交流会で、何人かの人たちより立禅に関する質問を受けました。
腕の位置はどうとか、足の位置はどうとか・・・
実は、中国においても站椿は様々で、正に十人十色です。それぞれの指導者がそれぞれの主張をし、どれも道理があるようで困ってしまうことが多々ありました。
太気拳においては、最近いろいろな人より 『腕の位置は心臓の位置より高くしてはならず、それ以上に上げると血液の流れがスムーズでなくなる。』という話を耳にします。このことも道理がありそうですが、私個人の考えでは 『???』です。理由は、
1.私自身は、澤井先生からそのような話を聞いたことがないし、そのような指導も受けた記憶がない。
2.ある大先輩は、澤井先生より、『肩の位置まで挙げて練習するよう』指導されたとのことだった。(その方の腕は力は決して筋肉に頼った力ではなく、内面から出てくる強靭な力を持っていた。)
3.心臓の位置より高くしてはいけないのなら、手を高く上げる這の姿勢は一体どうなのか?組手はどうするのか?
4.なによりも、澤井先生の師である王向斎先生ご自身が、『手の高さは、上は眉の高さ迄、下はヘソの低さ迄の範囲で、』と言われている。
拳学研究会の考えは、『正しい形は無限に存在する、しかし間違った形も無限にある。』です。
我々の考える正しい立禅(站椿)とは、合理的な骨格構造(間架)と筋肉状態、即ち王向斎先生が提起された、『骨重筋霊』、『筋伸骨要縮』、『筋絡開展』、『六心相印』や『剛柔方圓』、『兜抱開合伸縮』など、更には『意(意識や感覚など)』など内面的な状態を以て判断しなければならないと考えます。故に正しい立禅を身につけることは大変な努力が必要であり、これらを身につけるには正に一生モノです。
当然ながら外面の形には、それなりの意味があり、異なる形(わずかな角度でも)には異なる目的、効果があります。また練習生の練習目的や、レベルにあわせ、調整する場合もあります。
立禅(站椿)は、練習時間の大半を割きます。それだけ重要なものであり、また相対練習などで力(各種の能力)が確認できた時の嬉しさも格別だと思います。
腕の位置はどうとか、足の位置はどうとか・・・
実は、中国においても站椿は様々で、正に十人十色です。それぞれの指導者がそれぞれの主張をし、どれも道理があるようで困ってしまうことが多々ありました。
太気拳においては、最近いろいろな人より 『腕の位置は心臓の位置より高くしてはならず、それ以上に上げると血液の流れがスムーズでなくなる。』という話を耳にします。このことも道理がありそうですが、私個人の考えでは 『???』です。理由は、
1.私自身は、澤井先生からそのような話を聞いたことがないし、そのような指導も受けた記憶がない。
2.ある大先輩は、澤井先生より、『肩の位置まで挙げて練習するよう』指導されたとのことだった。(その方の腕は力は決して筋肉に頼った力ではなく、内面から出てくる強靭な力を持っていた。)
3.心臓の位置より高くしてはいけないのなら、手を高く上げる這の姿勢は一体どうなのか?組手はどうするのか?
4.なによりも、澤井先生の師である王向斎先生ご自身が、『手の高さは、上は眉の高さ迄、下はヘソの低さ迄の範囲で、』と言われている。
拳学研究会の考えは、『正しい形は無限に存在する、しかし間違った形も無限にある。』です。
我々の考える正しい立禅(站椿)とは、合理的な骨格構造(間架)と筋肉状態、即ち王向斎先生が提起された、『骨重筋霊』、『筋伸骨要縮』、『筋絡開展』、『六心相印』や『剛柔方圓』、『兜抱開合伸縮』など、更には『意(意識や感覚など)』など内面的な状態を以て判断しなければならないと考えます。故に正しい立禅を身につけることは大変な努力が必要であり、これらを身につけるには正に一生モノです。
当然ながら外面の形には、それなりの意味があり、異なる形(わずかな角度でも)には異なる目的、効果があります。また練習生の練習目的や、レベルにあわせ、調整する場合もあります。
立禅(站椿)は、練習時間の大半を割きます。それだけ重要なものであり、また相対練習などで力(各種の能力)が確認できた時の嬉しさも格別だと思います。










