京都

高台寺 掌美術館

秋の特別展 九州に残った豊臣氏
期間:10月24日(金)~12月14日(日)
「木下延俊公は豊臣秀吉の妻・北政所の兄である木下家定公の三男で、豊臣氏の武将として生涯を送った人物です。(中略)また、北政所は出家して高台院となり京都で暮らしましたが、彼女の甥にあたる木下家定公の息子たちも京都で繰り返し交流を行なっています。(中略)京都は江戸時代初期の豊臣一族にとって、北政所や亡き秀吉公とのつながりを再確認する重要な地となっていた、といえます。今回の展覧会では、豊臣氏を支えた北政所ゆかりの高台寺において、江戸時代の日出藩主木下延俊公や豊臣氏の親族についてご紹介します。」(公式より)

慶長十八年之日記
慶長十八(1613)年1年間の木下延俊の行動を側近2人が記録したもの。
この年の延俊は、正月に江戸にて将軍・徳川秀忠に年賀の挨拶を行い、幕府の重鎮・大久保忠隣、本多正信、土井利勝らのもとを訪れているし、他にも古田織部、福島正則とも会っていた。2月には駿府の大御所・徳川家康、次に京都に4ヶ月余り滞在し生母・雲照院や叔母の高台院といった親類や茶人・千少庵、小鼓の観世道叱等と交流を重ねている。その後、大坂で豊臣秀頼に挨拶し7月5日日出に到着している。
天竺菩提樹数珠
菩提樹の実一つ一つに五体の羅漢が彫刻されている数珠。
豊臣秀吉が正室・北政所の生母・朝日の方に贈った品。朝日の方が亡くなった後、木下延俊が菩提寺の松屋寺(大分県日出町)に納めた。
お次は掌美術館のほど近く

圓徳院

秀吉好み手水鉢
秀吉が世話になった西尾家に贈ったもの。後に西尾家から圓徳院に寄贈された。

北庭
伏見城にあった北政所化粧御殿の前庭。後に小堀遠州が手を加えている
さて今回、 圓徳院を訪れたのは

秋の特別拝観「織部の武家茶~秀吉公、ねね様に捧げる~」
期間:10月24日(金)~12月14日(日)
こちらでは織部と秀吉の逸話より生まれた武家点前でお茶がいただけました。
茶掛はもちろん織部消息。六月十三日付の安養寺宛で明朝お礼に伺うといった内容。

高台寺 掌美術館

秋の特別展 九州に残った豊臣氏
期間:10月24日(金)~12月14日(日)
「木下延俊公は豊臣秀吉の妻・北政所の兄である木下家定公の三男で、豊臣氏の武将として生涯を送った人物です。(中略)また、北政所は出家して高台院となり京都で暮らしましたが、彼女の甥にあたる木下家定公の息子たちも京都で繰り返し交流を行なっています。(中略)京都は江戸時代初期の豊臣一族にとって、北政所や亡き秀吉公とのつながりを再確認する重要な地となっていた、といえます。今回の展覧会では、豊臣氏を支えた北政所ゆかりの高台寺において、江戸時代の日出藩主木下延俊公や豊臣氏の親族についてご紹介します。」(公式より)

慶長十八年之日記
慶長十八(1613)年1年間の木下延俊の行動を側近2人が記録したもの。
この年の延俊は、正月に江戸にて将軍・徳川秀忠に年賀の挨拶を行い、幕府の重鎮・大久保忠隣、本多正信、土井利勝らのもとを訪れているし、他にも古田織部、福島正則とも会っていた。2月には駿府の大御所・徳川家康、次に京都に4ヶ月余り滞在し生母・雲照院や叔母の高台院といった親類や茶人・千少庵、小鼓の観世道叱等と交流を重ねている。その後、大坂で豊臣秀頼に挨拶し7月5日日出に到着している。
天竺菩提樹数珠
菩提樹の実一つ一つに五体の羅漢が彫刻されている数珠。
豊臣秀吉が正室・北政所の生母・朝日の方に贈った品。朝日の方が亡くなった後、木下延俊が菩提寺の松屋寺(大分県日出町)に納めた。
お次は掌美術館のほど近く

圓徳院

秀吉好み手水鉢
秀吉が世話になった西尾家に贈ったもの。後に西尾家から圓徳院に寄贈された。

北庭
伏見城にあった北政所化粧御殿の前庭。後に小堀遠州が手を加えている
さて今回、 圓徳院を訪れたのは

秋の特別拝観「織部の武家茶~秀吉公、ねね様に捧げる~」
期間:10月24日(金)~12月14日(日)
こちらでは織部と秀吉の逸話より生まれた武家点前でお茶がいただけました。
茶掛はもちろん織部消息。六月十三日付の安養寺宛で明朝お礼に伺うといった内容。