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外国人のための『みんなの日本語学校』

このブログでは学習者からの様々な日本語に関する質問をとりあげ、分かり安く解説をしました。

アフリカの月

2009年11月01日 | Weblog
日本語教室を立ち上げてまだ間のない6月、夏のように暑い日だった。1人の黒人が教室にやって来た。アフリカ人だ。そして、どこかで見たことがあると思った。それは日本テレビの『ホームレスになった元チャンピオン』という特別番組だった。偶然観たのだが、その主人公であるワルインゲ氏だった。ケニア共和国ナクル地方出身のボクサーでミュンヘンオリンピックの銀メダリストだ。75年に神林ジムからプロデビューして、75年に日本スーパーバンタム級王者となった。70年代を代表する名選手だ。ケニアで生活をしたことのある私には懐かしい出会いであった。
76年に2度、世界に挑戦したもののKO負けした。その後も数回試合をしたが左目の網膜剥離となり引退となった。番組ではホームレス状態から仕事を探していたワルインゲ氏が弁当屋に就職が決まり働いている映像で終わっていた。つまりハッピーエンドだったのだ。
 そのワルインゲ氏が日本語サークルに来るとは夢にも思っていなかった。私はスワヒリ語で挨拶をした。
「ハバリガーニ」(How are you ?)
ワルインゲ氏は唖然として私を見た。東京でスワヒリ語の挨拶をされて驚いたようだ。
「スワヒリ語は忘れた」とワルインゲ氏はうつむき加減に日本語で答えた。
「あなたの部族は何ですか」日本語で尋ねた。
「キクユ族です」
 私はナイロビで暮らしていた時の事が走馬灯のように蘇った。私にはケニア共和国にキクユ族の友人がたくさんいた。ケニアで一番多い部族がキクユ族でキクユ人はキクユ語を話す。日本で30年以上も日本語で生活をしていればスワヒリ語がすぐに出てこないのも当然だと思った。日本語が流暢なワルインゲ氏に用件を聞いた。
「漢字が習いたい」と言った。
そして履歴書をズボンのポケットから取り出した。シワくちゃだらけの用紙は修正液だらけだった。日本語で履歴書を書こうとした悪戦苦闘の様子がうかがえた。弁当屋の仕事は契約が切れて今は失業をしているらしい。
「バーナー ( 英語のSir、と同意語 ) 私が書いてあげます」
 履歴書は教室が終わってから書くことにして、まず彼自身の住所を書く練習をしてもらった。
 教室が終了して、国際機関で働く年輩のボランティアにワルインゲ氏の今後の就職先について相談をしたが、即座に難しいと首を横に振った。何とかして、ワルインゲ氏の就職先を見つけなければと思った。そしてワルインゲ氏に来週もまた来るようにと言って私たちは教室を後にした。
 あっと言う間に一週間が過ぎた。忙しくてワルインゲ氏の仕事を探している時間が無かった。まだ三日しか経っていない気分と、彼の就職先を見つける約束をした訳ではないが、何となく憂鬱な日を迎えた。
 教室でワルインゲ氏が来るのを待っていた。その時、携帯に彼から電話があった。ハローワークで紹介された職場が決まり今日は教室に行けないということだった。肩の荷が下りた。そして当分の間、彼とは会えないと思った。話したい事や聞きたい事が山ほど有った。私は再会出来ることを願った。一ヵ月後のある夕方、奇妙な電話が自宅にかかった。
「高橋さんですか?」
若い女性の声だった。
「そうです」
「こちら、 ○▲□※です」
早口でよく聞き取れなかった。
「え?」
「フィリップさんからコレクトコールがかかっています。よろしいでしょうか?」
「コ・レ・ク・ト・コール?」
コレクトコールのことは知っていたが実際に受けるのは初めてだった。
「誰からですって?」
「フィリップさんです」
ケニア共和国の国教はキリスト教なのでクリストファやアイザック、ジョセフ、フィリップといったキリスト教徒に因んだ名前が多い。私は数人の友人の顔を思い浮かべたが思い当たらない。
「どこからの電話ですか?」ケニア共和国からだとかなりの料金がかかる。
「03です」
「03?・・・東京都内ですか?」
「そうです」
私は思わず笑ってしまった。都内からコレクトコールしてくる外国人の顔が見てみたい。
「了解しました」
「では、お話し下さい」
「もしもし」
「▲○×※π◎□√※π◎×※▲○×」
どうやら日本語で話しているようだ。しかし料金を気にして急いで喋っていたのでよく聞き取れない。
「Calm down,and you'd better speak in English」
男はゆっくりと英語で話し始めた。とたんに電話の相手がワルインゲ氏だと気が付いた。今すぐに私と会いたいらしい。私は待ち合わせの場所を指定して、あわてて家を出ようとした。その時また電話が鳴った。
「タダイマのリョウキンは100.50.エン.です」
音声ロームの無表情な声が聞こえた。
 
 もう街灯が点きはじめた。秋の夕暮れは寂しさと不安を感じる。問題を抱えている人には尚更身に染みるものだ。まずワルインゲ氏と煌煌と光の漏れるレストランに入った。ワルインゲ氏の食欲は旺盛だった。食事の後、コーヒーを飲みながら、今日まで連絡が無かったことに不満を述べ、用件を聞いた。
「仕事で忙しくて連絡が取れなかったよ。履歴書のコピーが有れば欲しい」
私は履歴書のコピーを渡した。
「仕事はどうしたのですか」
「建設現場で働いていたが、工事が終了したので辞めたよ」
しかし彼の話には不自然さを感じた。工事終了前に新しい作業員をハローワークで募集するのだろうか。更に詳しく聞いてみた。ワルインゲ氏は漢字が読めないので仕事がうまく行かなかったと言い訳をした。建設現場では作業に入る前、30分程度の打ち合わせがある。安全対策と注意事項の確認のためだ。時には書面で当日の注意事項や作業手順が手渡される。もちろん彼には読めない。作業中に危ない行動を取ったり作業手順を間違えたりすると作業員や監督から怒号が飛ぶ。見習の作業員は怒鳴られながら仕事を覚えて行くものなのだ。ボクシングで鍛えた体力と精神力のあるワルインゲ氏なら、怒号くらいで根を上げたりしないはずだ。根を上げたのはワルインゲ氏ではなく現場監督や作業員だったのかも知れない。マラウイ共和国やケニア共和国でアフリカ人と仕事をしたことのある私には監督の気持ちも良く分かる。仕事のペースが日本人とは合わないのだ。優劣の問題ではない。

過ぎた事を言ってもしょうがない。これからの対策を考えなければならない。
「運転免許証をお持ちですか」
「ああ、よく聞かれるが持っていない」
「運転免許証さえあれば仕事は何とかなるのだが」
「取ろうと思ったことはあるが、日本は費用がとても高いね」
「ケニアに帰国して運転免許証を取る方法が一番早いし格安だよ」
「ああ、ケニヤなら安くて簡単に取れるよ」
「ケニアで国際運転免許証に変え日本で日本の運転免許証に切り替えればいいのだよ」
「ああ、なるほど。しかしケニアに帰る費用が無いよ」
私はタバコに火を点けてしばらく考えた。
「車の運転は出来るのですか」
「車の運転はしたことがないよ」
「今まで一度も運転をしたことが無いのですか」
「一度もない」
帰国費用を出してあげてもよいと思ったが、60歳の年齢で運転の初心者が東京都内を走るのは無謀に近い。運転経験の長い私でさえ初めて東京都内を運転したときは怖かった。
「ようですか。困ったね・・・。では新聞の配達は出来ますか」
ワルインゲ氏は首を大きく横に振った。
「だめ、だめ、漢字が読めないから、だめだよ」
経験があるらしい。表札が読めないのでかなりの誤配をしたらしい。
漢字が習いたいというのもそういう理由に因るものだと分かった。
「元プロの有名なボクサーならボクシングジムでトレーナーとして雇ってくれないのですか」
「今は世界チャンピオンがジムにいないのでどこも経営が苦しいよ」
「なるほど」
「トレーナーとして雇われても月に4~5万円にしかならないよ」
「そんなに安いのですか。それでは食べていけないね」
「ああ、だから、コーチをしながら他にいろいろ仕事をしないとやっていけなかったよ」
「あなたはケニヤで英雄的な人ですよ。ナイロビに仕事はないのですか」
「難しいね。まだ日本は可能性があるよ」ケニアの失業率は60%とも70%ともいわれている。
「それは、大変だね。これからどうするつもりですか」
「明日、清掃員の募集をしている会社に面接に行くよ」
ワルインゲ氏は毎日徒歩で、池袋、新宿、王子、のハローワークへ仕事を探しに出かけている。
「じゃ、幸運を祈ります。就職が決まったらまた連絡を下さい。」
「ああ、そうするよ。今日はディナーをありがとう」
「カリブ」(you are welcome )

 その後、数日が過ぎたがまだ彼の就職が決まっていない。
早く就職先を見つけなければと私は焦った。私がハローワークに行っても仕方がない。コンビ二に置いてある就職情報誌は若者用でどの職場も適当だとは思わない。スポーツ新聞を買って求人欄を見てみた。求人の殆どが土木作業員、タクシーの乗務員、新聞配達員、警備員などだった。一番可能性のある職業が土木作業員だが年齢がどこの建設会社も50歳までだった。運転免許があれば55歳まで募集しているが年齢制限の壁は厚い。
 私はスポーツ新聞を毎日買って求人欄を見た。今日の新聞にはチラシ配布をする仕事が三件載っていた。年齢不問で出勤時間も自由だった。賃金も一日四千円から一万円になる。これならワルインゲ氏にも出来ると思った。すぐに電話を掛けた。しかし、なぜかダイヤルを回すとき緊張した。この感覚には覚えがある。物事がうまくいかない時、こうした緊張感が生まれるのだった。
 中年の女性が電話に出た。受話器の向こうから微かに輪転印刷機の音が聞こえていた。チラシ配布の仕事は小さな印刷所が印刷から配布まで請け負うのだろう。
「もしもし、新聞の求人欄を見ました。まだ募集されていますか」
「はい、募集しています。年齢はおいくつですか」
「60歳です。」
「健康の方は大丈夫ですか」
「はい、若いころボクシングをしていましたので丈夫です」
「では面接に来てください」
「はい。あー、実は私ではなくアフリカ人ですが」
「プー、プー、プー、プー」
電話がいきなり切れた。いたずら電話と思われたらしい。
2件目に電話をした。外国人は雇わないと断られた。
3件目に電話をした。若い女性が電話に出た。やはり外国人は雇わないと断られた。しかし私は食い下がった。ここで断られると後が無い。
「人物は私が保証します。それでもだめでしょうか」
私は自分の働いている会社の名前を言って再度お願いした。私の職場を知れば無視できないはずだ。
「ちょっとお待ち下さい」
若い女性は誰かを呼びに行った。しばらく待たされた。
「もしもし、お電話変わりました」
初老の男性が出た。経営者だと思った。穏やかな声だった。しかし外国人は雇えないと言う。私は何故雇えないのか理由を教えて欲しいとお願いした。
「以前は外国人を雇ったこともあります。しかし人手が足りないので雇えないのです」
「え、それはどうしてですか」
「雇った外国人が警察からよく職務質問をされ、その度に私が警察署に出向かなければならないのです。その時間が惜しいのです」
私は全てを理解した。その状況が目の前に浮かんだ。チラシの入った大きな袋を下げた外国人がアパートやマンションの周囲をウロウロしていると、住人が警察に通報をするのだ。また【チラシの配布お断り】や【無断立ち入は警察に通報する】と書いた張り紙がある所も多い。張り紙が読めない外国人は不審者なのだった。私は丁重にお礼を言って電話を切った。

 新聞の求人欄には以前はよく見た製造工場で働く工員の募集が無い。商品を企画や開発する頭脳と販売が残り日本の労働者階級を潤わせた中間の製造業が抜け落ちている。労働賃金の安い海外へ工場が移転しているからだろう。
 このままでは仕事に就けない多くの中高年が路頭に迷うのではないか。

 この頃、私は度々ワルインゲ氏とレストランで食事を共にした。
「何故、こんなに親切にしてくれるね」
ワルインゲ氏はそんな私の行動を訝った。親切心の裏に下心が有ると思ったのだろう。彼に接触してきた日本人の種類が読み取れる。私にも経験がある。やたらと親切にされて幸せな気分に浸っていると新興宗教の勧誘を受けたり、ネズミ講まがいの商品を買わされたりだった。
「私はケニア共和国で長年暮らしてケニア人には随分お世話になったのですよ」
 通常は青年協力隊員としてアフリカへ行った人はアフリカ人のお世話をして帰って来るのだが、私はお世話になって帰ってきた珍しい人間なのだ。ケニアのブルという男にはまだその恩を返していない。アフリカへの思いを引きずったまま日本で生活をしていることを伝え、将来、ケニアと日本の間でビジネスがあればワルインゲ氏の人脈を使いたいと話した。ワルインゲ氏は心よく承諾してくれた。
「私はケニアではカマウと呼ばれていたのだよ」
彼は「ピッタリだよ、色の白いカマウだ」と言ってゲラゲラと笑い出した。
 池袋駅前に引越しの荷物運びや建設現場の作業員の仕事をくれる場所が有る。仕事に就けないホームレスたちがここで短期の仕事を得ているらしい。ここでは履歴書も住所も書く必要が無い。私はワルイゲ氏にその情報を伝えた。
「知っているよ」
「行ったことがあるのですか」
とっておきの情報だと思ったが彼には価値のないものだった。
「何度もあるよ。そこにはボスがいてボスを通さないと仕事は貰えないね」
「そんなシステムに成っているのですか」
「ああ、ボスに気に入られないと仕事が貰えないね」
悲しそうな顔をした。ホームレスにも縄張りがあるのだ。彼らの厳しい現実を知った。仕事を2~3回貰ったことがあるらしいがその後は相手にもされないらしい。私は頭を抱えたい気持ちになった。
 
 もう直ぐ11月になる今年は暖冬だろうか、厳冬だろうかと考えた。ワルインゲ氏の身が心配だった。その後も何度か彼に会ったが就職が決まらないストレスを時々私にぶつけた。私もまた彼に苦言を呈しなければならない事があった。この日は公園に置いてあったバッグが盗難に遭ったと泣き言を言った。私が上げた老眼鏡なども盗まれたらしい。彼の言いたいことは良く分かる。しかし私は突き放した。彼には日本人妻との間に出来た息子がいて息子は日本人女性と結婚していてボクシングの選手でもあり、英会話の講師でもある。私ではなく家族に頼ればよいではないかと思った。私には出来る事と出来ないことがある。この日は口論して分かれた。

 11月の下旬、携帯のベルが鳴った。
「もしもし、高橋です」
「こちら池袋警察署の○○です」
「え、ケイサツ」思いもしなかった電話だった。
「大塚日本語教室の高橋さんですね」
「はい、そうです」
「実は事件がありましてね。アフリカ人が関わっているのですよ」
「え!」
私の顔から血の気が引いていった。そして大きな罪を犯したように後悔した。あの時突き放すべきではなかった。
「そちらの事務所は何処ですか」
「私の自宅です」私のことをこまごまと聞かれた。
「自宅が事務所ですか。そうですか。アフリカ人をご存知ですよね」
「え、・・あ、・・・」
こういう場合の警察の質問は既に全てを掌握していて確認のために聞くだけであることを私は知っていた。
「家宅捜査をしていたらあなたの名刺が出て来たのですよ」
「え、家宅捜査?」
ホームレスが寝ている段ボール箱の中も家宅捜査と言うのだろうか。
「高橋さんとどういう関係ですか」
「えーと、日本語サークルにはいろいろな多数な外人が来ますので・・え・・」しどろもどろだった。
「○○と名乗るナイジェリア人ですよ。覚えていませんか」
「あ! 思い出した」
 私はてっきりワルインゲ氏の事かと思ったが、もう一人いた。一度会っただけなのですっかり忘れていた。ワルインゲ氏と出会う三ヶ月前の事だった。昼食の時間をすっかり過ぎた3時頃、池袋のサンシャイン通りを横に入ったところにフランチャイズのラーメン店がある。店内は12名ほどが座れるUの字になったカウンター席の小さな店だ。客は私と前のカウンターに若い女性が一人居ただけだった。私はいつものラーメンを食べていた。そこに、大きな黒い布製のバックを持った黒人が入って来た。アフリカ人だと直ぐに分かった。三十歳前後の男だ。私の一つ横の席に座りメニューを手にして見ていた。しばらくするとキョロキョロと辺りを見渡し始めた。何を注文していいのか分からないのだ。気になった私は男を見ると男と目が合った。
「Can I help you」
「Yes, please」
「何が食べたいのですか」
「これは何ですか」
「これはチャイニーズヌードルです」
「ポークは入っていますか」
「はい、入っています」
「じゃあだめだ」
「ポークが嫌いですか」
「はい、嫌いです。これはどうですか」
「これも入っています」
ラーメン店に豚肉が入っていない料理は無いだろう。
「じゃー、チャーハンがいいですよ」
私はチャーハンを勧めた。勿論、豚肉は入っているが食べず嫌いだと思った。前に座っていた女性が目を丸くしてこちらを見ていた。警察の話で分かったのだが、男はイスラム教徒だった。豚肉は食べてはいけないらしい。料理が出来るまで話をした。何処から来たのかという質問に「アメリカからだ」とアフリカン訛りの英語で答えた。
 日本には着たばかりだそうでビジネスで来たと言った。日本語が習いたくなったらボランティアで教えているから連絡をするようにと言って、私の名刺を渡した。そのときの男だった。あれから一度も会っていないと警察に説明した。
この男がどんな罪を犯したのか警察は明かさなかったが、 名刺には私の住所も電話番号も書いてあった。私も被害者になっていたかもしれなかったが、私は被害者にはならない星の元に生まれたらしい。
 
 ナイロビにいた頃、夜はよく映画を見にダウンタウンの映画館に行った。この区域は外国人や旅行者は立ち入らない。ある夜、帰り道に近道を通るため公園に入った。公園には街灯は無く薄暗い。一人の男が座っているベンチの前を横切ろうとしたとき、男がいきなり立ち上がり私の前に立った。上着のポケットから拳銃を取り出し銃口を私に向けた。リボルバー式の拳銃だった。
「Give me money」男の声は小さかった。月明かりに見えた男は精悍な顔をしていた。しかし何故か恐怖心が沸かなかった。私は男が座っていたベンチに腰をかけて足を組んだ。男もベンチに腰をかけた。
「金がいるのか」
「ああ、金がいる」ひどく思いつめた様子だった。
「こんな夜中に大金を持ち歩いていると思うのかね」
「・・・」
「私は旅行者ではないよ。腕時計も無いし、鞄も持っていない」
「ああ、」
「私はボランティアでケニアに長く居すぎてね。随分お金を使ったよ。今はケニア人の世話になっている」
私はズボンのポケットから財布を取り出し所持金を見せた。百シリング札が一枚しかなかった。日本円では千円にも満たない。
「百シリングでよかったらやるよ」
男は黙って金を受け取ったが何か言いたそうだった。その時、月に懸かっていた雲が払われ月光に公園が照らされた。公園に入ってくる二人の人影が見えた。警察官だ。キャップを被っていたのですぐに分かった。こちらに向かって来る。男は素早く拳銃をポケットにしまった。警察官は無言でベンチの前を通り過ぎた。私はスーッと立ちあがり警察官の後ろをついて歩いた。そして警察官に声を掛けた。
「おまわりさん」
「なんだね」
「百シリング貸してよ」
「おまえに貸す金なんぞ無いよ」一人の警察官が言った。
「タクシー代が無いのだよ」
「歩いて帰れ」
「夜が明けるよ、それに治安も悪いじゃないか」
ベンチから男の笑い声が聞こえて来た。澄みきった満月もゆらゆらと笑っていた。アフリカでの生活は快適だった。
  
 つづく。


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