赤穂
2012-02-12 | 探訪
今回は「忠臣蔵」、浅野内匠頭、赤穂四十七士で有名な赤穂市にやってきました。

赤穂城
1645年浅野長直が笠間より転封。甲州流軍学者の近藤正純が縄張りを担当し築城が開始、山鹿素行もアドバイスを行なったそうです。

大石神社
赤穂城三の丸にあります。

義士宝物殿・別館
赤穂義士の遺品を展示している施設。堀部安兵衛が討ち入りで使用した鎖頭巾鎖襦袢や大石主税が浅野長矩(内匠頭)より拝領した短刀等が展示してありました。
そしてそして別館。実は今回のメインはこちらです。
浅野家が改易後、赤穂には永井直敬が入りますが5年ほどで飯山へ転封。代わって森長直が赤穂を治めます。
森家と云えば戦国時代織田信長に仕えた森可成や、その子供達「鬼武蔵」こと長可や信長の小姓だった蘭丸・坊丸・力丸そして近世大名として生き残った忠政がいます。
別館には、この森家の武具が展示されているのです。

森可成所用 金三団子馬印
金箔押しの三団子の上に籠が載る非常にユニークな形状。別名「団子三兄弟(ウソ)」
森可成所用 伊予札黒糸威二枚胴具足
頭形兜には銀箔押の長大な大釘頭立。皺韋の胴、佩楯には森家家紋の鶴丸がつく。
森長可所用 黒糸威伊予札二枚胴
長可が長久手合戦で討死した際に着用していた丸胴。兜は首級と共に持ち去られた為、別名「首なしの鎧」とよばれる。
森忠政所用 錆地塗菱綴二枚胴具足
忠政が名護屋城へ参陣した際に着用したと伝わる。兜の前立は欠失している。籠手と佩楯には森家家紋の鶴丸が配されている。

大石邸長屋門

花岳寺
浅野家の菩提寺。こちらにも宝物館があり浅野家や義士関連の品が展示してありました。
赤穂といえば浅野家や赤穂義士な訳ですが、浅野家が赤穂を治めていたのは約50年。森家は約150年もの長い間赤穂にいたのです。なのに全くと言って良いほど知られていません。たまには森家の事を思い出して、大石神社に寄った際は森家の甲冑を観るのも良いのではないでしょうか。

赤穂城
1645年浅野長直が笠間より転封。甲州流軍学者の近藤正純が縄張りを担当し築城が開始、山鹿素行もアドバイスを行なったそうです。

大石神社
赤穂城三の丸にあります。

義士宝物殿・別館
赤穂義士の遺品を展示している施設。堀部安兵衛が討ち入りで使用した鎖頭巾鎖襦袢や大石主税が浅野長矩(内匠頭)より拝領した短刀等が展示してありました。
そしてそして別館。実は今回のメインはこちらです。
浅野家が改易後、赤穂には永井直敬が入りますが5年ほどで飯山へ転封。代わって森長直が赤穂を治めます。
森家と云えば戦国時代織田信長に仕えた森可成や、その子供達「鬼武蔵」こと長可や信長の小姓だった蘭丸・坊丸・力丸そして近世大名として生き残った忠政がいます。
別館には、この森家の武具が展示されているのです。

森可成所用 金三団子馬印
金箔押しの三団子の上に籠が載る非常にユニークな形状。別名「団子三兄弟(ウソ)」
森可成所用 伊予札黒糸威二枚胴具足
頭形兜には銀箔押の長大な大釘頭立。皺韋の胴、佩楯には森家家紋の鶴丸がつく。
森長可所用 黒糸威伊予札二枚胴
長可が長久手合戦で討死した際に着用していた丸胴。兜は首級と共に持ち去られた為、別名「首なしの鎧」とよばれる。
森忠政所用 錆地塗菱綴二枚胴具足
忠政が名護屋城へ参陣した際に着用したと伝わる。兜の前立は欠失している。籠手と佩楯には森家家紋の鶴丸が配されている。

大石邸長屋門

花岳寺
浅野家の菩提寺。こちらにも宝物館があり浅野家や義士関連の品が展示してありました。
赤穂といえば浅野家や赤穂義士な訳ですが、浅野家が赤穂を治めていたのは約50年。森家は約150年もの長い間赤穂にいたのです。なのに全くと言って良いほど知られていません。たまには森家の事を思い出して、大石神社に寄った際は森家の甲冑を観るのも良いのではないでしょうか。