goo blog サービス終了のお知らせ 

SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1803 林原美術館 第12回 お守り刀展覧会

2018-04-29 | 探訪
岡山
075
林原美術館
001
第12回 お守り刀展覧会
期間:2月6日(火)~3月25日(日)

新刀が中心の展示でしたが、私の注目は参考出品の
009
太刀 吉房
国宝。紀州徳川家の分家である伊予西条藩松平家伝来
019
太刀 長光
国宝。
031
短刀 名物 九鬼正宗
国宝。小早川隆景所持、隆景から九鬼嘉隆の子・五郎八に与えられその後兄の守隆に渡った。
守隆より徳川家康に献上、その後は紀州徳川家、伊予西条藩松平家に伝来した
058
太刀 正恒(青江)
岩国藩吉川家伝来
047
千疋馬図大小揃金具
薩摩藩島津家伝来

林原美術館の3国宝刀剣を拝見できました。

1803 本法寺 春季特別寺宝展

2018-04-25 | 探訪
京都
011
本法寺
2人の芸術家の所縁の寺
013
長谷川等伯像
能登出身の絵師。狩野永徳のライバル的存在
014
光悦翁手植之松
寛永の三筆のひとりで陶芸にも秀でた本阿弥光悦
026
巴の庭
光悦作と伝わる
038
蹲踞
光悦作と伝わる
012
春季特別寺宝展
佛涅槃図 長谷川等伯作
京都三大涅槃図のひとつ、その大きさは縦約10m横約6mの大作。
等伯61歳の時の作。絵の中にはその等伯の姿も描かれている。
赤楽茶碗 伝本阿弥光悦作
馬上杯形の茶碗。「慶長元年九月吉日 本法寺」と記されており光悦の作とするならかなり早い時期のものですが・・・

最期に
051
長谷川等伯の墓
ライバル狩野永徳の墓とは歩いて数分の場所にあります。


1802 妙覺寺 【第52回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開】

2018-04-22 | 探訪
京都
006_001
妙覺寺
今回は【第52回 京の冬の旅  非公開文化財特別公開】での来訪です
010
大門
豊臣秀吉が建てた聚楽第の裏門と伝えられる
016
法姿園
本堂前にある庭園
012
拝見した寺宝は
斎藤道三遺言状
弘治二年4月十九日付、子息で妙覺寺十九世の日饒上人宛。別名「国譲り状」と呼ばれており織田信長に美濃一国を譲り渡す事が記されている。
大涅槃図
狩野元信筆と伝わる幅約4.6m、高さ約5.9mの巨大なもの。

002_001
その狩野元信と一族のお墓もあります
004
中央が狩野元信の墓
007
左から三番目は狩野永徳の墓

次回はその狩野永徳のライバルの墓へ

1802 京都国立博物館 豪商の蔵─美しい暮らしの遺産─

2018-04-18 | 探訪
京都
032
京都国立博物館
031
特別企画 貝塚廣海家コレクション受贈記念 豪商の蔵─美しい暮らしの遺産─
期間:2月3日(土) ~ 3月18日(日)
kura
一重切竹花入 銘 三井寺 千宗旦作
ずんぐりとした形で裾広がりの花入。裏面に宗旦が「」と直書している。
三井寺は園城寺の別名である事から利休の一重切花入を宗旦が意識して名付けたと思われるが、花入自体は似ていない。
竹茶杓 銘 一声 千宗旦作
折撓、蓮弁形の茶杓。節上に斑文が見られる。
筒には「一声 不審」と宗旦が記している。
和歌懐紙 三条西実隆筆
ある春に「雨後花」を題として詠まれた和歌。権中納言とあり実隆がその任にあった文明12年(1480)~延徳元年(1489)に詠まれた事が分かる。
ちなみにこの時期文明19年(1487)4月に宗祇より古今伝授を受け始めている。

この他、豊臣秀吉消息や一入の黒楽茶碗「数寄太郎」、若冲の筍図などなど。
廣海家は大阪府貝塚市の旧商家だそうで、今回はそのコレクションが京博に寄贈された記念に開催された企画。貴重なものが拝見出来ました。

1802 2月のトーハク

2018-04-15 | 探訪
161
今回も東京国立博物館
249
色絵月梅図茶壺 仁清作
407-1
赤織部沓形茶碗
354
竹花入 金森宗和作
334
賢愚経(大聖武)
国宝。
410
一行書「窓外白雲深」 玉室宗珀筆
422
一行書「沙泉帯草堂」 石川丈山筆
432
二家法書  豊蔵坊信海・孝雄筆
426
猿猴図 狩野山雪筆
429
尾長鳥図 狩野探幽筆


1802 東京国立博物館 刀剣鑑賞の歴史

2018-04-11 | 探訪
上野
160-1
東京国立博物館

刀剣鑑賞の歴史
期間:2017年12月5日(火) ~ 2018年2月25日(日)
266
短刀 左安吉(名物 一柳安吉)
一柳直盛所持、加賀藩主前田家伝来。
281
刀  長船光忠(金象嵌銘 本阿(花押) 光忠)
徳川将軍家伝来。
293
刀 郷義弘 
紀州徳川家伝来。
298
刀 相州貞宗(名物 亀甲貞宗)
国宝。松平直政所持、盛岡藩主南部家、尾張徳川家、徳川将軍家伝来。
311
刀  相州正宗(金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押))
国宝。城和泉守昌茂所持、弘前藩主津軽家伝来。
323
短刀 相州行光
国宝。加賀藩主前田家伝来。

その他の刀剣展示より
172
太刀 古備前包平(名物 大包平)
国宝。池田輝政所持、岡山藩主池田家伝来。
178
短刀 粟田口吉光(名物 岡山藤四郎)
伝来は前田利家、豊臣秀吉、小早川秀秋、徳川家康、尾張徳川家。
189
太刀 長船長光(号 大般若長光)
国宝。伝来は足利義輝、織田信長、徳川家康、奥平信昌、松平忠明。
204
刀 伝相州正宗(名物 籠手切正宗)
伝来は朝倉義景、織田信長、前田利常。
376
朱漆金蛭巻大小
豊臣秀吉所持。

刀剣三昧でした

1802 MOA美術館 所蔵 名品展 尾形光琳 国宝「紅白梅図屏風」

2018-04-08 | 探訪
熱海
031_001
MOA美術館
033
所蔵 名品展 尾形光琳 国宝「紅白梅図屏風」
期間:1月26日(金)~3月13日(火)
052-1
紅白梅図屏風 尾形光琳作
国宝。弘前藩主津軽家伝来
088
手鑑 「翰墨城」
国宝。益田鈍翁旧蔵
155
色絵藤花文茶壺 仁清作
国宝。丸亀藩・京極家伝来
147
樵夫蒔絵硯箱 伝本阿弥光悦作
136
蝶蒔絵八角小箱
小堀遠州所持
039
佐竹本三十六歌仙切 平兼盛像
秋田藩主・佐竹家伝来
114-1
寸松庵色紙 伝紀貫之筆
佐久間将監真勝所蔵
120-1
本阿弥切 伝小野道風筆
本阿弥光悦所蔵
124
石山切 藤原定信筆
西本願寺伝来


1802 三嶋大社 宝物館

2018-04-04 | 探訪
今回も三島
006
三嶋大社
中世伊豆国の一宮であり、頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬が篤かった。
020
源頼朝・北条政子 腰掛石
「治承4年(1180年)5月平家追討の心願を込めて百日の日参をした折、腰を掛けて休息した」
026
宝物館
太刀 銘 平安城藤原則定作之他
江戸時代初期、山城の刀工・則定の作。
寛永十四年(1637)二月、将軍・徳川家光により奉納された。
三島千句 宗祇作
文明三年(1471)宗祇は三島にて東常縁より古今和歌集の講釈を受けている。その頃常縁の子・竹一丸が風邪を患い、宗祇はその平癒を祈り三嶋明神に発句を捧げたところ快方に向かったので祈願成就のお礼に独吟千句を奉納した。この千句には関東を転戦していた東常縁の戦勝祈願の意味も込められていたとの説もある。
新三島千句(出陣千句) 宗長作
永正元年(1504)9月今川氏親と北条早雲は扇谷上杉朝良に加勢し武蔵国立河原にて山内上杉顕定・足利政氏連合軍と戦い勝利した。この千句連歌は今川氏親の戦勝報賽として宗長が独吟し三嶋明神に奉納されたもの。今川氏に仕える宗長の役割の一端が窺える。
宗長・宗碩両吟百韻連歌懐紙
大永二年(1522)八月宗長・宗碩により伊勢神宮奉納の千句連歌が詠まれた(伊勢千句)。これはその一部(第三百韻)で発句は宗碩。
伊勢千句は管領細川高国が一時都を追われ近江に逃亡、政権奪回を願い後に叶った事から伊勢神宮に千句連歌の奉納を思い立ち宗長に依頼、宗長も大徳寺真珠庵の傍らに住んでいた修行時代に高国の世話を受けていた事からそれを引き受けたもの。
高齢であった宗長は独吟を不安に思い同門の宗碩との両吟となった。ちなみに第一百韻の発句は細川高国、巻軸の発句(第十百韻)は三条西実隆の作。

この他にも後水尾院和歌懐紙、烏丸光広詠草、北条早雲判物など拝見できました。

1802 佐野美術館 上杉家の名刀と三十五腰

2018-04-01 | 探訪
静岡は三島
003
佐野美術館
002
特別展「上杉家の名刀と三十五腰」
期間:1月7日(日)~2月18日(日)
uesugi35
長巻 無銘 片山一文字
上杉神社蔵。刃長95.7cm。鎌倉時代、片山一文字派の作とされる。
関東管領山内上杉氏伝来。上杉憲政より謙信に引き継がれたもののひとつと考えられる。
太刀 銘 助宗 (謙信助宗)
松岬神社蔵。刃長77.2cm。鎌倉時代、備前福岡一文字派の刀工・助宗の作。
上杉謙信所用で、後に景勝に伝わったと思われる。
健全な太刀の多い上杉家蔵刀には珍しく研ぎ減っており、拵えには受け疵がある等実戦で使用した事を窺わせる。
短刀 銘 左 (弾正左文字)
刃長23.9cm。鎌倉時代、筑前の刀工・左文字の作。
慶長12年(1607)将軍・徳川秀忠より上杉景勝が賜った刀剣のひとつ。その後に、上杉鷹山が愛用した。

以下特別展示
太刀 銘 備州長船兼光/延文五年六月日 (三日月兼光)
刃長80.6cm。南北朝時代、備前長船の刀工・兼光の作。
「御重代三十五腰ノ内」「上杉景勝腰物目録」に挙げられる。

短刀 銘 行光 (名物 不動行光)
刃長25.5cm。鎌倉時代、相模の刀工・行光の作。
享保名物帳所載。織田信長所持で、酒席で気分が良くなると「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」と膝を叩いて歌ったという。信長自慢の刀剣が本刀、茶器なら大名物の九十九髪茄子茶入、家臣なら丹羽長秀という事らしい。
ある時信長が小姓たちに「(不動行光の)鞘の刻み目の数を当てた者に与える」と言ったところ森蘭丸のみ口を噤んで答えなかったので尋ねると、信長より預けられた際に数えて知っており「知っているのに知らないふりをして答えるのは嫌だった」と答えた。その正直さを賞して信長は本刀を蘭丸に与えている。
その後本能寺の変で焼身となり、何時の頃からか小倉藩小笠原家に伝来した。
異説では信長の子・信雄より小笠原忠真に渡ったとされる。

上杉家の名刀の数々に加えて信長所持の刀剣まで見れて良かったです。(あと甲冑もね)