京都は山崎

大山崎歴史資料館

企画展 千利休とその周辺
期間:10月21日(土)~11月26日(日)
2度拝見しました

宝積寺絵図
山崎にある寺院・宝積寺を描いた絵図。17世紀後半に描かれたとされる。
絵図の左側には、天正10年(1582)秀吉が宝積寺に「杉の庵」を構え茶席を設けたと記されている。
また絵図中左手には「利休」書かれた張り紙と屋敷の絵があり、ここに利休の山崎屋敷があった事が分かる。さらに下部には「妙喜庵」「かこひ 袖すり松」と張り紙があり、妙喜庵に囲い(茶室)が存在し、これが現在の待庵と思われる。
待庵は移築説が有力で、宝積寺や利休屋敷などさまざまな説があるようです。
千利休書状
正月十四日付、休庵宛。休庵なる人物が利休の所を訪ねたが、利休が多忙の為会えなかったようで今日の午後に時間が出来そうなので人を遣してほしいと述べている。当時の利休が多忙であった様子が窺える。
古田織部書状
浅野幸長宛。昨夕の茶会の礼状で、茶室を掃除された事に恐縮している。また文中には紀州藩家老で織部の門弟でもあった上田宗箇の名も見える。
浅野幸長も織部を師としており、宗箇を介して茶の湯について尋ねた「茶道長問織答抄」なる文書が現存する。
馬図 細川三斎筆
馬の背姿をさらりと描いた絵。武士の子である海北友松や剣豪・宮本武蔵も馬の絵を残しているが、武士にとって最も近しい動物であったのだろう。そして何故か背姿を描いている。
他には「土佐派絵画資料」より堺ゆかりの人物の肖像が多数出展されていました。
さてさて今回の企画展中呈茶が行われていました。
長野在住の方が作られた「待庵」の原寸大模型の中でお茶を飲む事が出来ます。

外観

躙口

内部

天井
模型とはいえなかなかの雰囲気でした。

大山崎歴史資料館

企画展 千利休とその周辺
期間:10月21日(土)~11月26日(日)
2度拝見しました

宝積寺絵図
山崎にある寺院・宝積寺を描いた絵図。17世紀後半に描かれたとされる。
絵図の左側には、天正10年(1582)秀吉が宝積寺に「杉の庵」を構え茶席を設けたと記されている。
また絵図中左手には「利休」書かれた張り紙と屋敷の絵があり、ここに利休の山崎屋敷があった事が分かる。さらに下部には「妙喜庵」「かこひ 袖すり松」と張り紙があり、妙喜庵に囲い(茶室)が存在し、これが現在の待庵と思われる。
待庵は移築説が有力で、宝積寺や利休屋敷などさまざまな説があるようです。
千利休書状
正月十四日付、休庵宛。休庵なる人物が利休の所を訪ねたが、利休が多忙の為会えなかったようで今日の午後に時間が出来そうなので人を遣してほしいと述べている。当時の利休が多忙であった様子が窺える。
古田織部書状
浅野幸長宛。昨夕の茶会の礼状で、茶室を掃除された事に恐縮している。また文中には紀州藩家老で織部の門弟でもあった上田宗箇の名も見える。
浅野幸長も織部を師としており、宗箇を介して茶の湯について尋ねた「茶道長問織答抄」なる文書が現存する。
馬図 細川三斎筆
馬の背姿をさらりと描いた絵。武士の子である海北友松や剣豪・宮本武蔵も馬の絵を残しているが、武士にとって最も近しい動物であったのだろう。そして何故か背姿を描いている。
他には「土佐派絵画資料」より堺ゆかりの人物の肖像が多数出展されていました。
さてさて今回の企画展中呈茶が行われていました。
長野在住の方が作られた「待庵」の原寸大模型の中でお茶を飲む事が出来ます。

外観

躙口

内部

天井
模型とはいえなかなかの雰囲気でした。