合気拳法 猿田会

新しく誕生した合気道の拳法
静岡県伊東市にて活動中

万象先生の足跡 その1

2011-08-17 19:34:55 | 一隅を照らす
一隅を照らす 第二節 万象先生の足跡 7ページ

第二節 万象先生の足跡

一、略歴

(一) 生い立ち

万象清水敏之先生は、明治三十二年十二月十五日富山市総曲輪四十九番地富山県士族清水治之氏の次男として出生した。先生は初め「一空」と号し、後これを「万象」と改め、その生涯を武道の真髄を求めて日々これを鍛練、正に武藝百般を己の血肉とし、そのひたむきな情熱は若くして古流武術同志会を結成して富山藩に伝わる古流武術の維持発展を画しつつ、一方、空手道を中心にご子息矩之氏(現空道館館長)を初め多数の門弟を輩出し、武道に関する多大な精華を遺して、昭和五十四年五月二十日、その八十年に亘る多彩な生涯を閉じられた。

清水家は代々富山藩士として武をもって仕えた家柄である。父治之氏(氷岳と号す。)は、吉田流弓術免許皆傳の印可を受け富山藩伝来の吉田流宗家であったが、ほかに、篆刻(テンコク)・盆石(ボンセキ)・茶道・水墨画・漢詩・書道をよくする多藝の人であった。大手通り柳並木にある自宅を柳下堂と称し篆刻を家業とするかたわら、大日本武徳会富山支部弓術主任教授を勤め、また、その人柄と藝風を慕って集まる人々には乞われるままに盆石・水墨画・書道を教えていた。性淡白にして、名利を求めず、時勢におもねらず、飄々としてひとり雅境をいく氷岳先生の仕事場は訪れる人の絶え間がなかったという。万象清水は、その武術とともに多藝の家柄に生を享け、この氷岳先生の弓術の教えを手初めに、その藝風に育ち、その受継がれた精神が古流武術探究に対する生涯のバックボーンとなったのである。

「栴檀(センダン)は双葉(フタバ)より芳(カン)ばし」という格言があるが、万象先生は少年時代の遊びからして他の人と違っていた。当時、木の枝の股になったものにゴム紐をつけて小石を飛ばす「雀打ち」と呼ばれる遊び道具に凝り熱中した結果、いつの間にか名人藝に達し、壁に掛けた額縁の小豆粒を狙って百発百中であったという。また、五寸釘で手裏剣の真似ごとをしたのも少年時代の遊びの一つであった。

フワフワとカッチリ

2011-08-17 05:13:35 | 日記
前の記事に書いたように遊星歯車のように相手と自分と周囲とがカッチリ噛み合う感覚がある。

これは骨格のバランスで捉えた場合。

それと別に身体各部の筋肉の緊張弛緩の総体としてのフワフワとした感覚。

簡単(乱暴)に言うと重さのバランスと力のバランスを同時に感じている自分がいる。

勿論実際はそんなに単純ではないのかもしれないが・・・。

フワフワしていてなおかつカッチリしている感覚というのが有り得るというのが今の私の実感。