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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1106 久能山東照宮

2011-07-25 | 探訪
今回は静岡です。静岡駅からバスに乗り換え移動します。
さらにケーブルカーではるばる来たのは


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久能山東照宮
2010年12月に国宝に指定されました。ご存知徳川家康が祀られています。
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神廟
徳川家康の遺骸が埋葬された場所に立っています。
1616年4月17日に亡くなった徳川家康は生前「遺骸は久能山に埋葬すること」と遺命を残しています。
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勘介井戸
武田の属城である久能山城時代の遺功だそう。ただし武田信玄の駿河進行時には山本勘介は亡くなっているので伝説なのでしょう。
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久能山東照宮博物館
徳川将軍家の伝来品を中心に約二千点を所蔵しています。

島左近所用 五十二間総覆輪筋兜
奈良の甲冑師の作とされる。三鍬形には実戦での損傷により欠けた部分がある。関ヶ原の戦いで戸川逵安が島左近を討ち取った際に得たもの。戸川家に伝来し明治時代に久能山東照宮に奉納された。島左近の貴重な遺品であるが、左近もまさか徳川家の総本山みたいなところに収められるとは思わなかっただろう。
徳川家康所用 白檀塗具足
金陀美具足の御召替具足として製作されたと思われる。頭形兜に仏胴とシンプルなのだが白檀塗の輝きが半端ない具足。金陀美具足は以前見ているので、いずれこちらも見たかったのだがようやく叶った。
徳川家光所用 角頭巾形兜
纓の後立を付けた角頭巾形の変わり兜。

ほとんど徳川将軍家の伝来品なのに最初に展示してあるのが島左近!ちょいと驚きやした

市内に戻って
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駿府城
徳川家康によって築かれた。巽櫓、東御門が復元されています。

んで、徳川家康の銅像・・・・なんで3つもあるかな・・・
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駿府公園内
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駅前の竹千代時代の銅像
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駅その2

1106 諏訪市博物館  「もののふのいでたち~諏訪の甲冑と武具~」

2011-07-24 | 探訪
屋代から次の目的地へ

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諏訪市博物館
諏訪大社上社の近くにあります。

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企画展「もののふのいでたち~諏訪の甲冑と武具~」
期間:4月16日(土)~6月26日(日) 
「関東に移封された諏訪頼水が諏訪に復帰してから410年を迎える本年、諏訪氏ゆかりの甲冑をはじめ、諏訪に残された戦国末から江戸時代にかけての甲冑や武具を多数展示します。」

武田勝頼所用 紅糸威最上胴丸
勝頼が富士山本宮浅間大社に奉納した胴丸。胸板に武田家紋である花菱紋の鋲が付いている。
この胴丸には元は兜が付いていたが現在は別所にあり見ることは出来ない。
諏訪頼忠所用 本小札紅糸威胴丸
諏訪上社の長である大祝諏方家に伝来した胴丸で奈良製とみられている。上記勝頼の胴丸と非常に似た鎧だそうで当時の武田家中の甲冑を知る好資料。なお諏訪頼忠所用としたが、子の頼水である可能性もあるそう。
矢島伝左衛門所用 陣羽織
1864年に水戸天狗党と高島・松本藩軍が戦った和田嶺合戦で胴丸具足と共に実際に着用したもの。緋色の羅紗地で背中には矢島家家紋「六文銭」が付く。伝来が不明なら「すわ真田か!」と思う一品。いや実際みてビビったよ(解説文を観てガックシきたのは内緒だ)
黒漆塗寿老頭形兜
七福神の一人である寿老人の頭を模した兜に金銅三鍬形の前立が付く。『変わり兜』の一種として展示されているこの兜だが実はそれ以上に興味深いもので、なんと武田信玄の有名な「諏訪法性の兜」として伝わったものだそう。ただし解説でも言及されていないし信憑性は低そう。
松平忠輝所用 鉄黒漆塗黒糸威頭形兜
前立に銀箔押しの繰半月、後立には銀箔押しの棒が7本ほど放射状に付いている。
徳川家の甲冑も色々観てきましたが、改易された忠輝のものも現存していたとは驚き。まだまだ私の知らないものが全国には色々あるんでしょうねぇ。
松平忠輝所用 陣羽織
背中に徳川家の葵紋が付く。裾には「うみゆかばみづくかばね やまゆかばくさむすかばね」の墨書きがあり、忠輝夫人で伊達政宗の娘である五郎八姫の筆とされています。

この他にも高島藩主の甲冑もあり、諏訪に縁の武具・武器を堪能しました。

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諏訪大社上社本宮
博物館の目の前にあります。てか普通はこちらがメインでしょうか。観光客も多いです。
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宝物殿
神社の祭事再興の具体的な指示を記した「信玄十一軸」なる巻物が展示されていました。後は国友の鉄砲とか。

1106 長野県立歴史館 「武士の家宝 かたりつがれた御家の由緒」

2011-07-23 | 探訪
今回からは長野。
JRで篠ノ井駅まで、そこからしなの鉄道に乗り換え屋代駅。

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長野県立歴史館
1994年の開館。「科野の里歴史公園」内にあります。

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春季展「武士の家宝 かたりつがれた御家の由緒」
期間:5月28日(土)~7月3日(日)
「初公開となる「依田家史料」を通して、江戸時代の武士の家宝の実体を紹介します。」

依田信蕃所用 金紙采配
徳川家康より拝領した采配。本能寺の変後に三河へ帰国途中の家康が信蕃に出陣を指示した書状と共に送ったとされる。

依田信蕃は元武田家家臣。織田信長により武田家が滅亡すると徳川家康の計らいで一時身を隠していたが、本能寺の変により織田軍が撤退し空白地帯となった旧武田領を巡る徳川・上杉・北条の争い(天正壬午の乱)では徳川方として挙兵。武田旧臣への調略や北条氏相手の戦いで功績をあげるが1583年に岩尾城攻略中に敵方の銃弾を受け死亡する。享年36歳

依田信蕃所用 金銀象眼短筒
砲身に雷神の絵が施されていている。真田昌幸を北条方から味方に引き入れた功により徳川家康より拝領。
徳川家康判物(天正十年)
徳川家康が依田信蕃に対し佐久・諏訪両郡を与えるとした知行宛行状。当時の家康は信濃での戦を有利に進めるために、信濃国衆に対しかなり破格の知行を約束している。
松平康真所用 剣形前立付筋兜
前立は三鍬形で中央に剣形を配す。徳川家康より康真が拝領の品。

松平康真は依田信蕃の次男。徳川家康より松平姓と「康」の字を賜る。1590年に兄松平康国が亡くなると家督を継ぎ上野藤岡城主となる。しかし1600年に小栗某を口論の末殺害する事件を起こし改易される。後に家康の次男である結城秀康の家臣となり加藤康寛を名乗る。子孫は福井藩家老芦田家。

芦田(依田)信守所用 猩々毛束
武田信玄より信守が拝領した唐の頭(深紅色)。信守は依田信蕃の父。武田信玄の家臣として各地を転戦し最後は遠江二俣城で没している。
北条氏直所用 黒漆笛(一節切)
北条氏直の所持品が芦田(依田)家に伝来したのかは不明だそう。北条家の遺品は少なく、更に氏直となると稀ではないでしょうか。

天正壬午の乱の書籍を最近読んで依田信蕃二興味を持った私には実にタイムリーな企画。天正壬午の乱で一瞬の光を放った信蕃の姿を確認できたような気がします。

それでは屋代から次の場所へ。

1105 姫路文学館 特別展「黒田官兵衛の魅力」

2011-07-22 | 探訪
姫路に戻ってきました。

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姫路文学館
1991年開館。
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開館20周年記念特別展「黒田官兵衛の魅力」
期間:4月22日(金)~6月12日(日)
「秀吉の天下取りを支えた軍師であり、智謀の人と称せられる戦国武将黒田官兵衛に関連する歴史資料と文学作品を紹介する展覧会」

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如水居士像
黒田孝高の死後ほどなくして製作された肖像画。春屋宗園の賛がある。
黒田孝高所用 紺糸威丸胴具足
古頭形兜が付く。
黒田孝高所用 緋羅紗洋套
朱色のマントに黒田家紋「石餅」と「藤巴」が縫い付けられている。
黒田孝高所用 金梨子地藤巴紋散蒔絵鞘糸巻太刀拵
孝高が足利義昭より拝領の太刀「菊一文字」の太刀拵。
一の谷形兜
竹中半兵衛所用の写しで竹中家の親類の家に伝来した兜。半兵衛に命を助けられた事のある黒田長政も一の谷形兜を愛用した。
黒田一成所用 荒木紋仏胴具足
胴に蔦紋が付く。黒田一成が荒木村重より拝領の品。一成の父である加藤重徳が元荒木村重の家臣であった縁から貰ったものでしょうか。
一成は黒田二十四騎に数えられる武将。
栗山利安所用 兜
吹返に丸に三柏紋が入る。
栗山利安も黒田一成同様に黒田二十四騎や黒田八虎に数えられる武将。ちなみに利安の子が黒田騒動で有名な栗山大膳こと栗山利章で。利章が盛岡藩預かりとなった時に持ってた黒田孝高所用「銀白檀塗合子形兜」は孝高が栗山利安に与えた物。

また通常の展示の他に「官兵衛をえがく」と題して黒田官兵衛を題材とした文学作品を紹介しています。

展示の規模は2008年福岡市博物館での「黒田長政と二十四騎、黒田武士の世界」と比べると酷ですが、文学作品を同時に紹介するなど工夫をしており、興味深い展示会でした。


時間があったので姫路城にも行ってきました。

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と言っても現在は工事中でこんな感じ。

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工事の様子です大屋根です。
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最上層(5層部分)です。
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それではこのへんで。

1105 龍野

2011-07-08 | 探訪
姫路より電車で約20分、本竜野駅に到着。

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龍野城
戦国時代に赤松氏が築城。後に羽柴秀吉の属城となる。江戸時代になると次々と城主が変わるが1672年に脇坂安政が入城以後明治まで脇坂氏が治めた。
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本丸御殿
1979年再建。
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龍野歴史文化資料館

脇坂安治所用 茶糸威革包二枚胴具足
葵紋の金具がつく。徳川家康より拝領と伝わる。
脇坂安治所用 十文字槍
賤ヶ岳の戦いで安治が使用したと伝わる。
脇坂安治は賤ヶ岳の七本槍のひとり。
十二間筋兜
金箔押小篠籠手

龍野神社に納められた兜と籠手。実際は胴も存在しており湊川神社にある楠木正成所用の段威腹巻がそれである。別々の神社に分けて奉納したのは何故なんでしょうかねぇ。
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龍野神社
祭神は龍野藩脇坂氏の家祖・脇坂安治。

11GW 厳島神社 毛利博物館

2011-07-04 | 探訪
九州の帰りに2ヵ所ほど寄ってきました。


厳島神社
3回目となる宮島。しかし今回は今までと様子が違います。

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水がないんです。どうやら干潮のときだったらしく、今まで満潮時だったので新鮮。

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鳥居の下までいけます。

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厳島神社宝物館
ここも3回目ですが・・・・毎度展示物が変わり映えしない・・・色々所蔵しているのにねぇ。

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神社宝物収蔵庫 春の名品展
期間:4月23日(土)~5月22日(日)
蔦蒔絵唐櫃
国宝。1602年に福島正則が平家 納経を修理した際にこの唐櫃に納めて奉納したもの。
大内義隆所用 藍韋肩赤威甲冑
1542年に義隆が奉納したもので奈良製の甲冑。兜は六十四間総覆輪筋兜で鍬形の前立。胴は龍文染韋包。
名門大内家らしい堂々とした一領。
大内義隆が家臣である陶晴賢に討たれたのは1551年であり甲冑を奉納した9年後となる。

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宮尾城跡
厳島合戦の舞台となった。陶晴賢を誘き出すために要害山に築かれたもので、誘き出された晴賢は毛利軍に攻められ自刃している。

次は防府。

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毛利邸

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毛利博物館 企画展 端午-お殿さまの最新モード-
期間:4月7日(木)~5月29日(日)
毛利秀就所用 金小札紅白糸威胴丸
兜の側面に朝顔が描かれている事から「朝顔小具足」ともよばれる。1599年に大坂城に登城した秀就が豊臣秀頼より与えられた童具足。
毛利秀就所用 緋羅紗丸合羽
鮮やかな緋色の生地を円形に裁断・縫製した非常にユニークな形状の陣羽織。

11GW 飫肥

2011-07-03 | 探訪
鹿児島の次はここ


飫肥城

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飫肥城歴史資料館
昭和53年に開館。飫肥藩ゆかりの歴史資料を展示。

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伊東祐兵所用 甲冑
伊東祐兵は初代飫肥藩主であり「伊東氏中興の祖」とよばれている。
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山田匡得所用 甲冑
大友宗麟より与えられたそう。
山田匡得は伊東氏家臣で島津氏と戦った人物だが一時期、大友氏の客将となっていたらしくその時に賜ったものでしょうか。

11GW 鹿児島市内をグルッとね

2011-07-02 | 探訪
鹿児島市内に戻って


照国神社

幕末の島津一族の銅像
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島津斉彬
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島津忠義
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島津久光
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鹿児島城(鶴丸城)
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鹿児島県歴史資料センター黎明館
鹿児島城跡内にあります。
島津家久所用 梨子地丸十字紋散糸巻太刀拵
十字紋と桐紋を散らした豪奢な品。
島津豊久所用 木杯
豊久が朝鮮に出兵した際に持参したもの。

ここの展示は幕末維新が中心のようで戦国はあんまりって感じです。戦国島津氏関係の企画展もかなり前に行われたきりみたいですし・・・

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天璋院(篤姫)
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小松帯刀
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西郷隆盛
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大久保利通

ちなみに西郷・大久保と共に維新三傑とよばれた桂の銅像が京都にあります。

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桂小五郎(木戸孝允)

島津義弘の甲冑

2011-07-01 | 探訪
伊集院駅前には1体の騎馬武者の銅像があります。


島津義弘像
甲冑姿です。関ヶ原の戦の際の姿をイメージしたものだそう。

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兜には鍬形と龍の前立。
采配を振り上げる凛々しい姿。

次は開聞駅から
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牧聞神社
島津義弘により社殿が再建されている。

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宝物館
重文の松梅蒔絵櫛箱(玉手箱)や島津家関係の古文書等の展示があります。
島津義弘所用 甲冑
島津義弘が奉納したと伝わる兜や胴が展示してありました。が状態はあまりよくない感じです