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外国人のための『みんなの日本語学校』

このブログでは学習者からの様々な日本語に関する質問をとりあげ、分かり安く解説をしました。

日本文化 「わび」「さび」

2009年11月24日 | Weblog
日本文化の「わび」「さび」は月の満ち欠けを基本にしているのではないでしょうか。月は生まれて、膨れて、欠けて、消えて、死んで、また生まれる。死んでも生まれる月が私たちの生活の指針になってきました。始まりは終わりですが、終わりはまた始まりなのです。それは輪廻の思想にも結びついているかもしれません。「わび」「さび」は悲しいものではなくて、滅びていく中にも次につながる勢いがあるのです。それが日本文化の特徴ではないかと思います。
 
 私は外国の留学生には「日本の文化に触れたいと思ったら月を見上げなさい」と言っています。月を自分の心にとどめる気持ちがあれば、月は今の日本の混沌とした状態を正しい方向に戻す羅針盤になるのではないかと考えています。
 「狩猟民族」と「農耕民族」という分け方があります。100%そうだと言えないかもしれませんが、狩猟民族は「太陽」が生活や行動の基盤になっていると考えられます。太陽をよぎる雲、太陽を隠す雲、太陽を見えなくして気配まで分からなくさせてしまう雨、そういうものを見ながら、人々は次の場所へと移動していく。
 それに対して農耕民族は「月」が生活の中心にあるように思われます。日本では、春夏秋冬をそれぞれ六つに分けて二十四季節にします。春を「立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨」とします。これは太陽を基とした等分点ですが、そこには太陽に対する月の満ち欠けにも配慮がされています。それを生活の指針とし「そろそろこういうことをしたらいかがですか」と穏やかに語りかけてくれる「自然の声」だと思うのです。
 例えば夏に「芒種」とう言葉があります。「そろそろ芒のある種を播いたほうがいいのではないですか」と言ってくれている。それから「大暑」という言葉は「そろそろ暑くなりあなただけではなくて農作物も土地も悲鳴を上げるころになっていますよ」と言ってくれているのです。太陽や月の表情や佇まいを私たち先祖は生活の指針にしてきたのでしょう。
 
 茶道はよく「おもてなしの文化」と言われるのですが、「自分を探すための文化」です。「おもてなし」と言われるのは「ティーセレモニー」という言葉から言われるようになったのではないかと思っています。ある大使から言われたのですが、「ティーセレモニーもウェイ・オブ・ティーも、どうもしっくりこない」と。そこで、私は海外で講演をする時、「ティーセレモニーもウェイ・オブ・ティー」も使いません。「茶道」はあるいは「茶の湯」と言っております。「柔道」が「ジャパニーズ・レスリング」ではないのと同じように「茶道は茶道」ですと。
 茶道はもちろん人をお迎えしてお茶を差し上げるものです。そこでは人とかかわることによって自分を育てるというプラスの目的があります。茶道は自分の中にある見栄や妬み、邪(よこしま)なものをできる限り捨てて、本来の自分を探すため、本来の自分に近づくために余分なものを削っていく稽古をするのです。その稽古の先に、もてなすということが入ってくるのです。

 裏千家家元 千宗室   
新書『京都あちこち独り言ち』淡交社 
『昨日のように今日があり』
『自分を生きてみる』など著書多数。

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