今回は埼玉の川越

川越市立博物館

小堀遠州と川越藩主
期間:10月10日(土)~11月15日(日)

小堀遠州像
大徳寺孤篷庵蔵。狩野探幽筆とされ、朱色の狩衣姿の寿像。賛は春屋宗園なのだが、これが問題。賛が記された慶長14年(1609)遠州は31歳であり、描かれた老人とはかけ離れている。 それとも遠州は老けていたのかw
小堀正次像
大徳寺孤篷庵蔵。黒の頭巾に黒の羽織姿の肖像画で、遠州が追善供養の為描かせた。賛は江月宗玩。
小堀正次は遠州の父。はじめ浅井家に仕えていたが、後に豊臣秀長に仕えた。
桜ちるの文 藤原定家筆
藤原定家筆の十五番歌合にある紀貫之「さくらちる~」が記されている事から「桜ちるの文」と呼ばれている。
寛永十三年5月21日品川御殿における徳川家光への献茶の際、御茶屋の床に掛けられた。
油滴天目茶碗 添 芙蓉台
上記献茶の際に水指棚に飾られた建盞の茶碗と堆朱天目台。遠州所持。

川越市立博物館

小堀遠州と川越藩主
期間:10月10日(土)~11月15日(日)

小堀遠州像
大徳寺孤篷庵蔵。狩野探幽筆とされ、朱色の狩衣姿の寿像。賛は春屋宗園なのだが、これが問題。賛が記された慶長14年(1609)遠州は31歳であり、描かれた老人とはかけ離れている。 それとも遠州は老けていたのかw
小堀正次像
大徳寺孤篷庵蔵。黒の頭巾に黒の羽織姿の肖像画で、遠州が追善供養の為描かせた。賛は江月宗玩。
小堀正次は遠州の父。はじめ浅井家に仕えていたが、後に豊臣秀長に仕えた。
桜ちるの文 藤原定家筆
藤原定家筆の十五番歌合にある紀貫之「さくらちる~」が記されている事から「桜ちるの文」と呼ばれている。
寛永十三年5月21日品川御殿における徳川家光への献茶の際、御茶屋の床に掛けられた。
油滴天目茶碗 添 芙蓉台
上記献茶の際に水指棚に飾られた建盞の茶碗と堆朱天目台。遠州所持。