大分は佐伯

佐伯市歴史資料館
2015年5月1日に開館したばかりの新施設

毛利高政所用 萌黄糸素懸威金伊予札胴丸
兜は金箔押の桃形で右側が大きく陥没している。これは文禄・慶長の役で負傷した時に損傷したと伝わる。
胴丸も全身金箔押で、前田利家所用の胴丸に似た形式。惜しむらくは損傷の為に前部と後部に分離している事。
毛利高政は信長・秀吉に仕えた武将。元は森姓を称していたが、本能寺の変後に羽柴秀吉が毛利輝元と和睦した際、高政は兄・重政と共に毛利方の人質となったのが縁で毛利姓に変更している。
関ヶ原の戦いの後に佐伯藩主となり佐伯城を築城しています。
毛利高政所用 大鉄砲 閻魔王
慶長の役で南原城を攻撃した際に使用したと伝わる。
毛利高政は津田監物を流祖とする津田流の砲術を学び後に伊勢守流を創始している鉄砲の名手。
毛利高政所用 大鉄砲 四海波
大坂夏の陣で備前島よりこの銃で大坂城の瓦を破壊したと伝わる。
毛利高政が鉄砲の名手であった事は有名だった様で仙台藩2代藩主・伊達忠宗に請われ砲術を伝授したと伝わります。
さてさて、そんな毛利高政が築城した佐伯城に登城したいと思います。

三の丸 櫓門

本丸 天守台
高政の時代には三重の天守があったとされています。

本丸と二の丸を繋ぐ廊下橋
佐伯藩の石高は二万石ですが、中々に立派なお城でした。

佐伯市歴史資料館
2015年5月1日に開館したばかりの新施設

毛利高政所用 萌黄糸素懸威金伊予札胴丸
兜は金箔押の桃形で右側が大きく陥没している。これは文禄・慶長の役で負傷した時に損傷したと伝わる。
胴丸も全身金箔押で、前田利家所用の胴丸に似た形式。惜しむらくは損傷の為に前部と後部に分離している事。
毛利高政は信長・秀吉に仕えた武将。元は森姓を称していたが、本能寺の変後に羽柴秀吉が毛利輝元と和睦した際、高政は兄・重政と共に毛利方の人質となったのが縁で毛利姓に変更している。
関ヶ原の戦いの後に佐伯藩主となり佐伯城を築城しています。
毛利高政所用 大鉄砲 閻魔王
慶長の役で南原城を攻撃した際に使用したと伝わる。
毛利高政は津田監物を流祖とする津田流の砲術を学び後に伊勢守流を創始している鉄砲の名手。
毛利高政所用 大鉄砲 四海波
大坂夏の陣で備前島よりこの銃で大坂城の瓦を破壊したと伝わる。
毛利高政が鉄砲の名手であった事は有名だった様で仙台藩2代藩主・伊達忠宗に請われ砲術を伝授したと伝わります。
さてさて、そんな毛利高政が築城した佐伯城に登城したいと思います。

三の丸 櫓門

本丸 天守台
高政の時代には三重の天守があったとされています。

本丸と二の丸を繋ぐ廊下橋
佐伯藩の石高は二万石ですが、中々に立派なお城でした。