来は朝倉義景、織田信長、前田利常。

朱漆金蛭巻大小
豊臣秀吉所持。
刀剣三昧でした

東京国立博物館
刀剣鑑賞の歴史
期間:2017年12月5日(火) ~ 2018年2月25日(日)

短刀 左安吉(名物 一柳安吉)
一柳直盛所持、加賀藩主前田家伝来。

刀 長船光忠(金象嵌銘 本阿(花押) 光忠)
徳川将軍家伝来。

刀 郷義弘
紀州徳川家伝来。

刀 相州貞宗(名物 亀甲貞宗)
国宝。松平直政所持、盛岡藩主南部家、尾張徳川家、徳川将軍家伝来。

刀 相州正宗(金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押))
国宝。城和泉守昌茂所持、弘前藩主津軽家伝来。

短刀 相州行光
国宝。加賀藩主前田家伝来。
その他の刀剣展示より

太刀 古備前包平(名物 大包平)
国宝。池田輝政所持、岡山藩主池田家伝来。

短刀 粟田口吉光(名物 岡山藤四郎)
伝来は前田利家、豊臣秀吉、小早川秀秋、徳川家康、尾張徳川家。

太刀 長船長光(号 大般若長光)
国宝。伝来は足利義輝、織田信長、徳川家康、奥平信昌、松平忠明。

刀 伝相州正宗(名物 籠手切正宗)
伝来は朝倉義景、織田信長、前田利常。

朱漆金蛭巻大小
豊臣秀吉所持。
刀剣三昧でした
今回も三島

三嶋大社
中世伊豆国の一宮であり、頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬が篤かった。

源頼朝・北条政子 腰掛石
「治承4年(1180年)5月平家追討の心願を込めて百日の日参をした折、腰を掛けて休息した」

宝物館
太刀 銘 平安城藤原則定作之他
江戸時代初期、山城の刀工・則定の作。
寛永十四年(1637)二月、将軍・徳川家光により奉納された。
三島千句 宗祇作
文明三年(1471)宗祇は三島にて東常縁より古今和歌集の講釈を受けている。その頃常縁の子・竹一丸が風邪を患い、宗祇はその平癒を祈り三嶋明神に発句を捧げたところ快方に向かったので祈願成就のお礼に独吟千句を奉納した。この千句には関東を転戦していた東常縁の戦勝祈願の意味も込められていたとの説もある。
新三島千句(出陣千句) 宗長作
永正元年(1504)9月今川氏親と北条早雲は扇谷上杉朝良に加勢し武蔵国立河原にて山内上杉顕定・足利政氏連合軍と戦い勝利した。この千句連歌は今川氏親の戦勝報賽として宗長が独吟し三嶋明神に奉納されたもの。今川氏に仕える宗長の役割の一端が窺える。
宗長・宗碩両吟百韻連歌懐紙
大永二年(1522)八月宗長・宗碩により伊勢神宮奉納の千句連歌が詠まれた(伊勢千句)。これはその一部(第三百韻)で発句は宗碩。
伊勢千句は管領細川高国が一時都を追われ近江に逃亡、政権奪回を願い後に叶った事から伊勢神宮に千句連歌の奉納を思い立ち宗長に依頼、宗長も大徳寺真珠庵の傍らに住んでいた修行時代に高国の世話を受けていた事からそれを引き受けたもの。
高齢であった宗長は独吟を不安に思い同門の宗碩との両吟となった。ちなみに第一百韻の発句は細川高国、巻軸の発句(第十百韻)は三条西実隆の作。
この他にも後水尾院和歌懐紙、烏丸光広詠草、北条早雲判物など拝見できました。

三嶋大社
中世伊豆国の一宮であり、頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬が篤かった。

源頼朝・北条政子 腰掛石
「治承4年(1180年)5月平家追討の心願を込めて百日の日参をした折、腰を掛けて休息した」

宝物館
太刀 銘 平安城藤原則定作之他
江戸時代初期、山城の刀工・則定の作。
寛永十四年(1637)二月、将軍・徳川家光により奉納された。
三島千句 宗祇作
文明三年(1471)宗祇は三島にて東常縁より古今和歌集の講釈を受けている。その頃常縁の子・竹一丸が風邪を患い、宗祇はその平癒を祈り三嶋明神に発句を捧げたところ快方に向かったので祈願成就のお礼に独吟千句を奉納した。この千句には関東を転戦していた東常縁の戦勝祈願の意味も込められていたとの説もある。
新三島千句(出陣千句) 宗長作
永正元年(1504)9月今川氏親と北条早雲は扇谷上杉朝良に加勢し武蔵国立河原にて山内上杉顕定・足利政氏連合軍と戦い勝利した。この千句連歌は今川氏親の戦勝報賽として宗長が独吟し三嶋明神に奉納されたもの。今川氏に仕える宗長の役割の一端が窺える。
宗長・宗碩両吟百韻連歌懐紙
大永二年(1522)八月宗長・宗碩により伊勢神宮奉納の千句連歌が詠まれた(伊勢千句)。これはその一部(第三百韻)で発句は宗碩。
伊勢千句は管領細川高国が一時都を追われ近江に逃亡、政権奪回を願い後に叶った事から伊勢神宮に千句連歌の奉納を思い立ち宗長に依頼、宗長も大徳寺真珠庵の傍らに住んでいた修行時代に高国の世話を受けていた事からそれを引き受けたもの。
高齢であった宗長は独吟を不安に思い同門の宗碩との両吟となった。ちなみに第一百韻の発句は細川高国、巻軸の発句(第十百韻)は三条西実隆の作。
この他にも後水尾院和歌懐紙、烏丸光広詠草、北条早雲判物など拝見できました。
静岡は三島

佐野美術館

特別展「上杉家の名刀と三十五腰」
期間:1月7日(日)~2月18日(日)

長巻 無銘 片山一文字
上杉神社蔵。刃長95.7cm。鎌倉時代、片山一文字派の作とされる。
関東管領山内上杉氏伝来。上杉憲政より謙信に引き継がれたもののひとつと考えられる。
太刀 銘 助宗 (謙信助宗)
松岬神社蔵。刃長77.2cm。鎌倉時代、備前福岡一文字派の刀工・助宗の作。
上杉謙信所用で、後に景勝に伝わったと思われる。
健全な太刀の多い上杉家蔵刀には珍しく研ぎ減っており、拵えには受け疵がある等実戦で使用した事を窺わせる。
短刀 銘 左 (弾正左文字)
刃長23.9cm。鎌倉時代、筑前の刀工・左文字の作。
慶長12年(1607)将軍・徳川秀忠より上杉景勝が賜った刀剣のひとつ。その後に、上杉鷹山が愛用した。
以下特別展示
太刀 銘 備州長船兼光/延文五年六月日 (三日月兼光)
刃長80.6cm。南北朝時代、備前長船の刀工・兼光の作。
「御重代三十五腰ノ内」「上杉景勝腰物目録」に挙げられる。
短刀 銘 行光 (名物 不動行光)
刃長25.5cm。鎌倉時代、相模の刀工・行光の作。
享保名物帳所載。織田信長所持で、酒席で気分が良くなると「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」と膝を叩いて歌ったという。信長自慢の刀剣が本刀、茶器なら大名物の九十九髪茄子茶入、家臣なら丹羽長秀という事らしい。
ある時信長が小姓たちに「(不動行光の)鞘の刻み目の数を当てた者に与える」と言ったところ森蘭丸のみ口を噤んで答えなかったので尋ねると、信長より預けられた際に数えて知っており「知っているのに知らないふりをして答えるのは嫌だった」と答えた。その正直さを賞して信長は本刀を蘭丸に与えている。
その後本能寺の変で焼身となり、何時の頃からか小倉藩小笠原家に伝来した。
異説では信長の子・信雄より小笠原忠真に渡ったとされる。
上杉家の名刀の数々に加えて信長所持の刀剣まで見れて良かったです。(あと甲冑もね)

佐野美術館

特別展「上杉家の名刀と三十五腰」
期間:1月7日(日)~2月18日(日)

長巻 無銘 片山一文字
上杉神社蔵。刃長95.7cm。鎌倉時代、片山一文字派の作とされる。
関東管領山内上杉氏伝来。上杉憲政より謙信に引き継がれたもののひとつと考えられる。
太刀 銘 助宗 (謙信助宗)
松岬神社蔵。刃長77.2cm。鎌倉時代、備前福岡一文字派の刀工・助宗の作。
上杉謙信所用で、後に景勝に伝わったと思われる。
健全な太刀の多い上杉家蔵刀には珍しく研ぎ減っており、拵えには受け疵がある等実戦で使用した事を窺わせる。
短刀 銘 左 (弾正左文字)
刃長23.9cm。鎌倉時代、筑前の刀工・左文字の作。
慶長12年(1607)将軍・徳川秀忠より上杉景勝が賜った刀剣のひとつ。その後に、上杉鷹山が愛用した。
以下特別展示
太刀 銘 備州長船兼光/延文五年六月日 (三日月兼光)
刃長80.6cm。南北朝時代、備前長船の刀工・兼光の作。
「御重代三十五腰ノ内」「上杉景勝腰物目録」に挙げられる。
短刀 銘 行光 (名物 不動行光)
刃長25.5cm。鎌倉時代、相模の刀工・行光の作。
享保名物帳所載。織田信長所持で、酒席で気分が良くなると「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」と膝を叩いて歌ったという。信長自慢の刀剣が本刀、茶器なら大名物の九十九髪茄子茶入、家臣なら丹羽長秀という事らしい。
ある時信長が小姓たちに「(不動行光の)鞘の刻み目の数を当てた者に与える」と言ったところ森蘭丸のみ口を噤んで答えなかったので尋ねると、信長より預けられた際に数えて知っており「知っているのに知らないふりをして答えるのは嫌だった」と答えた。その正直さを賞して信長は本刀を蘭丸に与えている。
その後本能寺の変で焼身となり、何時の頃からか小倉藩小笠原家に伝来した。
異説では信長の子・信雄より小笠原忠真に渡ったとされる。
上杉家の名刀の数々に加えて信長所持の刀剣まで見れて良かったです。(あと甲冑もね)