合気拳法 猿田会

新しく誕生した合気道の拳法
静岡県伊東市にて活動中

万象先生の足跡 その2

2011-08-19 21:22:13 | 一隅を照らす
一隅を照らす 第二節 万象先生の足跡 8ページ

(二) 武術への道

武術は少年期、父治之先生から吉田流弓術の手ほどきを受け、その修行は一生続くのであるが、これが万象先生の古流武術探究のきっかけとなった。

小学校に入って間もなく、さらに柔道に憧れ、毎朝父治之先生の枕もとに坐りこんで頼みに頼んだという。漸く許され、当時総曲輪にあった大日本武徳会富山支部柔道主任教授吉野伴治先生に師事する。大きい上級生や大人達ばかりが相手であったので投げられる毎日であったが、そのうち要領を体得、投げられようとする瞬間、相手の帯又は身体を支点として体を捌き、決して投げられることがない自信がつき、また、背負投を得意とし、小柄な身体とバネを生かし相当な猛者をも豪快に投げ飛ばし口惜しがらせた。

その後、県立富山中学校に進学した清水少年は、剣道を選び中川・古賀両師に学んだ。しかしながら、帰校後は引き続き、武徳会に通って柔道の修行を続けていた。大正九年八月主任教授の薦めにより、京都武徳殿において昇段試験を受け、柔道初段を允許された。当時、柔道初段は極めて栄誉な時代であり、新聞にニュースとして報道されたものである。

この間、大正八年徴兵検査で甲種合格、翌九年二月富山県に就職、十二月一年志願兵として金沢野砲兵連隊に入隊、同十年十一月予備役に編入陸軍伍長として除隊、再び県内内務部に復帰した。

少年期の清水少年は柔道の修行に専念しつつ、柔道というものに武術としての疑問を感じ初めていた。

○自分のような小兵の者でも鍛練によって誰からも投げられない方法がある。

○しかし、小兵の者が大兵の者を投げて勝つには技が限定される。

○当身技や関節技はあるにはあるが、これも制限されている。

○従って、柔道ではなんといっても大兵の者が有利である。

○武術というものは、身体の大小に拘らず、敵に勝つことを訓練する術ではなかったか。