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磊落マンの歩み!

「年弥々(としいよいよ)高くして徳弥々たかし」(前漢末の思想家・揚雄)の教えを心情とし「いま」を生きるようにしています!

二の丸 お堀の水鏡…!

2025-03-16 17:08:39 | 日記

広島城二の丸……1953(昭和28)年に史跡指定された城跡内では、往時の石垣や残された内堀を見ることができます。1989(平成元)年には広島城築城400年を記念して、二の丸の整備が進められ、1991(平成3)年には表御門と御門橋が、1994(平成6)年には平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が完成しました。これにより城の中心である本丸を守る機能をはたしていた、本来の二の丸の姿が蘇りました。

広島城二の丸の役割……一般的に二の丸は、天守等がある本丸に次いで重要な曲輪であるため、相当な施設と大きさを持っていることが多いのですが、広島城の二の丸は、他の城郭と比べて規模が小さく、本丸と三の丸から独立した形となっています。このことから、広島城では二の丸そのものに「馬出(うまだし)」の役割があったと考えられます。「馬出」とは、虎口(城の出入口)の外側に半円形もしくは四角形の小規模な曲輪を設けて、虎口の防御とともに、出撃の拠点とする仕掛けです。広島城は二の丸のほかに、三の丸の西側と外郭北東にも馬出が設けられていました。

堀……現在の広島城の堀は、本丸と二の丸を囲む内堀しか残っていませんが、江戸時代は三の丸を囲む中堀と、さらにその周囲に配された四つの外郭を囲む外堀の三重の堀がありました。また、西側の本川も外堀の役割を果たしていました。堀の幅は、かっては100mを超えるところもあり、重い甲冑を身に着けた状態で堀を渡りきることは難しく、城の大きな防御となっていました。

平櫓(木造一重隅櫓 入母屋造 平屋建 延面積約108㎡)……毛利時代の創建と考えられますが二の丸平櫓台は、福島氏の時代の再興と思われています。

1812(文化9)年落電により屋根や壁を破損しており、そのときあるいは1872(明治5)年頃に撤去されたようです。復元には、「安芸国広島城所絵図」に描かれた姿図画が用いられ、江戸時代の姿に戻されています。

多聞櫓…

模型(多聞櫓内に設置)…

太鼓櫓(木造二重隅櫓 入母屋造 二階建)……二の丸唯一の二重櫓で、二階に太鼓を置き、時太鼓を打って城門の開閉の合図を行った重要な櫓です。1620(元和6)年に台座の石垣が崩壊したため再建されました。表御門より建築時代が新しかったので、屋根の反りも少なし年代相応の趣を見せていました。太鼓櫓という特殊性から、二階に高欄付きの廻縁を設けるなど、城内のほかの二重櫓とは全く異なった造りでした。

広島城の二の丸の仕掛け…

①正攻法で、橋から攻める相手には、表御門の櫓の上などから火縄銃や弓矢で攻撃します。

②堀を渡る相手には、櫓や堀にある△や▢の形をした「狭間(さま)」と呼ばれる穴から、火縄銃や弓矢で攻撃します。

③二の丸の西側半分は建物が無く、空き地となっているため、戦時等の際は兵士の集合場所とすることができます。また、南側は石垣が高く、その上に櫓があるため堀の外から二の丸内の兵の動きを窺えないようになっています。反対に、北側は石垣が低くなっており、万が一、二の丸内に相手が侵入しても、本丸から攻撃を仕掛けることが可能です。

広島城再建天守閣の鯱瓦……1958(昭和33)年の広島城天守閣再建時に製作された鯱瓦です。原爆で崩壊した広島城を再建する際には、過去の図面や外観写真などが参考にされました。しかし、鯱瓦については細部が不明であったため、福山城の筋鉄御門の鯱瓦などを参考にし、製作されました。この鯱瓦は1991(平成3)年の台風19号により破損し、二代目と取り換えられたため二の丸にて展示されています。二代目の鯱瓦は、2001(平成13)年の芸予地震により破損し、現在の天守閣の屋根にあるものは三代目の鯱瓦です。

二の丸から広島サッカースタジアムを眺めることができます。

(参考:「広島城 二の丸」案内資料より)

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七人のさむらいダイコン参上可仕候…!

2025-03-15 16:43:46 | 日記

菜園ではダイコン収穫時に、お互い泥んこになりながらの攻防が繰り広げられました。

玉ねぎに石灰を撒くと、見る見るうちに元気な姿に早変わりです。周囲にはチューリップが守りを固めており、色とりどりのチューリップの花が咲くのが楽しみです。

手前のワケギ収穫後も芽がどんどん出てきています。

じゃが太郎はマルチシートに覆われており、こっそり成長具合を覗いてみると未だ発芽していませんでした。

キャベツ玉が現れつつあります。我が家のキッチンでは、今か今かと料理まな板舞台が主役の登場を待ち受けています。

ヒアシンスは球根に十分な寒さの期間を与えず、過保護にし過ぎてしまい草丈が短いまま生育が鈍くなりました。しかし、花は何とか咲きホッとしています。

フジバカマが発芽しました。旅する蝶「アサギマダラ」の飛来を確信しています。

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春めいてきた「瀬戸内のハワイ」へと…!

2025-03-11 17:51:08 | 日記

花の咲く夕日の里(山口県大島郡周防大島町外入)からは、瀬戸内のきらきらと凪ぐ春の海が大変綺麗です。

薄寒桜が薄ピンク色の花を咲かせていました。

『春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな』(与謝蕪村)…夕日の丘展望台から、瀬戸内の春の海の穏やかさが感じられ情景豊かです。

地家室海域公園(山口県周防大島町地家室)…瀬戸内海国立公園の特別保護区に指定されており、世界最大級の二ホンアワサンゴ群生地が発見されました。

地家室海域公園「水仙の里」(地蔵ヶ浦)…水仙の花が咲乱れています。

道の駅サザンセトとうわ(山口県周防大島町西方)…郷土料理レストランで美しい海の景色を楽しみながら、周防大島近海でとれた新鮮な「小いわし定食(数量限定)」を美味しくいただきました。

道の駅物産直売所では、甘味が強く独特な芳香の「ポンカン」と爽やかな香りとさっぱりした後味の「はるか」を買い求めました。

道の駅からは、真宮島へ干潮の前後3時間ずつだけ現れる砂の道「エンジェルロード」を歩いて渡ることができます…恋愛成就のパワースポット!

お雛様が道の駅に飾られていました。

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おでんダイコン三きょうだいの晴れ舞台…!

2025-03-08 11:04:06 | 日記

おでんダイコンの種まきを昨年11月3日に実施し、寒波を乗り越えて四ヵ月目で初収穫となりました。

おでんダイコン三きょうだいは、土の中から解放された嬉しさから、泥んこ遊びに夢中です。

泥んこ遊びの後は、菜園の温かい地下水でキャキャ叫びながら水浴びです…水浴び後の姿は、予想以上にイケメンでつんと澄ましています。

湯気上がる鍋の中心で、おでんダイコン三きょうだいは我が主役と主張し、乱舞しています…今宵は、地元広島銘酒の熱燗とおでんをふうふう言いながら美味しくいただきました…自然の恵みに感謝です。

菜園の周囲では、梅の花が凛と咲き誇っています。

「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」(菅原道真)

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暖かい春は必ずやってくる…!

2025-03-02 18:01:26 | 日記

陽光柔らかな3月は、公私ともに動きのある季節です。「花見月」と呼ばれる今月は、花のように艶やかな気持ちで過ごしたいものです。

雛祭りに欠かせない「ひな人形」を飾り、孫(神戸在住)の健やかな成長と幸せを願う日々です。

久し振りに里山(旧JR可部線安野駅:広島県山県郡安芸太田町穴)を訪ねました。人生の再スタートを信じつつ、活躍の場を忍耐強く待ちつづける「キハ58」の雄姿に出会えることは、いつも勇気と元気をもらえる機会となっています。

太田川に架かる赤い橋の宇賀大橋(広島市安佐北区)を渡り、人生の荒波へと立ち向かっていかれた数多くの人々の姿が思い浮かばれます。

宇賀大橋の上流には、旧可部線の橋梁が見えます。今にも、ディーゼル車「キハ58」の黄色いボディ姿が現れそうな幻想的な光景です。

私の人生の坂道とも言える鈴張(広島市安佐北区)の七曲りの道のりを、いつも懐かしくて訪れています…人生の四つの坂あり…「上り坂」「下り坂」「まさか」「まっさかさま」…

「春に一番のり」…姉からの絵手紙…

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。